原因不明の病と闘う 母と家族の闘病日記
こんばんは。
バタバタして更新が遅くなりました。
お盆から1ヶ月以上神奈川に
行きっぱなしだったので
一旦九州に帰ることに。
佐賀に到着。
旦那のお母さんが駅まで
車で迎えに来てくれた。
「○○(姑)さんお迎えありがとう!
娘のこととか色々ごめんね〜」
「うん。もう限界。」
え?
意外な返答だった。
いつも明るい姑さん。
いいのよー○○ちゃんいい子よー
それよりお母さんどうね?
そんな回答を期待してたから
私も旦那もビックリして無言になった。
落ち着いて考えてみると
娘をいついつまでと言わず
預けて約3週間が経っていた。
毎日毎日がいっぱいいっぱい。
預けっぱなしで安心してしまっていた。
姑さんは遺産相続やお墓の問題で
家族とも揉めており
それに赤ちゃんを長期間預けたから
鬱状態になってしまったようだった。
涙が止まらなかった。
実の母が病気で倒れて
義理の母までそんな状態にしてしまった。
ごめんね。
さて、10月に入り
腎臓生検の結果が出た。
同時に後腹膜の病名もついた。
【後腹膜線維症】
国内はおろか世界でも
症例が少ない難病。
【ネフローゼ症候群】
これまた難病。
とりあえずわかって良かった。
のか?
でももう一つなんか病気があるらしい。
まだあるのかい。
それもまた難病なのかい?
心はもうぐじゃぐじゃよ。
助けて。
命がけの腎生検からもうすぐ1週間。
まだ結果は出ていない。
腎生検の後は絶対安静。
寝返りもダメ。横を向くのもダメ。
腰を浮かすのもダメ。
食事は勿論水を飲むのも大変。
元々足が麻痺した母は
動かないということは
そこまで難しくないようだった。
ある日。
血尿が出た。
足が不自由な母はポータブルトイレで
用を足している。
毎回補助をするのだが
いつもと違う。
血尿というかほぼ血?真っ赤。
その後下痢もひどくなった。
4人部屋でのポータブルトイレ。
元々気を遣うタイプの母は
毎回毎回トイレの時間を嫌がった。
見知らぬ人との合同部屋。
カーテンだけで仕切られた空間。
しょうがないとは思いながらも
可哀想だった。
下痢が治まらないので
便を検査することになった。
「感染症の疑いがあるので部屋を移動します」
まだ病名わからないのに新たな病気?
3連休に入るので生検の結果も
時間がかかるとのこと。
何が3連休だ。
東名が混むので病院までの道のりも
2時間かかる。
病人に休みなんてない。
1分1秒でも早く治療したいのに。
早く母が治って
福岡に帰って
旦那と娘との日常生活に戻りたい。
いつもの時間に戻して。
2時間にもおよぶ腎生検の後、
処置室の扉が開いた。
ぐったりとした母。
元の病室へと運ばれた。
15分程した後
母の容態が急変した。
「痛い痛い痛い!」
何何何!?
痛い痛い!先生呼んで!痛い!
麻酔が切れたのか泣き叫ぶ母。
助けて!痛い!誰か!助けて!
最初何が起きたかわからなかった。
バタバタと看護師さんがかけつける。
「先生呼んできますね」
待ってる間もずっと叫んでいた。
助けてー!痛いよー!もう無理!
痛い痛い痛い痛いー!!!
まるでドラマの出産の時のようだった。
先生がやっときた。
先生、早く助けて!助けてよー!
死んじゃうよー!痛い痛い痛い!
先生が医療麻薬を最大値まで増やした。
それでも効かない麻薬。
母は涙を流しながら叫ぶ。
もう無理! 痛い!頑張れないよー!
死なせて! 楽にして! お願い!
そこまで痛いものかと
代わってあげたいと
ついつい泣いてしまった。
残念ながら付添は私1人。
どうしていいかわからなかった。
お願い!青森のおばあちゃんに
仏壇に拝むように言って! 早く!
藁にもすがる思いで母は叫んでいた。
別室で青森のおばあちゃんに電話した。
状況がわからない様子だったが
わかったと電話を切った。
病室に戻るとお守りの入った
巾着を手にはさんで祈るように
お経を唱えていた。
何かに取り憑かれたのか。
ただただ痛いのか。
それでも治まらない母をみて
先生は医療麻薬をフラッシュした。
効いてきたのか少しぐったりとしてきた。
あーびっくりした。
本当にびっくりした。
でも先生はバイタルが安定していたので
いたって冷静に対応していた。
このまま死ぬのかもしれない。
そう思うほどの苦しみ方。
未だにわからない病名。
ここまで苦しんでした腎生検は
まだ検査。
スタートラインにも立てていない。
お願い。病院の先生方。
もう転院する体力は母にはありません。
早く早く助けて下さい。
神様神様。寿命を延ばす方法があるなら
教えて下さい。
なんでもするからお願い
早くママとおうちに帰りたい

