前回は、この講義をされたスチュワート・ゴードン先生をご紹介しました。

 

今日は、講義のイントロダクション、動画の冒頭から14分27秒までを訳します。

 

一字一句訳す場合と、ある程度要約している場合があります。

 

 

 

 

《自筆譜、初版譜、その後の楽譜と問題点》

 

ベートーベンの存命中

 

初期の13のソナタは自筆譜が残っている。

 

全てのソナタの初版が出版された。

 

後期ソナタは複数の出版社から出版された。

 

例えば『熱情』は人気が高く、存命中に少なくとも17の出版社から出版された。

 

これらの版の間には多数の不一致、矛盾がある。

 

著作権がない時代だったので、この様な事が起こった。

 

 

19世紀

 

編集者の個人的な解釈、ロマン派時代の趣向などの結果により、更に多数の変更がなされてしまった。

 

 

20世紀

 

「原典版(ウアテクスト)」「批判校訂版(クリティカル・エディション)」が出るに従い、この種の問題はかなり減ってきた。

 

 

現在

 

それでも最終的には、演奏者が膨大な量の細部にわたる情報と向き合い、決定を下し、演奏しなければならないし、その決定を下す権利がある。

 

演奏者が自分の感性、作品との個人的な関り、作品への思い、理解、解釈をもって最終的な決定をする。

 

一つ一つの決断を下していくためには、作品中の細かい指示まで観察して、読み解く必要がある。

 

なぜなら、情報が多ければ多いほど、作曲者の意図した選択を導きやすくなるからである。

 

 

 

《2つの気をつける事》

 

さて、具体的な例に行く前に、2つの事を前提として話したい。

 

 

(1)ベートーベンが使用したピアノを考慮に入れて作品を見る

 

作品53(32のソナタのほぼ半分)までは、ウィーン式のピアノだった。

 

モーツァルトが使用したピアノとほぼ同じタイプで、軽いアクション、共鳴版は薄く、多分二ー(ひざ)ペダルで、5オクターブしかない。

 

ベートーベンは、その中でソナタを書いている。

 

鍵盤数が限られていたので、時々、音を(本来書きたかったであろう音から)書き換えたり、取ったり、再現部で1オクターブ変更するなどという事を強いられた。

 

また、ウィーン式ピアノの特性に合わせて書いている。

 

その後、ロンドンからブロードウッド製のピアノが寄贈された。

 

しかしその頃、ベートーベンは殆ど耳が聞こえなくなっていたので、創作に使われる事は殆どなかったと思われる。

 

アンドラーシュ・シフが、修理されたこのピアノで演奏している。

 

その当時では最新だったが、それでも、私達の耳にはとても華奢な音で、低音ははっきりしない音がする。

 

(その録音はこちらで聞けます。)

 

下差し

 

 

ベートーベンはその頃はほぼ耳が聞こえなかったことと、頭の中にはますますオーケストラ的な音が響いていたこともあり、もっと大きい音のピアノを欲しがった。

 

現代のピアノは大きな音、オーケストラ的な音が出るので、その点で彼の作風に合っていると言える。

 

殆どの場合、ベートーベン・ソナタは現代のピアノに合っていると思う。

 

反対に、現代のピアノではうまく処理できない問題もある。

 

例えば『悲愴』の一楽章の左手のトレモロは、ウィーン式のピアノで弾くと、楽に小さい音で弾けてティンパニーのように効果的に響くが、現代のピアノではうるさくなってしまいやすい。

 

 

 

 

(2)19世紀の「伝統」にとらわれない

 

 

ベートーベンの作品は、19世紀(ロマン派時代)の解釈や演奏を通って、現代の私達に受け継がれている。

 

ベートーベン時代のものとは違うのにも関わらず、19世紀の解釈や演奏スタイルが、いつの間にか「伝統」として私達の世代にまで引き継がれ、私達とベートーベンの間に立ちはだかって、私達の判断の妨げになる事がある。

 

私達の耳が19世紀の「伝統」に慣れてしまい、それが正しいと思ってしまう、という問題がある。

 

これからベートーベンが残した表記を見ていく作業の中で、もしかしたら、皆さんが聞き慣れない事を聞くかもしれない。

 

 

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ゴードン先生は控え目な方なので、「聞き慣れない事を聞くかもしれない」と仰って終わりましたが、「聞きなれないから間違い、という事ではない。」と仰りたかったと思います。

 

次回は《自筆譜、清書譜、初版譜などの矛盾の読み方》具体例のお話です。

 

 

 

 

河村まなみ