どうもmanaです。

見つけて読んでくださりありがとうございます。

 

最近読んだもので、

映画化・ドラマ化されたら観てみたいなと思うものを

備忘録的に書き連ねたいと思います。

 

閉鎖的な息苦しさの中で自我の解放を見つめ直す優しいストーリー

西 加奈子 著『漁港の肉子ちゃん』

 

<あらすじ>

主人公キクリンこと喜久子は見た目も可愛らしい、小学生高学年。

母親とともに、北の小さな漁港の町にやってきた。(たぶん北陸)

キクリンが「肉子ちゃん」と呼ぶ母親・菊子は、若い頃から男にだまされ翻弄されつつも、

人を信じ、愛し、日本各地を転々としながら、舞台の小さな漁港町にたどり着いた。

だらしなく結んだ髪に化粧っ気のない顔、どこで買ったんだというくらい奇抜なダサい服、

町の方言ではなく古典的な大阪弁で話し、漢字の意味を無理くりポジティブに捉え、

そして肉の塊のように太った姿でゲラゲラ笑う彼女を、

キクリンは同級生に母親だと知られたくなかった。恥ずかしいとさえ思っていた。

自分は町にはじき出されないように、方言も使い、周りに合わせ、

思春期女子のよくあるいざこざの中でこんなに大変なのに、

なんで肉子ちゃんはこんなにのんきに笑っていられるんだろう。

そんな親子のやりとりで見えてくる、社会の中での「自我の解放」とは。

 

正直ちゃんと西加奈子先生の作品を読んだことがありませんでしたが、

まずタイトルと装丁に目がとまって読んでみた作品。

いざページをめくると、独特の世界観や情景の描き方に引き込まれました。

キクリンの、ちょっと妄想のような一人遊びや、

小さなコミュニティの中で違和感感じながらも周りに合わせちゃうとことか、

そういうのに煩わされず、楽しく生きているように見える肉子ちゃんが羨ましく見えるとか、

「あーわかるわかるlと、結構通じるものがあります。

 

私も、高校の体育祭で見に来た父親の格好が

髪はオールバックに黒のレイバンのグラサン、

さらに黒革のジャケットにジーンズという出で立ちだった時は、

他のお父さんとあまりに違いすぎて、どこぞのヤクザかと思ったり、

また、母親のことも「うわぁポジティブめんどくさ」と疎ましく思いつつも、

どこかで羨ましいとも思ったりしたこともありました。

 

本の中の肉子ちゃんみたいに、自分は自分!とはなれないけれど、

自意識高すぎて周りに合わせすぎてる自分に気づいたり、

いざ自分の今を振り返って落とし込んでみると、

私結構頑張ってるから少し速度緩めてもいいんじゃないかと思えたり、

肩肘張って自意識と他人の間でもがいてたのが、

少し楽になっていくかもしれません。

 

ま、私は親を「肉子ちゃん」とは呼べないけどね!

 

 

次は何を書き残そうかな。

漫画かな。

 

長い文をお読みいただきありがとうございます。

ではでは。

 

 

mana