70キロ級・新添左季 敗者復活戦で涙

28歳 初五輪メダル届かず

「情けない気持ちでいっぱい」

 

女子70キロ級、敗者復活戦で敗れ、涙する新添左季

 

◇パリ五輪第6日 柔道(2024年7月31日 シャンドマルス・アリーナ)  

女子70キロ級の新添左季(28=自衛隊)は31日、敗者復活戦でアイ・ツノダロウスタント(22=スペイン)に敗れ、初出場の五輪の舞台はメダルなしで終わった。

 

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準々決勝で一瞬の隙を突かれ敗れた新添が、気持ちを切り替え挑んだ舞台でも力を出せなかった。両者決め手なく延長戦へ。しかし、先に仕掛けてくる相手にうまく対応できず無念の指導3つ目が示され、新添のパリ五輪は終わった。  畳を下りると涙を堪えられず。「内定をいただいて1年ちょっとあったんですけど、本当に…毎日苦しくて、金メダルを獲るために頑張ろうと思っていたんですけど…獲れなくて本当に情けない気持ちでいっぱいです」「不安で自分の力を発揮する、優勝するっていう気持ちがみんなより負けていたかもしれない」と声を絞り出した。  

日本勢が2連覇中だった女子70キロ級。田知本遥、新井千鶴の後に続いたのは、小学校低学年時代の団体戦で、「先鋒(せんぽう)に選ばれたんですけど、試合に出たくなさ過ぎて逃げた」という逸話を持つ新添だった。  

数々の五輪王者や名選手を輩出した天理出身。しかし在学当時に女子の特待制度はなく、部員には白帯の選手もいた。12年ロンドン五輪前、男子100キロ級代表の穴井隆将(現天理大監督)の壮行会には高校の柔道部員の立場で出席。教団施設の大会場の末席から、最前列でたくさんの招待客から激励を受ける主役を眺めていた当時は、「私が五輪に出られると想像もしていなかった」という。それでも女子柔道屈指の名門である山梨学院大に進むと、勝負の厳しさを叩き込まれ、才能を開花させた。元々持っていた内股に磨きをかけ、海外選手に負けない体格も武器になった。自衛隊入隊後も着実に力を付け、2度目の挑戦だった昨年の世界選手権で初優勝。阿部兄妹らと同じく最速でパリ五輪代表に内定した。しかし、初の大舞台で力を出し切ることができなかった新添。日本が強さを示してきた階級で、無念のメダルなしとなった。  

 

◇新添 左季(にいぞえ・さき)1996年(平8)7月4日生まれ、奈良県橿原市出身の28歳。6歳で柔道を始める。天理中―天理高―山梨学院大―自衛隊。女子70キロ級で世界選手権は22年タシケント大会3位、23年ドーハ大会優勝。1メートル70、左組みで得意技は内股

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勝者の陰に敗者の涙。
人生、山あり、谷あり。
無駄なことはひとつもない、やがて、実を結ぶ。
勝負事は、ちょっと性格が悪い位が ... (笑)。
& 鈍感力も含め、メンタルのが強いひとが勝ち。
日本の柔道と国際柔道は、明らかに異なる。
いさぎよく「一本」と「技あり」だけでいいんだよ。
細かすぎることが、柔道の醍醐味をなくしてる気がする。
「昔」の柔道が一番いい。古き良き日本の柔道 ... 。柔よく剛を制す。今の柔道はつまらない、とりわけ、国際柔道。パワー柔道、食傷気味。
因みに、俺が高校のときに柔道のルールが細分化?され、「有効」だぁ、「効果」だぁとつまんないポイントが新設定され、俺もこの新ルールの犠牲者に?!(笑)。