こんにちは。manaです。
見つけて読んでくださり、いいね!を押してくれる方もありがとうございます。
今まで放置していたこのブログを今年の秋からまた復活させ、
最近はもっぱら『逃げ恥』や星野源さんネタですが、
その他にも日々思うことや気になる事や好きな事を書きまくり、
色んなテーマで気まぐれな内容でお送りしているこのブログ。
「いろんなテーマでブログを書いているけど、manaってどんな人?」
って思ってくださった少数の方のために、
自己紹介という意味で書いております。笑
前回まではよかったら下記ご覧ください。
今回はクリニック勤務時代から現在までの話です。
これで【私について】シリーズは最後となります。
いつものごとく大変長くなりますが、ご興味有る方はお付き合いください。
では、はじまりはじまり~![]()
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
編集者への夢破れて、同時期に親も離婚し、今まで住んでいた家も失い、
文字通り家族も自分自身の心もバラバラになった私は、
少し放心状態のフリーター迷走期へ突入し、
学生時代もやっていた古巣のスターバックスに復帰し、しばらく働いていました。
大学の奨学金を返さなきゃいけないのに、
中途半端な編集アシスタントしかやったことのない私は
転職もままならなくて、本当につらかったです・・・![]()
スターバックス勤務時に東日本大震災を経験し、
今後のためにとりあえず何か知識や資格を取っておこうと決意。
平日は毎日早朝6時から夕方15時までスタバで働き、帰ったら勉強、
土日はまた派遣のテレアポや単発バイトなどをして、また帰ったら勉強・・・
という日々を、ちんたらと半年~8ヶ月ほど経て、医療事務の資格を取りました。
そして、都内のとある内科・小児科のクリニック
の事務に転職します。
当時私が働き始めたところは、40代の男性医師が院長をしている、
とある住宅街にある内科・小児科クリニックでした。
そのクリニックは代々続いているというわけではなく、40代院長が一人で始めたもので、
小さいながらも検査機器などが整っていて、患者数の多い個人クリニックでした。
面接を経て、働き始めてすぐは、院長もその母である理事長も、
新人の私をとても可愛がってくださり、ご飯に連れて行ってくださったり、
新しく覚える業務も新鮮で、気持ちよく働いていたのですが、
もっとこの“家族経営”という環境の恐ろしさに早く気づくべきだったと今では思います。笑
ここのスタッフは私の他に、正社員の事務員が4~5名、パート事務員3名だったのですが、
そこに院長の妹と理事長の友人が手伝いに来ます。
しかも、事務課長は院長の妹の旦那!!つまり院長と義兄弟。
そうここはThe家族経営ワールド!!
今ここで文字にするだけでも鳥肌・・・・。笑
先輩方は当時私が20代半ばに対して30代・40代の方々。
うまーく院長家族に取り入り、うまーくやっていたようです。
でも私はその、「うまーく」が不得意中の不得意![]()
仕事を覚えていくうちに、このクリニックの不自然な点にいくつも気づいてしまい、
もっとみんなが仕事をやりやすいようにならないかと、
逃げ恥の森山みくり同様、「あーしてはどうか、こーしてはどうか」と、
事務課長や同僚に向けて発信したりしてたんですが、
「manaさんは正しいかもしれないけど、差し出がましいんだよ」と
みくりと同じように「小賢しい」と一蹴されたこともありましたね・・・。
確かに生意気だったかもしれませんが、
あははー。そうですか、そうですか・・・すみません。って感じ。
たいした事言ってないのに上から押さえつけられるのが呆れるレベルで
結局誰も自分の意見は何も言えなくなりました。
みんながみんな、理事長・院長・課長のイエスマン。
理事長の口癖は「あなたは私たちのファミリーだから言っていることわかるわよね」
スタバの時以上に、作り笑いと心を滅するのがうまくなりました
笑
(あ、患者さんに対しては本当に心から笑って接遇してましたよ。モンペ以外ね。)
※モンペ:モンスターペイシェント。クレーマーのようなひどい態度の患者。
一番きつかったのは、昼休み中や仕事終わりの学級会のようなミーティング。
そこには院長、事務課長、理事長、そのほか院長ファミリーも同席。
「誰々さんの性格がいけないと思いまーす」
「Aさんのあの時の発言はBさんを傷つけてると思いまーす」
大の大人がこんな感じで延々1時間近く・・・。
あげくの果てには「○○さんみんなの前で謝ってください。」という公開処刑。
言われた人はみんなの前で顔や目を真っ赤にしています。
私もこの公開処刑を何度か受け、同僚も同じく受けたことがあります。
確かに働いていたら、色々ミスをしたり、誤解からいざこざが生まれたりします。
人それぞれ受け取り方は様々だと思いますが、さすがにこれはどうかと・・・。
しかも、このミーティング一つで給料をカットされたり、ボーナスなしにされます。
だから、みんな自分に火の粉がかからないように、自分の事が第一で
誰かが傷ついても、守ったり、味方として一緒に声を挙げる人もいません。
院長や事務課長の顔色伺いながら、仕事をし、イエスマンと化していきました。
そこでは自由な有給も取らせてもらえず、残業代もほぼ出ませんでした。
ハローワークに書いている休憩時間や給料もほぼ嘘ばかり。
休みを取るときは詳しい理由を話し、皆さんへのお詫び(菓子折)をしなければなりません。
