「本当に卑怯」

「試合に勝って勝負に負けた」

逃亡生活50年に集まる衝撃

 

 

1月29日、1970年代に起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、「東アジア反日武装戦線」のメンバー・桐島聡を名乗った男が、病院で死亡したことがわかった。男は、末期の胃がんと診断を受けていたという。 

各紙報道によると、男は「ウチダヒロシ」という名前で、神奈川県内の工務店で数十年にわたり住み込みで働いていたという。1年前に末期の胃がんと診断され、2024年1月に入って神奈川県鎌倉市の病院に入院していた。当初は偽名で入院していたが、1月25日、病院から神奈川県警に「桐島容疑者を名乗る男がいる」と通報が入った。身柄を確保されたのち、男は「死ぬときくらいは本名で死にたい」と関係者に話したという。  桐島容疑者の指紋やDNAは残っていなかったため、本人確認には時間がかかるとみられていた。そんななか、29日、病院で男の死亡が確認されたという。  

桐島容疑者は、1975年4月、東京・銀座の韓国産業経済研究所の入り口ドアに手製の時限爆弾を仕掛け、翌日に爆発させたとして、爆発物取締罰則違反の疑いで指名手配されていた。逃亡生活は50年近くで、警視庁が重要指名手配に指定する容疑者の中では、逃亡期間がもっとも長い。交番に貼られたポスターで、顔写真を目にしたことのある人は多いだろう。男が桐島容疑者だった場合、50年近い逃亡生活をほぼ完遂させたことになる。それだけに、確保から4日で死亡という急転直下の展開に、Xでは「勝ち逃げ」というワードがトレンド入りし、衝撃を受ける声であふれかえった。 

《桐島聡勝ち逃げだよほんと、警察完敗やな…最fは自分の名前でって勝ち確宣言みたいなもんやろこれ》 《桐島容疑者上手い具合に逃げ切ったみたいな感じになってしまったな。》 《本当に卑怯だな 捕まったと思ったらすぐ死ぬなんてやりきれない もう少し生きて己の犯罪行為を反省してほしかった》  

いっぽう、実際の逃亡生活に思いをはせ、けっして「勝ち逃げ」ではなかったのではないか、と疑問を呈する声もある。 《自称、桐島聡容疑者が亡くなったかー…。勝ち逃げとか引用RTあるけど、偽名で逃げて保証人もなく福祉にも頼れないから、住み込みで何十年も働いて、保険使えずボロボロの末期ガンで病院に実費で入院→死亡、「試合に勝って勝負に負けた」みたいな。逮捕されて刑務所の方が、マシな生活だったのでは》 《桐島聡、「勝ち逃げ」という指摘も出てるけど、50年間コソコソ逃げ回る生活、街角にはお尋ね者のポスター、ろくに医療も受けられないまま70歳で末期がん。この人生は「勝ち」だろうか。》今後、警察は、男の身元が確認できれば、容疑者死亡で書類送検する方針だという。

 

 

 

その2

49年逃亡事件当事者が語る

「すごく罪深い」

「どういう人生だったのか知りたい」

 

 駅などに張られたポスターで知られる、重要指名手配犯の桐島聡容疑者を名乗る男が、約50年の逃亡期間を経て、姿を現した。 【映像】“血痕が…” 元三菱重工社員が語る爆破事件当時の様子

 神奈川県内の病院に入院していた男が「自分は桐島だ」と名乗り、警視庁公安部が身柄を確保した。男は身長160センチほどで、桐島容疑者と同じ背格好。神奈川県内の工務店に勤務していたが、2週間ほど前に緊急搬送され、保険証を示さず自費診療を受けていた。末期の胃がんを患っており、「最期は本名で迎えたい」といった趣旨を話しているという。

 

 

そもそも桐島容疑者とは、どんな事件を起こした人物なのか。1974年8月、東京・丸ノ内の三菱重工業ビルの玄関前で、爆弾の爆発事件が起きた。爆弾事件としては過去最大の被害で、8人が死亡、380人が重軽傷を負った。現場近くで爆発音を聞いたという元三菱重工社員は、「ロビーがとにかくすごかった。血痕がずっと通路に流れ出ている。人が動いていない」と当時を振り返る。このほか、1974年から1975年にかけて、12件の連続企業爆破事件が起きた。これらを起こしたのが、極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」。そのメンバーだった桐島容疑者は、アジトの床下で爆弾を製造していたとされる。1975年に容疑者8人が逮捕されるが、桐島容疑者は逃走。1975年5月23日に爆発物取締罰則違反容疑で、全国に指名手配された。共犯で逮捕されたメンバーには、1977年のハイジャック事件による「超法規的措置」で釈放されたのち、国外逃亡した者もいる。国外逃亡者に加えて、共犯者も時効停止されるため、桐島容疑者の指名手配は今も有効だった。

