蛭子能収さん
認知症になって変わったこと
変わらなかったこと
もし家族が認知症になったら#1
2020年に認知症を公表した漫画家・タレントの蛭子能収さん。ご本人と妻の悠加さんに、介護や暮らしの変化などを聞いてみました。家族が認知症になったときの備えとあわせて、3回に分けてお届けします。
夫婦仲が最悪 認知症発症前
※インタビューは2022年11月に行いました。
2020年に認知症であることを公表した漫画家・タレントの蛭子能収さん。 デイサービスやショートステイなどを利用しながら、妻・悠加(ゆか)さんと二人で暮らしています。認知症の介護、そして夫婦の関係について尋ねると、悠加さんから「実は認知症を発症する前が、一番夫婦仲が悪かったんです」と意外な答えが。 「主人はとにかくギャンブルが好き。休日や仕事後もすぐギャンブルに行ってしまいます。でも前の奥さんを亡くした主人は、私が不満をもらすと『前の女房はそんなこと言わなかった』が口癖。当時は離婚も考えていました」(悠加さん)
2014年に軽度と診断されて
そんな日々が変わるきっかけになったのが、蛭子さんの認知症の発症でした。14年に軽度認知障害と判断され、17年頃から症状が悪化。睡眠中に大声を出して隣で眠る悠加さんをげんこつで叩き、自律神経の乱れから、夜中に下着を替えなければならないほど汗をかくように。トイレに行くと、寝室への帰り道がわからなくなってしまいます。 そうした蛭子さんのケアのために、悠加さんはろくに眠れない夜が3年以上続きました。 蛭子さんのマネージャーの森永真志(もりなが・まさし)さんは当時をこう振り返ります。「蛭子さんは仕事になるとスイッチが入るので、カメラの前の姿は変わりませんでした。昔から蛭子さんは人の名前を覚えず、今日が何曜日か興味がない。そんな“天然キャラ”もあり、多くの人は変化に気付きませんでした」 活躍する蛭子さんのイメージを傷つけないようにと悠加さんは一人で介護を抱え込み、入浴介助の負担などからひざの半月板を損傷するほどでした。
アルツハイマー型認知症を公表へ
病院で認知症の診断が出たのが20年でした。そこで蛭子さん夫婦と事務所は話し合い、悠加さんの負担を軽くするためにも認知症を公表し、その上で仕事を続けることになりました。 そこには認知症のためにできないことがあっても仕事を続けたいという蛭子さんの思いもありました。 「やっぱり自分でお金を稼ぎたい。認知症の今も、生きている実感が欲しいです」と蛭子さんは話します。
■蛭子さんと認知症の付き合い
●2014年 軽度認知障害と診断される
●2017年 夜中を中心に、認知症の症状が出始める
●2020年 アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症と診断を受ける。認知症を公表。現在に至るまでシ
ョートステイやデイサービスを利用しながら、妻・悠加さんと自宅で暮らす。次回は、認知症公表後の蛭子
さん夫婦の変化、蛭子さんが今一番大切にしていることなど語ります。
蛭子能収さん 1947(昭和22)年生まれ、長崎県出身。高校卒業後、看板店、ちり紙交換などの職業を経て33歳のときに漫画家に。タレント、俳優、エッセイストとしても活躍。近著に『おぼえていても、いなくても』(毎日新聞出版刊)。 悠加さん 蛭子能収さんの妻。週刊誌「女性自身」のお見合い企画をきっかけに3年半ほどの交際を経て2007年1月に結婚。趣味はお寺や神社を参拝すること。蛭子さんのケアをしながらともに自宅で暮らしている。 取材・文=大矢詠美