気持ちの記録、不妊治療を経て
私は手術室へ入る時、家族に「行ってきます!」と言い手を振りましたが、内心は怖くて怖くて、もう二度と会えなかったらどうしようって半べそでした。そのぐらい凄いプレッシャーを感じてました。
手術室では、お決まりの確認作業
中はTHE手術室で、緊張を取り除く為に深呼吸してハッピーな事を考えて紛らしてました。
担当の先生を見つけた時はホッとしました。
それから、手術台に移動して点滴やら麻酔やらと…
噂の背中に打つ麻酔…
私は左に向けられ
背中を向けました。
麻酔の管の注射を打つための麻酔の注射を先に三箇所
右手は手術台のマットの端を握り締めていました。
すると担当医の先生が余ってる私の左手を握り締めてくれました。
いよいよ麻酔の管を背中に入れます。
背中を目一杯丸め…そんなに痛くない…
腕に点滴した注射針が輸血対応なので長く太い為かこちらの方が痛かった印象…。
(一番痛かったのは後のガーゼのテープを剥がされた時かも…(笑))
それから、仰向けになり胸元から向こう側は見えない様に隠されてしまい麻酔の効きのチェックを何度かしました。
麻酔科医の先生が私の肩に冷たいガーゼを当てて「冷たいですか?」次は私の足やお腹などにもガーゼを当てて「冷たいですか?」…。
怖さのあまり思わず分からないフリをしてしまった。でも3回目の問いには観念して「冷たくないです」と答えました。
麻酔が効いたので手術が始まりました。
産科医の名コンビの声が聞こえて来ました。
私の担当医は20年目の産科女医、もう1人の産科医の先生は21年目の男性医師です。
2人の明るい会話を聞きながら、深呼吸に入念な私。
数分で焦げ臭い…。
お腹切られると焦げ臭いのか…?
そんな事を思ってました。
名コンビが手捌きを褒めあっていたので安心して、今か今かと待っていました。
するとゾロゾロと私の頭の周りに人集りが出来ました。
そう!そろそろ赤ちゃんが出て来る予感。
酷い絵ですが、中央に私が寝ててカーテンで向こう側は一切見えない様にされていて、向こう側から先生2人の声が聞こえてます。
そして私の頭の付近には残りの先生方が生まれるのをスタンバイしています。
担当の先生が切ってくれてるのは会話で分かってて、もう1人の先生が赤ちゃんを押してるのが分かりました。
「頭が出て来るよ」「ちょっと押すねー」ググッ
「顔出て来たよー」ググッ
『おぎゃーーーーーー!』
先生方が「おぉ!」とか「可愛い」とか、ずっと力強く泣き止まない赤ちゃんに「元気良い(笑)」とか言ってくれてて
私は安心して涙が溢れ出しました。
今日までの不妊治療だけじゃなく、私の人生全てが一気に走馬灯のように駆け巡り、辛く耐え忍んだ日々が報われたんだって思いました。
どうしても会いたかった人に会えた喜びに感謝で幸せすぎて次から次へと涙が止まりませんでした。
たしか麻酔科の先生がそっと涙を拭いてくれました。
振り返ると…
私が子供を授かる事が夢になり
移植をしても高熱で入院したり
その原因である両卵管切除までして自然妊娠が不可能になり
移植の度に痛い治療で憂鬱になり
そして判定日までの辛い日々
治療の為、規則正しい生活を心がけて
健康的になろうと体重を増やしたり
無添加のみのカラダに良いものしか食べてません
かなり制限された不妊治療中心の生活に…
最初はワクワクしていたのに
1年2年が過ぎると段々と心が折れて
どうして私がこんな目にって心では思ってました
でも絶対に弱音は吐かないと
明るく前向きに頑張って乗り越えてきたつもりです
そして、妊娠してると告げられた時は驚きで半信半疑
でもやっと妊娠しても直ぐに入院になり
神に祈る思いで恐怖や辛さを乗り切った
次から次へと苦労は続き
子宮頸管が短くなってしまい
まだ産まれないでとまた神に祈る毎日
臨月になって、やっと一安心も束の間
また管理入院になる
陣痛が怖い…帝王切開も怖い…
でも出産はみんなやって来た事
私だけが出来ないわけ無いよね、と
自分に言い聞かせ
お腹の子の無事を祈りました
この祈りは産まれてくるまで続いてて
元気な顔を見るまで怖くて不安で胸が一杯でした
今でも思い出すだけで涙が出て来ます。
産まれた瞬間、この子は元気だ!もう大丈夫!
