Avenue du Baobab in Morondava, Madagascar


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またまた少し更新期間があいてしまいましたが、アフリカの旅も無事終わり、現在はスペイン・バルセロナで年越し準備中です。
2年ぶりのスペイン、いつ来てもいいです!酒が安く、生ハムが美味しい!
これだけで幸せになれます 笑
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南アフリカのケープタウンからフライトでヨハネスブルグ経由でマダガスカルの首都アンタナナリボへ。
アフリカ大陸の右側、インド洋に浮かぶこの国は意外にも国土は日本より1.6倍大きく、世界で4番目に大きい島国なのです。


飛行機から見たマダガスカル上空



アンタナナリボ空港を出て、ミニバスを乗り継ぎ宿がある中心街まで出る間にこの国の洗礼を早速受けた。
ひとつ目は言葉。今まで回ったアフリカの国々は英語が結構通じる事が多かったけれど、ここマダガスカルは元フランスの植民地だっただけあって国語であるマダガスカル語の他に話される公用語はフランス語。そしてフランス語圏で良くある事だけど、英語で聞くと「バスどこ?何時に出る?」というような簡単な質問までまったく通じない場合が多い。久しぶりにジェスチャーと筆談が最重要となってきた。

もうひとつはバスや乗合バンへの人の詰め込みの半端なさ。エチオピアの乗合バンも酷かったけど、マダガスカルもこれでもかって程に人を押し込んで走る。3人席は基本5人座るってルールがあるんじゃないかと思うほどの詰め込み用。

マダガスカル、久しぶりに骨のある旅になりそうな予感が初日からプンプンしてました。



宿の前の広場で政治集会が開催されてた すごい人出


翌日からアンタナナリボの街を散策。


坂が多い街で独立広場から市場まで続く階段はなかなかの眺め


市場には屋台もたくさん出ていてアジアっぽい雰囲気が出ていた


この街に多い足跡手作りハンコ屋さんで私もひとつ作ってもらった


ハンコ屋さんの娘さん 小さい弟を落としそうでヒヤヒヤ


ここでマダガスカルの豆知識を。
マダガスカル人の祖先の多くは遠くインドネシア辺りから移り住んできたそうで、アフリカ大陸に物凄く近いのに住んでいる住人の多くは東南アジア系の面影を強く残している。人種だけではなく、通りに沢山の屋台が出ていて軽食などを低料金でささっと取れるなど、食文化の面でもアジアを感じさせられる事が多くあって、
この国に来てマダガスカルの説明によく使われる「アフリカに一番近いアジア」と言うのは本当だなと実感させられました。


こちらはマダガスカル版中華そば ボリューム満点 味はまぁ良し


宿近くの湖 花市場とか出てて散歩には打ってつけの場所でした


湖周辺の家 トイレ事情が悪いのか皆湖の畔で用を足していた。。


さて、ここマダガスカルに来た一番の目的はバオバブの木を見るため。
一番有名なバオバブ並木は島の西海岸沿いにあるムル
ンダヴァと言う町の近郊にある。そこまではこちらではタクシー・ブルースと呼ばれている乗合バンで行けるのだけど、この国の悪路は旅人の中では悪名名高く、しかも私が行った12月上旬は雨季の始まりで、アンタナナリボの宿のお姉さんまでそこまでの道のりを「大丈夫かしらねぇ・・」と心配する始末。。
タクシー・ブルースを利用した事のある旅人のほぼ全てがその道中の過酷さを書き連ねているのを見て、私なりに覚悟と気合を入れてムルンダヴァ行きのタクシーブルースが待つバス停へ向かった。



右端に写ってるのがタクシーブルース 荷物も屋根にてんこ盛り


豪雨の降る中、屋根に1m以上荷物を積み上げた状態で尚且つ猛スピードで悪路を走るタクシーブルースは確かに乗り心地が良い代物とは言えないけれど、当たりが良かったのか、人は思ってたよりは詰め込まれなかったのは幸いだった。お陰で17時間中、12時間ぐらいはぐっすり寝れて翌朝晴天のムルンダヴァに着くことができた。
旅が長くなるにつれ、悪路で隙間風が吹く車内の方がよく寝れるようになった。環境は人を変えます、マジで。



