国会に出て来い、裁判所で証言しろ

晩節を汚す森喜朗元首相

政治学者 「本気で研究すべき」

 

 

 

 これほど晩節を汚した元首相、聞いたためしがない。今、多くのメディアが森喜朗元首相の参考人招致や証人喚問を巡る報道を行っている。この稿では、その中から2つの新聞記事に注目してみたい。

 

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 1つ目は毎日新聞が3月5日の朝刊に掲載した社説「岸田首相と裏金国会 真相の解明はこれからだ」だ。  毎日新聞は社説で、国会は裏金作りの全容を解明し、再発防止のために政治改革を実現する必要があると主張。政治倫理審査会こそ開かれたが、裏金作りの実態が明らかになるどころかむしろ疑問が膨らんだと批判した。  自民党の安倍派は政治資金パーティーを開いた際、収入の一部を所属議員に還流。それが裏金になった。幹部会は、一度は還流廃止を決めながら、後に復活させている。  なぜ復活させたのか、政倫審の質疑でも真相は明らかにならなかった。毎日新聞は社説で《派閥会長だった森喜朗元首相の国会招致も検討すべきだ》と訴えた。当然の主張だろう。2つ目は共同通信が3月3日に配信した「森元首相に証言要請、五輪汚職で 高橋被告、自らの権限否定」との記事だ。  東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、大会組織委員会元理事の高橋治之被告は受託収賄罪に問われている。  高橋被告は共同通信の取材に応じ、森氏の証人尋問を訴えた。こちらは国会での証人喚問ではない。東京地裁の法廷に立ち、真相を明らかにしてほしいというのだ。

森首相誕生の疑問

 高橋被告は日本の首相経験者に対し「裁判で本当のことを言ってほしい」と要望したことになる。担当記者が言う。 「五輪汚職事件の裁判で、東京地検は森氏の証言を元に『高橋被告は森氏からマーケティング担当理事としてスポンサー集めを任され、組織委に働きかける権限があった』と主張しています。ところが、高橋被告は共同通信の取材に『(スポンサー集めは)任されていないし、聞いたこともない』と真っ向から森氏の証言を否定しています。つまり、森氏は裏金事件では国会での証人喚問、五輪汚職事件では法廷での証人尋問が、共に求められているというわけです。こんな元首相は日本の憲政史上、前代未聞と言っていいでしょう」  政治アナリストの伊藤惇夫氏は「森さんが首相の座に就いたという事実は、欧米ではあり得ない、日本の政治システムにおける特異性を象徴しているのではないでしょうか」と言う。 「森さんは自分で首相の座を勝ち取ったわけではありません。2000年4月、首相だった小渕恵三さんが病に倒れ、5月に死去しました。自民党は総裁選を行わず、幹部による話し合いで幹事長の森さんを後継に選んだと多くのメディアが伝えました。この報道が事実だったとしても、『なぜ森さんが選ばれたのか』という根源的な疑問は残ります」

 

あだ名のない元首相

 普通、大物政治家には特定のイメージがあり、類型化も可能だという。例えば、田中角栄氏が「コンピュータ付きブルドーザー」なら、小沢一郎氏は「剛腕」という具合だ。  梶山静六氏や野中広務氏など政局に強いと評判の政治家は「軍師」と呼ばれることが多かった。「政界きっての知性派」と言えば大平正芳氏や宮澤喜一氏の名が浮かぶ。安倍晋三氏は首相になる前、「ボンボン育ちの世襲政治家」の代表と見る向きが多かった。 「ところが、森さんの場合、類型化が難しいのです。表層的なイメージなら豊富です。政界では『座持ちのいい政治家』として知られていました。先輩の政治家は徹底して立て、後輩には睨みを利かせます。人たらしで、大手新聞社でも森ファンというベテラン記者は結構いました。その中の一人に理由を聞くと『大病した時、わざわざ見舞いに来てくれた』と打ち明けてくれました。森さんが人心収攬(しゅうらん)に長けていたことが分かります。とはいえ、“寝業師”とか“カミソリ”とか、政治家としての特徴を端的に表現するようなあだ名が森さんに付けられたことはないのです」(同・伊藤氏)  森氏は「ノミの心臓、サメの脳味噌」と呼ばれたことがあるが、これは揶揄の要素が強く、人口に膾炙したあだ名とは違うだろう。  ちなみに伊藤氏が初めて森氏を間近で見たのは、自民党の党本部だったという。

