パパの気持ち、私の気持ち | mayoの徒然日記

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はじめまして。
mayoです。

2012年9月7日に愛するパパが7年間の闘病の末に天国へ旅立ちました。
さとう式リンパケアに出会い、誰でも楽な身体を手に入れられることを1人でも多くの方にお届けしたいと思い日々精進してます^ - ^

五年半前にパパが胃がんと
宣告され、手術をしてから
私達夫婦は
「切ったから、もう大丈夫」
って信じるしかありませんでした。


ステージ4-Bと言われても
それがなんだ、
治るんだっDASH!
盲目的にがむしゃらに
前向きな気持ちでした。


当時は娘っこを産んで
産院から退院したばかりの私。
初めての子育てと
病院への通院で
パソコンも持ってなかったし
病気について調べる時間もなく、
パパの食事と回復だけを考えて
ただその時は必死でした。


退院して、TS-1を飲みだして
パパはダンピング症候群と
薬による心身衰弱で
時に情緒不安定になり、
躁鬱なんじゃないかと心配した時も
ありました。


ひどく怒って家を飛び出され
娘っこと泣いた日もありました。


でも、いつも後になって
優しくされることで、
「反省してるんだろな、イライラして押さえられなかったのは病気のせいだから、仕方ない。薬が終われば、きっとよくなる」
と自分に言い聞かせてきました。


そんな出来事があった後はいつも
パパは私と娘っこをより大事にしてくれました。


パパは、自分はもう治ったんだ
って言いながらも常に不安を
抱えて、覚悟を持って
過ごしてたようです。


告知を受けた時点では
両親に孫の顔を見せられたし
自分にもしものことがあっても…と
思ったんだそう。


一年生きるのを目標に


それが三年に
そして五年が経過しました。

「ママのおかげ。ありがとう。」
「パパは幸せだな~」
毎日のように言ってくれました。


次は十年だ!


って言ってた矢先の今回の再発。


パパは、検査で白黒でない間も
よくないことを考えてる顔をしてました。


私も、レントゲンやCTには
明らかに腫瘍がうつってるのに
血液も腫瘍マーカーも正常に出る検査結果が
五年半前とあまりにも似ている状況で
胸騒ぎを覚えてました。


お互い、その思いを隠しつつ、
私は「大丈夫だよ」って
言うのが精一杯でした。


癌じゃないよ、
たぶん血腫みたいなもんだよ
って前の病院で言われても
信じられなくて、
開腹手術をしたのが6月末。


組織検査結果を聞く
7/20までは、パパは毎晩泣いてたようです。


私は、なんだか気分が
上がったり下がったりで、
でも上手くパパのバイオリズムとずれて
バランスがとれていました。


組織検査で悪性と言われ、
それでも命に別状はないというのが
私を楽天的にさせ、
パパは悪性という事実に
かなり落ち込みました。


7/28に今の病院の主治医に会い、
初めて再発、転移であることを告げられました。


この時も、パパは落ち込み、
私はこれからやっと治療できると
安心さえしていました。


8/3、腹膜播腫と言われたときは
初めて二人同時に崖から突き落とされたような
気持ちだったと思います。


私は娘っこをすぐに迎えに行くことが
できずに家に帰り
一人で号泣しました。
お義父さんとりっちゃんにだけ電話して
ひとしきり泣き、娘っこを
迎えに行きました。


その日、パパも病室で
一人で泣いたにちがいありません。


でも、私に来たメールは

「頑張るよグッド!もう一度ガンに勝っちゃうよ!」
でした。


「いんじゃない~!?グッド!ゆっくりぼちぼち行こう」
と返事をしつつ
私は明け方まで泣きました。


お互いの、言葉は
いつも本当じゃないけど
言葉の裏が見えるようになったのは


この五年半が無駄じゃなかったってこと?


それとも


この五年半で神様は私達夫婦を
試されて、鍛えられたのかしら?


より険しい道を
乗り越えられるように。



とにかくパパと私は
再び闘うことを誓いました。


これから不安だけど
伊達に経験者じゃないDASH!
強靭な心臓は持っちゃいないけど


家族のために
絶対負けないもんねDASH!


うん、そうだ。
ここに記すことで私は
決意を新たにしているのであります。


みんな、見守っててねキラキラ