ありがとうを2万回言うと涙があふれて止まらなくなる。これは小林正観さんがおっしゃっていたことで 久しぶりにこの話を聞いた。
さとうみつろう君曰く 日本語の波動は心が癒される言葉で中でも ありがとう はとっても良くて その音が体に入ってくることで 安定の波動が生まれてきて 心地よい状態でいられる。ということです。
自分が言うのもいいんだけど 人から言われて自分の耳で聞いた音が体に入ってくるありがとうの波動を浴びることは もっともっと気持ちよく波動が上がるという事でした。
ありがとうを言ってもらえる事をどれだけできていただろう
嫌われたくないとか いい人に思われたいなんて言う気持ちはあったけど その人のために何が出来るんだろうという素直な気持ちで 自分のことを忘れてやってしまうそんな行動はしたことがなかった。
そうか 今までやってきたことはすべて 自分の為だった。困っている相手がいる時に 私はここで何かをしたら良い人だ 何もしなかったら冷たい人と思われるので そう思われないために 頭で考えてこのくらいしておけばいいかという考えだった。
だから 今思うと人のために役に立つことが出来たという喜びもないし 達成感もないまま ただうまく乗り越えたなくらいの思いだった。
口では分かったようなことを言って でも実際の私がしていることは 言っていることとは全く違っていたんだ。うわべの形をなぞって形だけいい事をした気になっている という何でも知ってる風に見せている 口だけばあさん だ。
こんな風に分析することもよくないのかもしれないけれど 今は 口だけ婆さんがほとほと嫌になっているので 脱却するために 自分のことを誰からも好かれるいい人と思うのをやめて ドジで間抜けな亀 だという事にいったん落ち着こう
(そういえば 中学のあだ名は亀で 友達と3馬鹿トリオと呼ばれていた)
その頃はバカなことしかやってなかった でも楽しかった思いでしかない。あれでいいんだなきっと もうこんな年だし何をやっても誰も何にも言わないし 馬鹿でいいんだ。
あの頃みたいに 何も考えずに目の前のことだけをただやって また次に来たことをやって それで気が付いたらいつの間にか死んでた これがいいな。
お日様いつもありがとうございます。そんな訳でこれからも
照らし続けてください 共にいます。
