ピアノを習う人達にとっては、「ドホナーニ」といえば『指の練習』という本がまず頭に浮かぶと思います。

 

 

 

 

この本、私は大学生の時に銀座ヤマハ で見つけて以来使っていて、大学でもレッスンやクラスで取り入れています。

 

 

ある学生には、彼女が4年生になった時に使い始め、「なぜもっと早くに紹介してくれなかったのですか!?もっと早くからこの本を使っていたら自分はもっと上達できたかもしれない。」と言われたので、それからは1年生から使い始めるようにしています。

 

 

ある副科の学生は、この本を始めた時には指の独立にとても苦労していたのに、1年後には指が独立して強くなり、テクニック全体が上達して、本人がその変化に驚いていました。

 

 

エルンスト・ドホナーニはハンガリー生まれのピアニスト、音楽教師、作曲家です。

 

 

ベルリンでピアニストとしてデビューし、ヨーロッパ各地で演奏し、ベートーベンのピアノ作品全曲、モーツァルトのピアノ・コンチェルト全曲演奏などもしました。

 

 

教師としては、ベルリン高等音楽学校を経て、ブダペスト音楽アカデミーの院長になり、アメリカに移住してからは、フロリダ州立大学音楽学部で教鞭を取りました。

 

 

このように生涯にわたって後進を指導してきたわけですが、その中で生み出されたのがこの本なのです。

 

 

その序文、ドッキリするのです。

 

 

文と楽譜を見たい方はこちらをクリック

 

 

お持ちの携帯電話に翻訳機能がついていれば、直接それで読むこともできます。

 

 

英語と、イタリア語、ドイツ語の訳に若干の違いがあるのですが、総じてこんな感じになります。

 

 

 
音楽学校のピアノ教育は、学生の技術的な向上のためだけに多大な練習教材を課せられるが、そのために費やされた時間と効果は比例していない。

その結果、音楽性(表現の訓練)がひどく無視され、沢山の弱点が見出される。

学生は、正しい練習の仕方を教えられておらず、エチュードや指の練習は大した価値がないものを与えられ過ぎて、曲を練習する時間がない。

ただいくつかのショーピースが演奏会用に与えられ、何度も繰り返して弾かされる。

それによって担当教師の名声は上がるが、学生のためにはなっていない。

適切な広範囲に渡るピアノ音楽の知識を教えなければ、正しい解釈やスタイル感などは身につかない。

それには、何よりもまず「エチュード」を減らす必要がある。

もし、多くのエチュードを弾くのと同じ効果が短時間で得られる指の練習があれば、エチュードを減らすことができる。

指の練習はエチュードに比べて暗譜で弾けるので、どの練習でも重要な、きちんと弾くという最も大事な事に集中することができる。

初心者のことはここでは割愛するが、中級者はクラマーとベルティーニのエチュードで十分だろう。

その後は、クレメンティの『グラドゥス・アド・パルナッスム』から一曲、とそれに付随する指の練習が、しっかりした技術の練習としては適当だと思う。

他のエチュードは、ツェルニーでさえ必要ない。

これらの中に、指の練習で得られないこと、また演奏会用の曲から学べないような本質的なものは何も見当たらない。

ショパンとリストのエチュードは別格。

これらはもちろん、演奏会用の高度な曲であり、バッハのインベンション、シンフォニア、平均律と同じ様に、重要なレパートリーとなる。

このように、エチュードや指の練習は減らして、演奏会用のレパートリーを増やすべきだ。

〜中略〜

音楽の広範囲の知識は、初見によって得られると考える。

(多くの)ピアノ曲、室内楽曲を、数回ずつ弾く事により、スタイル感が向上し、技術的にも確実性が高まる。

しかしそればかりに時間をかけて、しまりのない弾き方をする習慣にならない様に気をつけ、演奏会用に曲を仕上げる訓練とバランスを取る必要がある。

〜中略〜

何も考えないでただテクニックの練習をするのは避け、常に熟考し集中して練習すべきだ。

指の練習でさえ、頭で考えてから指を動かすべき。

どんなにテクニックがある人でも、曲それぞれの持つ技術的な難しさは、その曲の中で練習しなければならない。

私の『指の練習』 はなるべく短時間で高い効果が得られるように工夫した。

完成されたピアニストでも、技術を保つために使うことができる。

私は、この本が役に立つ、と証明されることを願っている。

ブダペスト、1929年6月
エルンスト・ドホナーニ

 

 

 

 

ピアノ指導者として考えさせられます。

 

 

ご参考まで。

 

 

河村まなみ