終戦記念日ですね。


86日、9日、15日。


8月のこの時期が

なぜか年を追うごとに

私の中で重たいものに

なってきています。


私にはこの戦争にまつわる

ある不思議な記憶があります。


それが過去生で

本当に経験したことなのかは

わからないけど


その記憶が

今私の人生に影を落としている


ということは私にとって真実。


その影は自分でクリアリングしても

なかなか手放せず

人にお願いしたいと思いながら

ほとんど預けることが

できずにいる記憶でした。


今年の86日はあまりに苦しく

あるコミュニティでその記憶について

そっと打ち明けました。


これは私にとって

とても勇気のいることでした。


そして

その日の夜から815日まで

毎日、祈ることを宣言しました。


1分でも数十秒でもいい。

そんな気持ちで続けました。



祈り始めてすぐに気づいたのは

意識をどこに合わせてもいい

ということ。


これまで

私は犠牲者の方の痛み・苦しみを

勝手に想像し

そこに意識を合わせなければならない

と思い込んでいました。


そのエネルギーはとても

重たいものでした。


しかし


犠牲者の方の魂が浄化され

この世界が喜びに

満ちることを願うなら


祈る私自身の意識も

むしろそこに合わせた方が

いいのかもしれない。


そう思った時から


私の祈りから

重たさは無くなり


静けさ

平穏さ

喜び


日によって変わるものの

そのような感覚に

自然と意識が合うようになりました。



また、ある日には


グラウンディングしながら

体の一つ一つを感じるとき


私には焼かれても

傷ついてもいない

健康な肉体がある


これまで当たり前だった

そのことに

感謝が溢れて涙しました。


もう何十年か前

人間としてここに生きていたら


私は焼かれてしまったかもしれない。


これは祈りとは違うけど

そんなことも感じながら過ごしました。



そして


昨日の夜には


その祈りのエネルギーを

自分のために使って


自分を大切にして


と内側から伝わってくるようでした。


ああ、また自分を満たす前に

外へ外へと

エネルギーを使いすぎてしまったかもしれない。



だけど


祈る


というこの行為は


私にとって

とても貴重な時間となりました。


戦争の犠牲となった方の魂が

その痛みや恐怖から解放され

自由に喜びに満ちたものとなりますように。


そして世界がその方向へ

導かれていきますように。