上海を一先ず後にし、向った先は南京。
日本ではある意味この街の名を知らぬ人はいないだろう。
ここの街は歴史的に考えて中国の中でも随一反日感情が強そうな場所名だけあって、 以前中国に住んでいた事のある弟も行かないほうが・・・と助言してきたほど。

でもチベットのラサで会った南京出身の張さんは「歴史は歴史、今は今は。南京の人達も日本人ウェルカムだよ!」と言ってくれたので、上海赤らも近いし、こういう機会はめったにないのだからと行ってみる事に。

が、これがなかなかひと悶着蟻。。

南京駅に到着後、宿を探そうと夕方の市バスに乗り宿を探しに行ったはよいけれど、やっと見つけた安宿で、外人はお断り、とケンモホロロニ言われる。。すかさずビンが「南京の人はやっぱ日本人嫌いだから泊めないのね!」と言い放つと、「いやいや!日本人ってだからって訳じゃないの。外国人全般ってことよ。」宿のおばさんは言う。
ぶっちゃけ本当か?とも疑ったけど、実際の所、外人を泊める場合は公安局に登録に行かねばならないため、その作業が面倒で敬遠したいと言うのが大きな理由のよう。
そこは何とかビンが言い含め、スタッフのお姉さんがしぶしぶ私の身分証明書を持って公安局へ出向いていってくれた。
が、ここで問題が。。私は上海で中国の滞在ビザを延長をするためパスポートを移民局に預けてきており、その代わりにトラベル・ドキュメント(臨時の身分証明書)を移民局でもらって持ってきていた。が、南京の公安局はこんな紙切れ知らんわ!パスポート持ってないなら宿泊は駄目!と、申請に行ったお姉さんを跳ね付けたそう。。宿のお姉さんは帰って来た後、私達に「そういう事だからあなたここ泊まれないわ」と、まさかの宿泊拒否宣言。
いやー・・・世界色々周ったけど、宿泊拒否されたのは初でした。。

仕方ないのでビンと荷造りしなおしていたら、宿のマネージャーがやってきて、従業員の部屋近くにある半地下の部屋ならもしも警察が見回りに来てもばれにくいからそこでいいなら内緒で泊めてあげる、と言ってきた。日も暮れてきて疲れてもいたので、その提案を受け入れたものの、「夜遅くまで出歩いちゃだめよ!夜バーなんてもってのほか。部屋でお酒飲んでも駄目!部屋で静かにしていて!」とやたらめったら注意事項を押し付けられた。。
夜部屋のカーテンを閉めて静かにしてると、何だか第二次世界大戦中に中国に置き去りにされた残留孤児になったような気分に。。
まぁ 公安局の石頭のせいで、決して南京の人みなが外人や日本人に冷たいわけじゃないのだけれど、なかなかシュールな夜を体験させてくれた街となった。

さて、また出だしが長くなってしまったけれど、ここに来た第一の目的は、日本でもたまに話題になる問題の南京大虐殺記念館へ行ってみる事。日本人の心情としてはあまり近寄りたくない場所ではあるけれど、行った事ないのに知ったような事は言えないと思い出向いてみた。



記念館前 逃げ惑う市民の足元には「悪魔がきた!」とのセリフが掘られている


記念館内 大量の遺骨と共に中から遺留品も展示されていた


展示内容は想像していたとおり大量の人骨と大日本帝国軍人が行った悪行が並べたてられていて、ここでは間違っても「日本人です!」とは言えない雰囲気。ビンには「ここに日本人がいるわ!って叫んだらきっと袋叩きになるわねぇー イヒヒ」と脅される。
でも記念館内には中国国内にある日本人学校の児童が作った千羽鶴も供えられていて、それには心が和まされた。「自己中心的な行いを正し、他人を敬い、世界平和に貢献できるよう頑張ります」の誓いの言葉も書かれていて、謙虚な気持ちを忘れては駄目だな、と思わされました。



日本人学校の児童が作った千羽鶴


私も児童に見習ってもう戦争がおこらぬようお祈りをする



さて、上記の記念館あとはこれまた日本でも有名な孫文の霊廟をお参りに行った。孫文は台湾の第二政党のひとつ国民党の産みの父親的存在でもあるため、ここには多くの台湾からの団体旅行客も来ていた


孫文 彼は日本留学の経験あり 日本人の奥さんもいたんですよー



長ーい階段の先に見えるが孫文の霊廟


壇上から見た風景 緑が続いていてキレイでした


宿の女の子 コーラくれたりと懐いてくれて可愛かった



ここ南京ではさすがのビンも他の中国人から「横の子はどこの国の人?」の質問に、「韓国よ」と答えていたそう。でも地元の人は親切な人が多かったし、自分達が思ってたほど反日感情が甚だしい街ではなかったです。

次は中国の首都・北京に向います。