道中で見かけたコブ牛 彼らはこの国では労働から食料にまで幅広く活躍


宿前のビーチ 目が覚めるような青さ


首都のアンタナナリボある島の中央部は全体的に高地であるため朝晩は肌寒いほどで、しかも一日一度、夕立がガツっと降ることが多かったのに対し、西海岸のムルンダヴァは気温も高く日差しも強い亜熱帯気候。まさに南国という感じ。


ムルンダヴァは漁村だけあって魚介類が豊富 これで90円ほど


そうそう、マダガスカル人は一人あたりの年間コメ消費量が世界一らしく、確かにその統計に違わぬ量のご飯がどの店行っても毎回出された。ご飯の量に反しオカズはこれだけ?って事が多かったけど、値段が安いのだから文句は言えない。

さて、ムルンダヴァに来た目的のバオバブ並木。そこは町から30キロほど郊外の、そのまた村はずれにある。なのでこの地ではあまり役に立たない英語と片言のフランス語とマダガスカル語を駆使し、タクシーをチャーターして、いざバオバブ並木へ向かう。


ムルンダヴァから20分ほど走ると車窓からバオバブの木々が見えていた


ヤシの木と比べるとバオバブの木の大きさは一目瞭然


遠近感が狂いそうになるほどのバオバブの巨木


こちらは2本の幹が絡み合った通称「愛し合うバオバブ」


こちらがバオバブ並木 周辺には小さな集落が点在している


なので彼らにとってはバオバブは当たり前の景色の一部です


ここでバオバブ研究のためムルンダヴァに2年も住んでいるフランス人のジャックと知り合う。
彼は季節に合わせて移り変わるバオバブの様子を写真に撮って記録する為に頻繁にここに通っているのだそう。
そのジャック曰く、ここに生息するバオバブも元はジャングルのような熱帯林のなかあったのだけれど、放牧や農業のため人によって森が切り開かれた結果、切り倒されず残ったバオバブの巨木が平原に立っているという現在の摩訶不思議な風景になってしまったのだとか。
クワや斧や火だけで何十年、いや何百年かかったか解らないけれど、周りの環境を一変させてしまうほど昔から人は自然に対して多大な影響力があるのだな・・と改めて思い知らされました。



ここ一面が密林だったとは今ではちょっと信じがたいけれど


女の子達が水組みのためバオバブ並木を何度も往復していた


夕方が近づいて影が長くなってきた


ジャックに付いて来ていた地元の小学生ジョアン


ジョアンは私がフランス語を解さない事なんて気にも止めづ、次から次えと質問してくる。私は英語で返すのだけどでも不思議なことに何となくお互い言ってることが解ってしまうのが不思議だった。相手が子供だったからかジョアンとの相性が良かったからかなのか理由は定かじゃないのだけれど 笑 (後日、ジョアンの時みたく他のマダガスカル人のフランス語が理解できたらどれほど良かったか・・と心底思った)



バオバブの苗木 ヤギや牛から新芽を守る柵だそう


ジョアン マダガスカルでの友人第一号兼私のマダガスカル語の先生


周辺の村の子供たちも集まってきた 子供は仲良くなるの早いっすねー


草原の水溜りに映る映るバオバブ撮影に熱中していると


沼に足を取られ暫し抜けなくなった。。ジョアンに見つかり大笑いされた。。


夕暮れどき 子供たちが家路につき始める


最後に皆でジャンプ写真を取る こっちの子もみなめちゃくちゃ元気


この国も女の子は小さい時からよく家の手伝いしている エライですね


ジョアンが「僕バオバブポーズ出来るよ」と見せてくれた一芸



運動神経抜群で頭の回転も良いジョアンは将来どんな仕事に就くんだろうと思い聞いてみると「今は考え中さ」との事。
まだまだ経済が貧弱で多くの人が貧困から抜け出せないでいるマダガスカルを支え発展させていく人材になるんじゃないかと彼のマダガスカル語の生徒第一号としては勝手に想像するばかりですが。頑張ってほしいものです。



夕日に染まるバオバブ


バオバブと夕日


ムルンダヴァはローカルの食堂やら安い屋台料理屋が沢山あってもっとゆっくり滞在したかったのだけど、湿気の多いところにありがちなダニがベットに出たため2泊で次の目的地へ向かうことに。
アフリカでの旅はダニとマラリアとの戦いです、ホント。。

次は中央部の高原地帯で昔の暮らしを今も続けるザフィマニリ族に会いにアントエチャに向かいます。