ひまわりが虹の橋を渡ってから
私の心には、ポッカリと穴があいているのだろう
そしてその穴はまだ、埋まっていないのだろう
最近、こんなことを考えることが増えてきていた
「今の私には子どもがいるわけでもないし、いつ死んでもいいかもなぁ」
「今、死んだら確実にひまわりに会える保証があるなら、自ら死を選ぶなぁ」
生きる目的というか、意味というか…
守るべき存在がないという現実は、ヒトをさらに小さいものにするのだろう。
今日は、ひまわりの18回目の月命日
納骨堂に会いに行ってきた
ひまわりの骨壺を抱き締めながら、色々なことを話しかける
「虹の橋の下で待っててね(^ー^)」と、話しかけてからハッとした。
「待っててね」なんて、言えるような立場にない…
言い直す
「ひまわりがイヤでなければ、待っててね(^ー^)」
その瞬間
「ひまわりが待っていたくなるような生き方をしなくっちゃ、ひまわりが待っていたくなるような人間にならなくちゃ」と…なぜだろう。突然そう思った自分がいた。
そして
苦しくても、痛くても、怖くても、辛くても、最後まで頑張ったひまわりの姿を思い出した。
最後まで誇り高いにゃんこだった。
ねぇね思いの優しいにゃんこだった。
キレイなにゃんこだった。
私の自慢の相棒だった、妹だった。
「いつ死んでもいいかもなぁ」「ひまわりに会えるなら自ら死を選ぶんだろうなぁ」
そんなことを考えているような私のことを、ひまわりが待っていてくれるわけない。
天国のひまわりにとって、自慢の相棒じゃないと…自慢できるような姉じゃないと…
ひまわりが最後の最後まで頑張ったように、私も頑張らなくちゃ、会える訳がない。
いや、会う資格がない。
頑張らなくちゃ、一生懸命生きなくちゃ、ひまわりのように…。
そう思った。
なぜか、突然。
導かれるように、この結論に達した。
きっと、ひまわり、あなたからのメッセージなんだよね。
ありがとう
ねぇねは、頑張るよ
あなたのように
ひまわりに誓ったこと
あなたにしてあげられなかったことを、してあげなかったことを、してあげたかったことを
私なりの方法で実行にうつしていくね。
ありがとう、ひまわり
大好きよ、ひまわり
私の心には、ポッカリと穴があいているのだろう
そしてその穴はまだ、埋まっていないのだろう
最近、こんなことを考えることが増えてきていた
「今の私には子どもがいるわけでもないし、いつ死んでもいいかもなぁ」
「今、死んだら確実にひまわりに会える保証があるなら、自ら死を選ぶなぁ」
生きる目的というか、意味というか…
守るべき存在がないという現実は、ヒトをさらに小さいものにするのだろう。
今日は、ひまわりの18回目の月命日
納骨堂に会いに行ってきた
ひまわりの骨壺を抱き締めながら、色々なことを話しかける
「虹の橋の下で待っててね(^ー^)」と、話しかけてからハッとした。
「待っててね」なんて、言えるような立場にない…
言い直す
「ひまわりがイヤでなければ、待っててね(^ー^)」
その瞬間
「ひまわりが待っていたくなるような生き方をしなくっちゃ、ひまわりが待っていたくなるような人間にならなくちゃ」と…なぜだろう。突然そう思った自分がいた。
そして
苦しくても、痛くても、怖くても、辛くても、最後まで頑張ったひまわりの姿を思い出した。
最後まで誇り高いにゃんこだった。
ねぇね思いの優しいにゃんこだった。
キレイなにゃんこだった。
私の自慢の相棒だった、妹だった。
「いつ死んでもいいかもなぁ」「ひまわりに会えるなら自ら死を選ぶんだろうなぁ」
そんなことを考えているような私のことを、ひまわりが待っていてくれるわけない。
天国のひまわりにとって、自慢の相棒じゃないと…自慢できるような姉じゃないと…
ひまわりが最後の最後まで頑張ったように、私も頑張らなくちゃ、会える訳がない。
いや、会う資格がない。
頑張らなくちゃ、一生懸命生きなくちゃ、ひまわりのように…。
そう思った。
なぜか、突然。
導かれるように、この結論に達した。
きっと、ひまわり、あなたからのメッセージなんだよね。
ありがとう
ねぇねは、頑張るよ
あなたのように
ひまわりに誓ったこと
あなたにしてあげられなかったことを、してあげなかったことを、してあげたかったことを
私なりの方法で実行にうつしていくね。
ありがとう、ひまわり
大好きよ、ひまわり