こんにちは。manaです。
見つけて読んでくださり、ありがとうございます。
土日あっという間でした~![]()
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秋晴れ気持ちよかったですね![]()
さて、今日はまた私についての続きを・・・。
これから書く内容は、暗くツラかった時代になりますのでご了承ください。
また、超長い文ですが、お許しください。
前回はこちらをご覧くださいませ![]()
では小学校後編はじまりはじまり~![]()
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私が小学校4年生になるときに、隣の区へ引っ越しました![]()
兄が養護学校を卒業(高校卒業)し、福祉園に通うことになったのを期に、
より通いやすく、広い家に引っ越すことになったのです。
※福祉園とは障害者の自立支援を目的とした通所施設です。
私は転校することになり、新しい環境に緊張しつつも楽しみにしていたのですが、
初めて登校した朝から、クラスのある男子と髪型が似ていると少しからかわれ
(当時私はベリーショートで背が高かったので・・・)
幸先のいいスタートではなかった覚えがあります
笑
引っ越した地域は、人の出入りが多い23区内にも関わらず、
祖父母の代から同じ小学校という人もいるほど、とても古く、
転校先の小学校も創立140年以上と、古い歴史があるところでした。
そんな中、私が住んでいたマンションが新しく建ち、
クラスの子のほとんどは古くからの一軒家住まいの子が多かったため、
ピカピカのオートロック付きのマンションは大変珍しがられました。
(もう20年前の話です。)
4年生の後半頃からでしょうか。
顔にポツポツと赤いニキビができはじめたのです![]()
5年生になり、クラス替えもあり、
好きな男子、仲良くしてくれた女子とはクラスが離れ、
また、知らない人ばかりになりました。
ストレスのせいかニキビは一層ひどくなりました![]()
新しいクラスは校内で有名な不良グループも同じになり、
私は顔のニキビで嘲笑われるようになりました。
前のように顔いっぱいに笑えなくなっていました。
せっかく仲良くなりそうだった子は、どこに行くにも一緒というタイプで、
一緒に悪口を言わないと「良い子ぶってる」と言う子でした。
トイレに一緒に行くのが理解できない私は、
それを断ると露骨に嫌な態度を取られました。
ふつふつとニキビが広がってきたように、いじめの発端も見え隠れしていましたが
決定的なのは、泊まりがけの自然教室での出来事でした。
前述の子を含む女子の中心的なグループが、ゲームしてて盛り上がりすぎたのかな、
何がきっかけだったかは忘れてしまったけど、みんなで何か悪いことをしようとして、
私はみんなと違う意見を持ち、それを断ったように覚えています。
その後からクラスの女子全員からの集団無視が始まったのでした![]()
manaは私たちをバカにしている。
顔汚いくせに偉そう。
顔、洗ってないんじゃないの?
見てるだけで気持ち悪い。
あ、ばい菌がうつるから近寄らないで。
あれ?いたの?ゴミかと思った。
友達いないの、かーわいそう。
(私の顔を見て)あはは、ウケる。キモい。
毎日、毎日、ひそひそされ、
面と向かえばこう言われる。
男子も一緒になっておもしろがって、
物を投げられ、急に蹴られたこともありました![]()
(さすがにそれは蹴り返したけど。)
先生も同罪でした。
中心的にいじめている5人対私一人の話し合いの場を設けたけど、第一声が
「さあ、manaさんの嫌いなところを挙げていきましょう。」ですよ。
で、最後に、
「ほらね、だからいじめられるんですよ。あなたが悪い。」と。
そこからは相談しても、あなたが悪いからと一点張り。
先生とは、必要以外口をきかなくなりました。
6年生になってもその状況は変わらなくて、
休み時間になる度に保健室や図書室に逃げ込んでいました。
誰もいないところへ。
誰ともしゃべらなくなりました![]()
ただ静かに、一日が終わることだけを願って。
学校はほぼ毎日行きました。
でも当時は、ただただ訳わからなくなって、自分が悪い、生きていたらいけない、と、
親の目の前でパニックを起こして、学校に行く前に死のうとさえしました。
親は「どんな姿で帰ってきても味方だから歯食いしばって強くなれ」と
生きたくない、殺してくれと泣く私を抱きしめながら、言いました。
「お前は悪くない」という親の言葉が唯一支えでした。
だって、私は悪いことしてなかったから。
6年生の修学旅行も「行かない」という親と一緒に嘆願書を書きました。
(認められなくて結局行かされましたが
)
また、私の卒業文集には、はっきりといじめられたことを書きました。
担任には一生残るけど本当にいいの?と言われましたが、
「これが事実だし、これがこの小学校での私の思い出なので」と言い切りました。
担任への、せめてもの反抗でした![]()
その頃には女子のいじめは続いていたものの、
一部の同級生は私に一定の理解を示すようになってきました。
中には授業中ちゃんと私に接してくれる子もいました。
こっそりと、「manaって大変だな。女子こえーわ。」って。笑
何も変わらなかったけど、少し嬉しかったのを覚えています![]()
5年生の頃から絶対この小学校の子達と同じ中学に行きたくないという思いから、
必死で中学受験の勉強をしていたおかげで、
晴れて第1志望の私立中学に合格し![]()
小学校の卒業式で彼女らと永遠にサヨウナラをしました![]()
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今思うと、地元出身でずっとつるんできた彼女らにとって、
私はイエスマンじゃないから、彼女らの思い通りにできなくて、
しかも同等に気が強かったから相当むかついたんだろうなと思います。
さらに学級委員タイプの良い子ちゃんだったので、
ちょいギャルな女子グループにとっては目障りだったのでしょう![]()
大人っぽく見られてたし、たぶん私も無意識に見下してたんだろうと思います。
それはむかつくかもなぁ・・・。少し反省・・・。
でもいじめる人は何があってもいじめるんです。
私のニキビはいじめの材料であり、あってもなくても何かしらアラを探していじめていたでしょう。
まぁ、見事に心も体も叩きのめされましたが
笑
後日談ですが
中学2年の時に同窓会があり、見返すために行ってやろうと思い、
肌も良くなっていたので、綺麗に化粧して、ヒールを履いて出向いてやりました![]()
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地元の中学に行ったいじめグループ女子はスウェットにキティのサンダル、ぼさぼさの髪。
私が目の前に立った瞬間の女子グループの唖然とした顔
は忘れられません。
男子の一人が「綺麗になってて誰だかわかんなかった」と言ってくれました。
それだけ聞いて、乾杯もせずに「じゃ、サヨウナラ」と帰りました。
それがいじめの思い出との永遠の「サヨウナラ」です![]()
当たり前ですが、どんな理由があろうと、
決していじめは良いことではありません。
集団でいじめる側の気持ちは全く理解できません。
理解したくもありません。
でもいじめがあったことで、私は絶対に彼女らと同じ人間になりたくないと思いました。
それは今も変わりません。
あの頃のおかげで少しだけ強くなりました。
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心機一転、入学した学校は中高一貫の女の園
ですが、
そこでは素晴らしい親友たちとの出会いが待っていました![]()
次は中学時代を書き記したいと思います。
長々と暗い話を書き綴りましたが、
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。
mana
