私は車で仕事に行くのに堤防沿いの道を使っているんですが、時々道端にゴミが落ちているのを見かけます。最近もパンパンのゴミ袋が1メートルおきくらいに点々と捨てられてるのを見ました。
ああいうのを見るとちょっと不快な気分になっちゃうんですが、そういう時って、そのゴミを落とした人に対して不快感を感じているんですね。
ちゃんとゴミ箱に捨てろよ
って具合に。 "だから"自分ではそれを拾ってゴミ箱に捨てたりしない。自分でも笑ってしまう。
私の部屋は、捨てられないモノがわんさとある片付かない部屋です。明らかにゴミであるものでさえ、取り敢えずここに置いておくかと放置されていたりします。
どうしたらすっきりと整理できるようになるのかと思い続けて何十年、最近気付いたのは、私は『捨て方が分からない人間』なんだということです。
ゴミの分別のこともありますが(ボールペンの金属部分をハサミで切ってまでして分ける人)、どのタイミングでゴミと見なすかが定まっていません。
いつ使うんだコレと思っても、それを手に入れた自分に申し訳なくて捨てることができない。失敗する自分はダメ、失敗してはいけないと思い込んでるんだろうな、と頭で考えるけど、で、それでどうやって捨てるんだ?となる。
ごみ集積場にあるほぼ無分別のゴミを見て、なぜそれで出せると思うんだ?と突っ込み入れてしまうけど、ごみに出せずに自宅をゴミ箱にしている自分とどっちがマシなんだと悩む。
それでもまあ、自分にはこれくらいのカオス感が丁度いいかと自分の城を見て思うのも確かです。あ~、私ってこんな感じだよね、って。
よし、じゃあ今日はこれを捨てるぞっ、て気合い入れて捨てるバカバカしさが自分らしいとか。
あの道端のゴミ袋はごみの捨て方を知らない人が捨てたんだろうな、捨て方を教えてもらえなかったんだろうな。
最近はそう考えるようになりました。無駄な期待をやめて不快感は和らぎましたが、ゴミは勝手に無くならないので、嫌なら自分で拾えばいいじゃんって自分に言うんです。
でもそうしないでやっぱり通り過ぎてしまう。他人事のままにして見過ごしている。
この世界は決して私の理想通りにはなってくれないけど、私の手の届く所は私自身の手で整えていくことができる。多くの人と分かち合っている以上、違った価値観のものが入り込んでくるのは当たり前で、美しいものも醜いものも併せ持ちながらどうにか機能している。そして決して夢や可能性を否定することはない、それが素晴らしいと思う。
そんなことをグルグルと考えて何周かした後に、自分の出すごみはきちんと処理しよう! と改めて心に誓う出来事でありました。
心の引っかかりから見えてくる価値観を捕えよう