宣告され、手術をしてから
私達夫婦は
「切ったから、もう大丈夫」
って信じるしかありませんでした。
ステージ4-Bと言われても
それがなんだ、
治るんだっ

盲目的にがむしゃらに
前向きな気持ちでした。
当時は娘っこを産んで
産院から退院したばかりの私。
初めての子育てと
病院への通院で
パソコンも持ってなかったし
病気について調べる時間もなく、
パパの食事と回復だけを考えて
ただその時は必死でした。
退院して、TS-1を飲みだして
パパはダンピング症候群と
薬による心身衰弱で
時に情緒不安定になり、
躁鬱なんじゃないかと心配した時も
ありました。
ひどく怒って家を飛び出され
娘っこと泣いた日もありました。
でも、いつも後になって
優しくされることで、
「反省してるんだろな、イライラして押さえられなかったのは病気のせいだから、仕方ない。薬が終われば、きっとよくなる」
と自分に言い聞かせてきました。
そんな出来事があった後はいつも
パパは私と娘っこをより大事にしてくれました。
パパは、自分はもう治ったんだ
って言いながらも常に不安を
抱えて、覚悟を持って
過ごしてたようです。
告知を受けた時点では
両親に孫の顔を見せられたし
自分にもしものことがあっても…と
思ったんだそう。
一年生きるのを目標に
それが三年に
そして五年が経過しました。
「ママのおかげ。ありがとう。」
「パパは幸せだな~」
毎日のように言ってくれました。
次は十年だ!
って言ってた矢先の今回の再発。
パパは、検査で白黒でない間も
よくないことを考えてる顔をしてました。
私も、レントゲンやCTには
明らかに腫瘍がうつってるのに
血液も腫瘍マーカーも正常に出る検査結果が
五年半前とあまりにも似ている状況で
胸騒ぎを覚えてました。
お互い、その思いを隠しつつ、
私は「大丈夫だよ」って
言うのが精一杯でした。
癌じゃないよ、
たぶん血腫みたいなもんだよ
って前の病院で言われても
信じられなくて、
開腹手術をしたのが6月末。
組織検査結果を聞く
7/20までは、パパは毎晩泣いてたようです。
私は、なんだか気分が
上がったり下がったりで、
でも上手くパパのバイオリズムとずれて
バランスがとれていました。
組織検査で悪性と言われ、
それでも命に別状はないというのが
私を楽天的にさせ、
パパは悪性という事実に
かなり落ち込みました。
7/28に今の病院の主治医に会い、
初めて再発、転移であることを告げられました。
この時も、パパは落ち込み、
私はこれからやっと治療できると
安心さえしていました。
8/3、腹膜播腫と言われたときは
初めて二人同時に崖から突き落とされたような
気持ちだったと思います。
私は娘っこをすぐに迎えに行くことが
できずに家に帰り
一人で号泣しました。
お義父さんとりっちゃんにだけ電話して
ひとしきり泣き、娘っこを
迎えに行きました。
その日、パパも病室で
一人で泣いたにちがいありません。
でも、私に来たメールは
「頑張るよ

でした。
「いんじゃない~!?

と返事をしつつ
私は明け方まで泣きました。
お互いの、言葉は
いつも本当じゃないけど
言葉の裏が見えるようになったのは
この五年半が無駄じゃなかったってこと?
それとも
この五年半で神様は私達夫婦を
試されて、鍛えられたのかしら?
より険しい道を
乗り越えられるように。
とにかくパパと私は
再び闘うことを誓いました。
これから不安だけど
伊達に経験者じゃない

強靭な心臓は持っちゃいないけど
家族のために
絶対負けないもんね

うん、そうだ。
ここに記すことで私は
決意を新たにしているのであります。
みんな、見守っててね
