前回に引き続き、スチュワート・ゴードン先生による【ベートーベン・ソナタの読み方】の動画の解説をお届けします。
今日は39分55秒から49分39秒を訳します。
直訳の場合もあり、要約になる場合もあります。
譜例の演奏を聴けるタイミングを記しています。聴きながら説明を読むと、より理解して頂けると思います。
《タイかスラーか?》
第30番、作品110、第3楽章
5小節目の8分音符1つで書けば良いラの音を、わざわざ16分音符2つで書いている。
しかも指使いを4から3に変える指示。
これはどういう意味か?
タイなのか?
1つの音を上下してビブラートをかける、クラビコードの奏法の影響か?
それとも2つ目の音を小さくして弾き直すべきか?
また、その後の32分音符ラの音の連続はタイか、スラーか?
これについてはいまだに多くの議論があり、演奏においてもまちまちである。
(演奏@41:54)
《スラーの読み方》
「悲壮」第8番、作品13、第2楽章
メロディーのフレーズが、スラーによって以下の様に区切られている。
(演奏@42:51)
19世紀の伝統を引き継ぐ演奏は、これとは全く違い、この様なフレージングにしてしまっている。
(演奏@43:44)
もう一度、ベートーベンのスラーに即して弾いてみる。
(演奏@44:18)
なぜこの様な、ある意味不自然なアーティキュレーションにしたのか?
ベートーベンが変わり者だったので、常識外れで人と違う事をしようと思ったのか?
ここで、講義の冒頭に話した、ペダルの問題を思い出してほしい。
この当時、ペダルはレガートを作るために使われていなかった!
それを考慮して、ペダルなしで弾いてみる。
(演奏@45:29)
スラーの切れ目(Vの場所)で鍵盤から手を離し、次のポジションに手を移動しなければならない。
つまりスラーの指示は、単に、その間は手を移動させずに(one hand positionで)弾ける、という意味なのである。
ベートーベンはこのように、短く途切れたスラー表記を無数に使用している。
では、このような、表現に直接関係ないスラー表記は、どの様に扱って演奏するのが良いのか?
それはあなた自身が判断しなければならない。
カール・ハース(KUSCというロサンゼルスのクラシック音楽のラジオ局のホスト)の番組では、この曲をオープニングに使っている。誰の演奏かわからないが、完璧に19世紀スタイルのフレージングだ。
私達は(19世紀を通ってしまった後に)どのようにして、18世紀の奏法に歩み寄れば良いのか?
私の選択は、ベートーベンの表記、彼の耳が聞いたであろう音をできる限り尊重し、同時に、音楽的な流れを作るために多少のペダルを用いて、フレーズがぶつ切りにならないように演奏する。
(演奏@47:31)
こんな風にして、私は自分のケーキを食べますよ。
ところで、後半の再び主題が出てくるセクションは、ペダルを使って弾かれる事が多く、私達の耳もそれに慣れてしまった。
(演奏@48:29)
しかしペダルなしで弾くと、内声のアーティキュレーションが正しく現れてくる。
(演奏@48:42)
私個人は、ベートーベンが書いたこのアーティキュレーションを再現したいと思う。
あなた方も一つ一つの解釈について格闘しながら考えるべきである。
バイオラ大学にゴードン先生が来られた時には、《スラーの読み方》の例として、第19番、作品49の1、第1楽章 をお話しくださいました。
「左手の3度の和音の連続は、ペダルを使わずに、スラーの指示が切れた所で手の位置を移動して弾くと、ペダルを使うより簡単に弾ける様になり、響きもすっきりします。」とお話しくださいました。
この読み方は私にとっては「目から鱗!」でした。それまでは、これらの和音をペダルで繋げなければならないと思っていたのですが、先生の弾き方に納得し、一気に解決!! 以来、沢山の???だったスラーの読み方が解決しました!
次回も《スラーの読み方》の続きです。お楽しみに。