まず 自分に目を向けて 今あなたはどうしたいの?と聞いてみる。いつも後回しにされていたので急に聞かれても 私も困るわ なんて言っているかどうかは分からないけれど

したいことが分からない。

 

小さい頃は どうしてもあれが欲しい こうしたいがすぐ出てきて これはいやとかあの人嫌いとか いくつもあった。

 

でも おりこうさんだから そんなこと言ったらだめとか いう事聞いたらこれをあげるとか親や周りの都合に合わせることがうまくなって 気が付いたら 今自分が何をしたいのかが 分からないというへんてこりんなことになっていた。

 

今はもう 私を否定する人もいなくなって 好きなようにしてもいいはずなのに したいことが分からないと言う。ということはこれは周りから言われたから しなかったんじゃなくて 自分で勝手に止めていたという事になるなあ。

 

と思い始めて、もう一度元に戻って考え直してみると こうやって命をいただいて 今息をしているこの体は この命のある間 命を燃やして生き続けるためにあるんだという事、

ただそれだけなのに 思考は色々なことを投げつけてきてまるで本当にそこに問題があるかのように 現れてくる。

 

今ここには何もないのに いつもいつもあるように思ってしまう 私の場合も誰も何もないのに 勝手に思い込んで後生大事に 持ち運んでいた。本当にここには何もないのにね

 

あなたは何をしたいの と聞かれて その答えは 何もしたくないし何でもしたい という事になる。つまり何もしなくていいんだ 私が何をしたいのかではなく 体と心のままにある。という事かなと今思っている。

 

 

今朝は久しぶりに 日の出からお日様に会えた。ありがとうございます。会えてうれしい今日もよろしくです。

 

 

すべての善きことが雪崩のごとく起きます。