だからプライベートなんてありません。なんせファミリーですから!!笑
プライベートも根掘り葉掘り聞かれ、常に行動を監視されているような職場で、
私はだんだんその環境が気持ち悪くなってきました![]()
こうやって思い出して書いている今も鳥肌と吐き気が・・・。笑
心の救いは常駐の看護師さんたちでした。
このクリニックは規模のわりには結構ちゃんとした検査をしたり、院内薬局もあったので、
ただの受付だけでなく、医師補助・看護師補助・薬局補助もやっておりました。
その中でも私は特に看護師補助として、看護師さんに直接色々と教えていただき、
プライベートでも仲良くさせていただきました。
そして「このクリニックはおかしいから早く辞めな!」としょっちゅう言われました。笑
色んな病院を渡り歩いた看護師さん曰く、
他の病院と比べてかなり異様でおかしかったようで、本当に心配されました。
(本当は免許がなきゃダメなこともやらされていたかもしれません。)
病状が悪く大学病院へ搬送という緊迫した場面に遭遇したり、
受付として接遇一つで患者様の不安な気持ちを和らげることができたり、
小児科もやっていたので可愛いお子さんに癒やされたり、子どもの病気に詳しくなったり、
という医療現場として大変勉強になる出来事もたくさんありました。
また、ありがとうと言われることがやり甲斐に感じることも多々ありました。
でも、ストレスのせいで体重が8キロ落ち、子宮の病気も悪化してしまい、
家に帰っても、テレビも本も何も面白くなくなり、
一緒に暮らし始めた当時彼氏の夫が帰ってくる度に、ポロポロ泣いてしまうように。
何のためにあの人達の顔色見て仕事しなきゃいけないのか訳がわからなくなったので、
思い切って辞めることにしました![]()
ただ、辞めるときも大変でした。
始めは慰留され、断るとあからさまな冷遇。有休消化もボーナスもなし。
「manaさんは身勝手でクリニックのことも思いやらず辞めるんだ。恩知らず!」
と最後までそんなことを言われてしまいました![]()
笑うしかなかったです。
辞める前に有給や残業代未払いの件で労基に通報しました。
時すでに遅しでしたが。(立件するには書面や音声などの証拠が足りなかったのです。)
同僚には色々むかつくこともあったけど、一応通報したことを言い、
「やっぱりここはおかしい。なんかあったら労基に相談するんだ!
」
と、けしかけて辞めました。笑
私が辞めて一ヶ月後・・・パートさんも正社員も毎月1~2人ずつ辞めたそうです。
私が働いていたときにいた先輩・後輩の全員が辞めるとの連絡を、
最後の頃仲良くしていたパートさんからの年賀状で教えていただいた時は
人が辞めても変わらないんだというクリニックへの失望と、
ざまあみろというガッツポーズの気持ちが両方あり、複雑な気持ちでした![]()
その後私は転職活動をし、(もう耐えきれなくて限界で辞めたから仕事決まってなかった・・・)
その間にやっていたバイト先の上司の紹介で、今の会社に入りました。
今は人事関連業務の裏側的なことをやっています。
小さい小さい会社で、同世代と比べるとお給料は少ないし、日々思うことはありますが、
今までと比べたら本当に安定している生活を送れています。(←今はね。笑)
何より人が温かい。仕事とプライベートをきちんと分けてて、程良い距離感。
当たり前なことがありがたく感じます。
私も今まで「小賢しい」と言われる側の人間でした。
でも、その小賢しさをちゃんと聴いてくれる人も職場もあるんだと思います。笑
そしてどの職場にも、平匡さんのように「小賢しいと思ったことはない」と言ってくれる、
ありのまま一生懸命仕事をしている私の姿を認めてくれる人もいます![]()
きっとそういう人が見ていてくれると信じ、今ある仕事を丁寧に懸命にがんばれるのは、
今まで色んな場所で色んな経験をしたからなのかなと思います。
前に比べて大人にもなって、空気読むのがうまくなったのもあるけど・・・笑![]()
また、離婚してしまった両親ともなんだかんだ仲良くやっています。
母とはたまに喧嘩しますが。笑
住んでいる家はバラバラですが、集まれるときに集まってご飯を食べたり。
大晦日は夫も混ざり、みんなで北海道流おせちを食べたりします。
夫もうちの事情を理解して、私以上に親に優しく接してくれるので、本当に感謝です。
これから30代。今後どんな転換期が来るかわからないけど、
今までがあるから、きっと乗り越えられるはず、
苦しかった時期が多かったけど、きっとその分人の痛みや苦しみがわかるはず。
そんなふうに自分を信じられるようになりました。
そして、今これを読んでくださった人の中には、
もしかしたらもっと辛い経験された方や今まさに辛い状況の方もいるかもしれません。
下手に軽々しいことは言えませんが、
自身を認めてくれる人・評価している人がきっといます。
その辛かった経験も不甲斐ない自分も回り回って、笑えるようになる日はきっと来ます。
そんな思いを込めて、これで【私について】を終わりにします。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
結局『逃げ恥』絡めてんじゃーんというツッコミはおいといて、笑
大変長い長い自分語りになってしまいましたが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
mana


