利他と言うのは 理解して大切だと思って行動もした。ただ私の場合は利己主義を悪い事だと植え付けられていたために

怖れからの行動だった。

 

利他は前提だけれど それをしていれば安心安全というものではない (私は安心安全のためにやっていたっぽい。)

 

 

どの層に注ぐかが大切 自分が少しでも浮き上がるために注ぎやすい相手に つまり自分より困っている人にいい事をしてあげたよ的な それで私はワンポイントゲットしていい気分になって これで運気も上がるし安心だと思っていた。

 

困っている人に自分のできる範囲で 少し無理をしてでも見栄を張って注ぐというのは、順番が違うと言われた。まず初めに自分のエネルギーすべてを使って注ぐのは すでに豊かな人 そんな人にどうやったら喜んでもらえるかを一生懸命考えて愛を注ぐ 豊かな人から貰おうとするのではなく ギブするという気持ち、これは考えたことがなかった。

 

いつも私は貧しいので恵んでちょうだい 持ってる人は無い人にあげればいいんだ という思いがあった。これは自分を貶める考えだ。何もできない出来の悪いものだと 言っている。でもこれは 真っ赤なウソだ 本当の私はそんなものじゃない 私だけではなくみんな同じ 素晴らしいんだから

 

今すでに豊かな人にこちらから先に愛を差し出すことは 自分を豊かにしてくれる。くださいくださいという人生から こちらから差し出す人生へのシフト これはすぐ出来る 自分が変わればいいだけだから。

 

まずそこから始めてみよう そして自分で成功体験していく

 

 

幸せだなあ 豊かだなあ やってやれないことはない やらずにできるはずがない

 

久しぶりに斎藤一人さんのこんな言葉が浮かんだ その通り

うれしい 応援してもらってる ありがとうございます。

 

今日は お日様はおやすみなさいの日 雨が降ってます。ゆっくり休んでください。