あとはこの子を信じよう!
そんな事も思っていました。
初対面は手術室でのカンガルーケアの一瞬。
泣き顔で小さくて可愛い。
丸い顔の2818g。
赤ちゃんだけ先に手術室をあとにしました。それから、私が病室に戻り母子同室なので赤ちゃんがやって来ました。
私は起き上がれないので赤ちゃんの顔が見えない。
術後は直ぐに母乳マッサージをされ何となく赤ちゃんにあげる事が出来たけど顔が見えない。
見えたのは私と赤ちゃんは線が沢山繋がれてました。
金曜日に手術だったので金曜日と土曜日は主人が泊まり込みました。オムツ替えや抱っこをして幸せそうでした。
でも主人がオムツ替えや抱っこが上手くいかない時は繋がれてる線が邪魔だと八つ当たりしていました。
そして待望の赤ちゃんに母性ホルモンが凄いのか、小さな胸なのに母乳が出て生後3日の赤ちゃんに完全母乳でいけるようになりました!!レンタルしているパジャマの胸の辺りが濡れていて驚きました。看護婦さんに母乳が沢山出る様なので計って欲しいってお願いした程でした。それまでは母乳の後に20cc看護婦さんが赤ちゃんにミルクを与えていたので。実際、計ったら母乳だけで足りる量でとても驚かれてしまいました。
看護婦さんに教わった通りマッサージしたり水を1日2ℓ近く飲んだり頑張ったので母乳が今でも凄い出てます。ペットボトルに蓋つきのストローをセットして、いつでも何処でも24時間飲める様にしました。
張って硬い場所を優しく押さえながら飲ますと柔らかくなり、乳輪をくわえて貰って吸わすと乳首が痛くないのと母乳が凄い出ます。
母乳に力を入れている病院なので良かったと思ってます。
そして、やはり生まれて来た赤ちゃんの心拍は他の子より弱くて、予定帝王切開にして良かったと思ってます。
入院中、赤ちゃんは様々な検査を受けました。私は産まれて来た赤ちゃんを信じていたし例え病気でも可愛い我が子だから守ってあげたい気持ちで不安は一切ありませんでした。今では母乳を沢山飲み健康そのものです。
私自身も術後、左足と左胸の辺りだけの感覚が無くダラーンとしてしまい医療ミスが怖くなりましたが、この子が無事産まれたんだから左足ぐらい動かなくても余裕!って本気で思っていました。でもただの麻酔が切れて無いだけで左側はしばらく経ってから復活しました。(左側を向いて麻酔をしたせいでは?と言われました)
麻酔が切れてからの筋肉痛が酷く主人に当たりましたが、授乳すると痛くなくて癒されると言う不思議な気持ちに…。
不妊治療して良かったと心から思えました。
2年前から待っててくれた我が子。
私の場合は、諦めなかった事を誇りに思います。
いろんな事情があるので人それぞれ道があると思います。
もし治療が成功しなかったとしても不妊治療で得た事は大きいです。夫婦でいろんな所に出掛けれたし、夫婦喧嘩もありましたが、大変な治療を夫婦で行ってる事で本気でぶつかり合い、努力と我慢と明るさで、その度に夫婦仲は深まり家族の結束も固くとても身近な存在になりました。
それだけでも十分な結婚生活ですが
私が諦めなかった理由は、自分を信じていたからです。
経済面や年齢など周りの環境も含めて「まだ」ベストを尽くしていける自信がありました。
だから淡々と自分の辛さ弱さを閉じ込めて治療に集中しました。辛くても乗り越えなくては前に進めない、泣いてる時間なんて無い、必ず叶えてみせる。と、必死でした。
実は出産して振り返らなければ、約3年間の不妊治療中はそんな事を思ってませんでした。そのぐらい集中して全力疾走してました。
この気持ちは出産するまで解放されなかったと思います。
今日で私は40歳になりました。
40年前私も新生児でした。そして今、
赤ちゃんが隣で寝ています。
最高のプレゼントです。
この幸せを当たり前に思わない様に、常に感謝を胸に…
沢山の人の夢が叶いますように!
「こんにちは赤ちゃん私がママよ」
とても古いフレーズだけど、ふと抱っこして寝ている我が子に言い涙が止まりませんでした。
私に勇気とやる気を与えてくれたうた