当時の私はこれが虐待なのでは?と思ったことはありませんでした。それにようやく気付いたのは中学生、高校生でした。
小学生からいつも親の機嫌を伺いながら生きていたので、知らないうちに外でも人の顔色を伺うようになっていきました。自然にYESかNOの判断を人の顔色を伺いながら決めていました。きっと自分の意思ではなかったんだろうなと今では思います。
小学5年生の時、父と母でコソコソ深夜に話をしていることが多くなりました。
それから数日後、母から
私、乳癌になってしまったの。
片方の胸を取る為に入院するから、いい子にしていてね。と
不安で不安でしょうがなくなりました。
母は乳癌になってからは落ち込むようになり、怒ることより泣いたり落ちこんだりするようになってしまったのです。
当時の母は37歳。母の乳癌はステージ2b。
脇のリンパ節転移あり。
死んでしまうのではないか。
いなくなってしまうのではないか。
不安でたまらなくなり、本で乳癌の情報を探したり、母の何気ない言葉を聞いて自分なりに解釈をしていました。
母に注目してほしくて、足の親指を自分で痛めつけ病院に連れて行ってもらったり、身体が痛い、
飲み込みにくいと病院に連れて行ってもらったりと今ではなんであんなことしちゃったんだろうなと。
母が一番辛いのに母がいなくなってしまう不安をこういう理由でしか、表現できなかったのです。
この頃から太れない身体になっていました。
どんな薬かは忘れましたが、軽い安定剤のようなものを2.3年のんでいたと思います。
無事に手術が成功し脇のリンパ節もとりました。
脇のリンパ節の転移は開けてみてわかったものでした。
母が帰ってくるのが待ち遠しく、
母の退院の日は家族4人でお寿司をお家で食べました。小僧寿しだったかな。幸せな時間でした。
手術は無事終わったのですが、
次に待っていたのは抗がん剤治療。
ホルモン療法。放射線治療でした。
いつも母が言っていた言葉
いつも笑って過ごさなきゃいけないんだって!
辛い抗がん剤でもご飯を作ってくれて、
元々天真爛漫な母でしたので、辛い顔見せず治療を乗り越えていました。
元気になっていく姿を見ていると私も元気になっていくのでした。
五年癌が再発しなければ安心できるんだって!
なんて母はいつも言ってたな。
ずっと再発せずに母が元気でいれますように。
続く。