日常の中で、


自分がどこを見て、何を拾っているかを
意識することは、あまりありません。

 

 

多くの場合、
目に入ってきたものや、
耳に届いた言葉、
ふと浮かんだ考えに、
そのまま反応しながら過ごしています。

 

 

でも、
同じように過ごしているはずなのに、
なぜか疲れ方が違うと感じるとき。

 

 

その背景には、
「どこに意識が向きやすいか」
という違いがあるのかもしれません。

 

 

 

こんにちは。
脳の特性と瞑想の視点から、
日常の違和感を扱っている
山元真菜美です。

 

 

前回の記事では、
疲れやすさや、引っかかりやすさには、
人それぞれ傾向がある、
というところまで触れました。

 

 

今回は、
その「傾向」がどうして生まれるのかについて、
少しだけ視点を足してみたいと思います。

 

 

といっても、
理由をはっきりさせたり、
答えを出したりする話ではありません。

 

 

ただ、
こう考えると、
少しラクになるかもしれない、
という話です。

 

 

人は日常の中で、
すべてを同じ強さで受け取っているわけではありません。

 

 

自然と目が向きやすいこと、
気づきやすいこと、
無意識に拾ってしまう情報。

 

 

それらは、
自分の意思で選んでいるつもりがなくても、
少しずつ偏っていきます。

 

 

たとえば、


人の反応に意識が向きやすい人もいれば、


状況全体を把握しようとして、
頭の中が忙しくなりやすい人もいます。

 

 

また、
動いているときは平気でも、
止まった瞬間に疲れを感じやすい人もいれば、


何もしていないときの方が、
不安や重さを感じやすい人もいます。

 

 

判断や切り替えが続く日が重なると、
こうした違いは、
よりはっきり感じられることもあります。

 

 

けれどそれは、
考え方が良いとか悪いとか、
頑張っているかどうか、
という話ではありません。

 

 

 

ただ、


どこに注意が向きやすいか、


どんな情報を拾いやすいか。

 


その違いが、
日常の疲れ方として表れていることが多いのです。

 

 

だから、
「どうして自分はここで疲れるんだろう」
と感じたときに、
自分を責める必要はありません。

 

 

「今の自分は、
ここに意識が向きやすい状態なんだな」

 

そう眺める余地があるだけで、
出来事との距離は、
少し変わってきます。

 

 

もし、
もう少し整理された形で、
自分の反応の傾向を眺めてみたいと感じた方のために、
別の場所に、
静かに目を通せるものを

公式LINEに置いています。

 

 

このブログでは引き続き、
日常の中で起きる違和感を、
評価せずに書いていきます。

 

 

「扱ってみたい」と感じたタイミングで、
必要な方だけ、
そちらをご覧ください。

 

 

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また次の記事で、
この続きを書いていきますね。