「Fラン大学卒に未来はないと

言われているのを見ました。

本当なのでしょうか」。

学歴と社会の評価を考える

 

ダイヤモンド・オンライン

 

 「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。

 

 ● Fラン大学卒に未来はない? 

今、「Fランク大学」という言葉が社会のキーワードになっています。いい言葉ではないがゆえに、当事者たちが自分の未来に不安を抱えているケースも出てきているように感じます。Fラン大卒の将来は厳しいのでしょうか。  

びーやま氏(以下:びーやま):むずかしい質問ですね。きれいごとを言っても仕方がないと思うので、はっきり言いますが、高学歴の人に比べたらきびしくはあると思います。ただ、諦めるほどでもないというか、学歴は大事ではあるものの、世の中のすべてを決めうるものではないので、今からしっかり準備をして逆転をしてほしいですし、社会で逆転する方法も確実にあります。  

どういうことでしょうか。詳しく教えてください。  

びーやま:まず、この社会は学歴社会である以前に実力社会です。大人になってキャリアを積むうちに学歴なんてものよりも、「なにを成し遂げたか」という成果が重要視されるようになります。  

でも、学歴は新卒採用などでかなり重視されていますよね。  

びーやま:それはスタート地点に差があるだけです。東大卒だったら先頭集団からスタートですし、いわゆるFラン大卒だったら最下位からのスタート、ただそれだけです。  その後のレースで逆転は起こり得ますし、高学歴でも油断して脱落する人もいれば、低学歴でも実力で順位を上げていく人もいます。ゴールに着けるかどうかはまた別の話で、学歴がキーファクターになるわけではありません。そうでなければ世の中の経営者や有名人に低学歴な人もいることに説明がつきません。

 

● 「実績>学歴」の社会  

なるほど。じゃあ、仮にFラン大卒でも活躍は可能なわけですね。  

びーやま:そういうことです。現状に悲観することなく、やることをやればいくらでも人生での逆転は可能です。 もちろん、途中で悔しい思いをすることもあるかもしれませんが、それもエネルギーに変えて努力すればいいでしょう。  

具体的にはどのようなことをしたらいいのでしょうか。  

びーやま:ひとつは資格などが挙げられますよね。現在Fラン大に通っている大学生がいたとしても難関資格をひとつ保有していれば、「努力できる」「勉強する能力もある」というのは表現できますからおすすめです。社会に出てからは結果にこだわればいいと思います。世の中は結果を出す人に優しいですからね。それは転職市場を見ていても明白で、新卒では大手企業が無理だった人も、実績を出したあとに転職で一流企業に入るのは珍しくありません。ただ、ひとつ注意点もあって、その場合は「誰が見てもわかる成果」であることです。「頑張った」とか、「努力できる」とかではなく、客観的に判断できる成果でなければ、評価がしづらいですから、そこだけ意識してほしいと思います。逆を言えば、それだけで社会的な評価は得られると思います。  

諦めたらダメですね。  

びーやま:そうですね。諦めてなにか変わるならいいですが、そうじゃないですから。しかも、現状に悔しい思いがあるなんて、すごくいいことですから、「Fラン大だとバカにしてくる人たちを見返す」くらいの気持ちで、努力を積み上げてほしいです。それで成果を出すのはすごくかっこいいことです。  

ありがとうございました。勉強になりました。 

 

 

びーやま[著] 教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。早稲田大学教育学部卒。高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。 高田ふーみん[協力] 教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。京都大学経済学部中退(現役合格)。学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。決め台詞は「Fランやないか」。

 

 

 

 

 

びーやまとかいうやつがこういう「生業」で飯が喰えてること自体がおかしい。

社会は、歪んだ価値観に縛られて、病んでいる。親の経済力の格差が子どもの学力にも大きく反映されているという。今に始まった話ではない。親の敷いたレールに乗せられて、幼い頃からの塾通い。「自分で選び、自分で決めた道を進んでゆく」という主体性がないまま、上っ面の受験テクニックを体得して大学だけはまずまずのランクのところに収まる。悲しいかな、それだけの犠牲を払っても尚、報われない人も当然いるだろう。一方、経済力や教育の重要性への意識の薄い親の下、育った子ども。よい教育環境にいない彼らの中にも這い上がってくるものは確実にいる。

ともあれ、世の中は学歴だけでは推し量れないような厳しい実力社会になっている。AIにパイを奪われて、職業の選択肢も狭まっている。この流れは変わらない。

学歴偏重という価値観の上に成り立っていた塾という業界も淘汰され、引いては、塾そのものが消滅してしまう日がやってくるやもしれない。内心、それを願っている自分がいるのを否めない。

塾は、子どもの主体性を奪い、能動的には行動できないような、為政者に都合のよい、「指示待ち人間」を作る大量生産所のように思える。

学校 - そもそも「ここ」自体がもうヤバくなっているようだが - で勉強して、部活して、疲れた身体をリフレッシュして、本来は「自分で主体的に、能動的に行動すべき」時間に、バカ親に尻を叩かれて、眠い目をこすっての塾通い。こんな生き方に疑問を持たないとしたら、それは確実におかしい。

歪んだ教育、歪んだ価値観等と相まって日本という国は、病んでいる。人が社会を創り、社会は人によって創られる。病んだこの国は、病んだ人々によって構成されている。まともな神経では、渡ってゆけない。治安もどこまで悪くなるのだろう。

この状況はまだまだ序章に過ぎない。今からが「始まり」のようだ。