リクルート事件にも関与

 森氏は1993年から95年まで自民党幹事長を務めた。伊藤氏が党職員を辞したのは94年で、その前に幹事長だった森氏と党職員が懇談する場に伊藤氏も出席した。 「党職員が口々に『あの時の発言は正鵠を射ていましたね』とか『テレビのインタビューを拝見しました』と森さんにお世辞を言うわけです。普通の政治家なら謙遜するはずですが、森さんは『だよな』という顔で座っている。ちょっと珍しいリアクションで、強く印象に残りました。その後はかなり後年になってから、私がテレビにも出演するようになった頃のことです。ばったり新幹線で会いました。通路を挟んで隣に森さんが座ったのです」(同・伊藤氏)  森氏は伊藤氏に気づき、「あなたは党の事務局長を経験しているからテレビのコメントも正論だよ」「あなたの本は全部読んでいるからね」などと話しかけてきたという。伊藤氏は森氏の話に応じながら、「こうやって森さんは色んな人たちのハートを掴んできたんだな」と改めて実感したという。 「森さんの人生はスキャンダルが多かったと言われます。自叙伝を出版すると『早稲田大学は裏口入学。産経新聞はコネ入社で、日本工業新聞社に配属されたと堂々と書いてある』と話題になりました。1988年のリクルート事件では、かなり早い段階で未公開株の譲渡が報道されました。森さんが党の調査から逃げ回っていたのを、職員だった私はつぶさに見ています。その後も森さんと“カネ”を巡る疑惑は水面下で何度も囁かれてきました」(同・伊藤氏)

日本特有の政治システム

 森氏が首相に就任したのは2000年4月。だが、翌月に「神の国発言」が飛び出すなど舌禍が相次いだ。また、01年2月にえひめ丸事故が発生した際、ゴルフのプレーを続行したため非難が集中。内閣支持率は急落し、同年4月に森内閣は総辞職した。 「森さんは党内権力を喪失しても不思議ではありませんでした。ところが、首相を辞めても一定の影響力を保持しました。安倍派に直接、指示を下すこともあったのです。背景の一つとして、政治資金をそれなりに確保していたことが挙げられるでしょう。09年の西松建設事件では森さんも多額の献金を受けていたことが発覚し、400万円の返還を発表しました。お世辞にもカネに綺麗な政治家だとは言えません。派閥の裏金問題や五輪汚職事件で名前が出てくるのは当然だと思います」(前出の記者)  伊藤氏は「森さんの政治家人生を改めて振り返ると不思議なことが多く、論評は私の手に余ると思うことさえあります」と言う。 「どう考えても森さんは首相になれる人ではなかった。彼が日本の最高権力者となったのは、日本にしか存在しない特有の政治システムが影響したのではないかと考えてしまうのです。その『日本特有の政治システム』とは何か、私には分かりません。政治学者など専門家に研究してもらい、システムにおける特異性を解き明かしてほしいと願っているほどです」

次は総選挙

 裏金問題を徹底的に究明するためには、森氏を国会で証人喚問することは絶対に必要だという。だが、実現の見込みは低いようだ。 「参考人招致は偽証罪の規定がありませんから、虚偽証言の懸念が生じます。安倍さんは亡くなられましたし、派閥の会長を務めた小泉純一郎さん(82)も派閥の資金について無関心だったはずです。やはり安倍派の裏金問題を原点から語れる政治家となると、森さんしかいないのです。自民党が証人喚問を求めてもいいはずなのですが、党は森さんを全力で守ると決めたようです。こうなると次の話は総選挙ということになるでしょう。有権者がこの問題を忘れずに自民党へお灸を据えるのか、それとも忘れてしまって棄権したり自民党に投票したりするのかということになるんだろうと思います」(同・伊藤氏)

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