アンドラーシュ・シフさんによるベートーベンの『ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110』の講義を訳してお届けしています。
講義の合間に演奏が入るので、実際の講義を聞きながら訳を読んでいく方法をお勧めします。
講義を聞くには、こちらのウェブサイトに行き…
Beethoven Lecture Recital Part 8 を探して…
2. Piano Sonata in A-flat major Op.110 をクリックします。
あるいは、YouTubeでも聞くことができます。
今日は第3楽章(28:21〜最後)を訳します。
前回はこうでしたが、今回は
(演奏28:31)
時計が10 時を知らせます。
彼の部屋の時計か、教会の鐘かは分かりませんが・・・
このソナタの隠されたプログラム、かも知れませんね。
想像することはできますが、はっきりした事は言えません。
でも、この10回の時計の音は、病と癒しの間にある扉のように思います。
この10の和音は、una corda の指示があるので、ソフト・ペダルを用います。
1弦だけで弾くので、こもった音になります。
(演奏29:52)
(今回のフーガは)先ほどのフーガの主題の反行フーガ(上下反転されたフーガ)です。
フーガのオリジナルの主題は・・・
(演奏30:20)
そして今度は全ての音が反転されて、ト長調で現れ、大変小さく、大変遠くから、微かに・・・
(演奏30:37)
このように、反転された主題が4回出てきます。
ベートーベンはこのセクションの最初に、
「Poi a poi di nuovo vivente(徐々に生命力が戻ってくる)」と書いています。
ここはベートーベン にとって最も苦心した箇所です。
現在ト長調にいますが、ここからどうやって変イ長調に戻るのか?
そして、どうやってこの一連のパターンを終了するのか?
4回目の反転主題が終わった後、主題の(音価)縮小形がバスに現れます。
(演奏31:47)
もとの主題の3倍速くなっています。
それがソプラノで模倣され・・・
(演奏32:07)
この音形が交互に聞こえると同時に、拡大形が現れます。
オリジナルより2倍遅くなります。
全体を弾いてみましょう。
(演奏32:30)
そしてバスが拡大形になり、上の声部が縮小形になります。
ここに来ると、ベートーベンはだんだん元気になり、ソフト・ペダルも取れてきて、徐々に2弦、3弦と増えていきます。
(演奏33:08)
そしてここ (168小節目から) は気をつけなければいけないセクションです。
なぜならベートーベンは短い音価の音を用いますが、表情記号は「Etwas langsamer」と書いてあるので、テンポは少しゆっくりになります。
多くのピアニストがここを誤解し、短い音価を見て突然速く弾き始めますが、私は全く理にかなわないと思います。
アルフレッド・ブレンデルとチャールズ・ローズンが、The New York Review という記事の中で、この話題で論争をしましたが、私はチャールズ・ローズンがノックアウトで勝利したと思います。
なぜなら、弾いてみますけど・・・
(演奏34:21)
このセクションが始まる時、主題が更に縮小化されているわけですが、途中の音が一部抜けています。
(演奏34:36)
このようにオリジナルより音が抜けて短くなっています。
そしてその後に、accelerando(poi a poi piu moto)を指示しています。
だんだん速くなり、その最終地点でバスに、オリジナルの主題がオリジナルのテンポで現れます。
ここまでに来るのに、徐々にテンポを増すべきです。
168小節目をオリジナルのテンポで始めて、徐々にテンポを上げて、オリジナルより早くなった後に、174小節目でテンポを遅くしてオリジナルのテンポに戻す、というのは理にかなわない事です。
ではこのセクション全体を弾いてみましょう。
(演奏35:19)
大変ややこしいセクションですね。
そして、ここで最後の主題が現れます。
このように、「徐々に生命力が戻る」という状態が聞こえたと思います。
そしてここに来ると、ベートーベンはフーガという対位法から離れて、勝利のコラールに移ります。
主題は付点四分音符で書かれ、次々に別の声部に現れます。
『ミサ・ソレムニス』の「ドナ・ノービス・パーチェム」を思い起こさせます。
(演奏37:04)
こちらの曲も8分の6拍子ですね。
(演奏37:12)
後期の3つのソナタの中で、唯一、勝利のフォルテッシモで終わります。
「苦しみの中にあった人が、最終的には病と死に打ち勝つ」という思想を詩的に表現したと思います。
ことに2回目の『嘆きの歌』の時にはほぼ死の淵にあったのに。
168小節目からのセクションについてのシフさんの解釈は、大変重要な情報だと思います。
チャールズ・ローズン(Charles Rosen)はアメリカの音楽学者です。
彼とブレンデルの論戦(?)はできたら翻訳機能などを使って、是非読んでみて下さい。
トーヴィー版は、168小節目の16分音符をそれまでの8分音符と同じ長さで弾き、そこから174小節目まで徐々にテンポを上げていくことを推奨しています。
シフさんも同じ解釈ですね。
作品110の講義はこれで終了です。
この曲を通してベートーベンのその時の心情を深く感じ、共感することができました。
この様な作品を残してくれたベートーベンさん、ありがとう!
そして、この様に深く理解し、シェアしてくださったシフさん、ありがとう!
次は最後のソナタ(第32番、作品111)の講義を訳してお届けしたいと思っています。