 

 

過去の長期逃亡犯としては、松山ホステス殺害事件の福田和子元受刑者(逃亡15年)、オウム真理教元信者の高橋克也受刑者(17年)、過激派「中核派」の大坂正明被告(46年)などがいるが、入院中の男が約49年逃亡を続けた桐島容疑者と特定されれば、過去と比べても異例の逃亡劇となる。男の身元は現在、警視庁公安部で確認中だ。元警視庁公安部の勝丸円覚氏は「おそらくDNA鑑定になる」とみている。

「両親、兄弟、おいっ子、めいっ子。協力を得られるかどうかは別問題。時間がかかる。これだけの期間、逃げおおせたということは、必ず支援者、資金援助、住民票・戸籍偽造の可能性がある。犯人隠避、公文書・私文書偽造の共犯者がいる可能性が大きい」

先の三菱重工社員は、男確保の一報を受けて「すごく罪深い」と語る。「亡くなった人は、まったく関係ない通行人。(逃亡中の)50年間の彼の人生はどういう人生だったのか、興味深いというか知りたい」。  

入院していた男は「ウチダヒロシ」を名乗り、長期間にわたり神奈川県内に暮らし、藤沢市内の工務店で働いていたことがわかっている。また、桐島容疑者本人しか知り得ない事件の詳細や家族の情報についても具体的に話していたという。  

桐島容疑者が所属していたのは、どういった組織なのか。文筆家の古谷経衡氏は、1960年代から1970年代にかけて、既存の左翼活動を「生ぬるい」と感じる勢力が出現したと解説する。 「選挙で議席を増やすのではなく、暴力に訴えて、場合によってはテロをしてでも革命するという『新左翼』が出てきた。この一派が『東アジア反日武装戦線』。連合赤軍が1972年に起こした、あさま山荘事件を見て、『都市型のテロじゃないとダメだ』と、東アジア反日武装戦線が出てきた」(古谷経衡氏)  

グループ内には「狼」「大地の牙」「さそり」の3つがあり、桐島容疑者は「さそり」の一員。リーダーである大道寺将司元死刑囚は、すでに病死しているため、古谷氏は「桐島を含め、逃亡しているのが、最後の生き残りと理解している」と語った。元徳島県警警部の秋山博康氏は、まず被疑者の特定が重要だと語る。その手段としては通常、指紋とDNA鑑定の2パターンがあり、指紋はアジト捜索で採っていると思われるが、事件当時はDNA鑑定が普及していなかったため、「ご両親や兄弟が健在であれば、唾液を採る」といった可能性を示した。

 

その3

捜査員 - 後味悪い  遺族 - 終わってない

 

 

高校時代の桐島聡容疑者=卒業アルバムから

 

 「内田洋」という男が偽名だと明かしてから4日。連続企業爆破事件の桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、死亡した。1970年代に日本社会を震撼させた事件から半世紀。「最期は本名で」と突然告白した男は、公開の場で語らないまま去ることになった。 

連続企業爆破事件の捜査に携わった元警視庁捜査員の男性は、桐島聡容疑者(70)と名乗る男の死亡について「大変残念だ」と語った。男性は当時、東アジア反日武装戦線のアジトやメンバーの居住先の捜索や行動確認などの捜査にあたった。警視庁公安部が75年5月にメンバー8人を一斉逮捕した時点で、「他に2人いる」とみていた。それが桐島容疑者ら「さそり」のメンバーで、うち1人はその後逮捕された。男が事情聴取を受けたとの一報を耳にし、関与が疑われるメンバーのうち桐島容疑者だけが一度も逮捕されていないことから「最後の者に手が届き、当時の事件のことがある程度分かっていくだろうと期待した」と言う。それだけに死亡については「後味が悪い」と話す。 

■「逃亡容疑者の逮捕を」 被害者遺族  

事件では、大道寺あや子(75)、佐々木規夫(75)の両容疑者が「超法規的措置」により国外に逃亡したままだ。男性は「警視庁は(桐島容疑者が)事件後に2人と接触していた可能性も含め足取りの捜査を徹底し、事件の全容解明に努めてほしい」と話した。連続企業爆破事件の一つ、三菱重工ビル爆破で犠牲となった同社社員石橋光明(てるあき)さん(当時51)の長男、明人さん(63)も更なる捜査を求める。三菱重工の事件では「東アジア反日武装戦線」の大道寺あや子、佐々木の2容疑者が逃亡を続けていることを挙げ、「遺族からすると事件は終わっていないし、何も変わっていない。私の年が進んだだけだ。2人の逮捕を望むのに尽きる」と話す。