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現在、中国・麗江にて滞在中。
ベトナム・ラオスを周った後だと中国がどれだけまだ発展してるかがよく解ります。
が、かの有名なニーハオトイレだけはどうにかならないものか・・・と思うけど 笑
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ベトナムを無事出国し、ラオスの入国手続きもスムーズに終わりバスに乗り込むも同じバスに乗り込んでいたフランス人6人、アメリカ人とドイツ人がビザを取得するのに時間がかかり1時間近くも待たされる羽目に。
欧米人はほぼ皆東南アジアの国々への入国にはビザの取得が義務づけされてるんですね。日本人は入国時に15日間のフリービザをもらえるので有難い事この上ないですが。(その分ODAとか色々と援助してるのかも知れないけど)
さて、無事みなビザをゲットして一路ラオス東部の町ムアンクアへ。が、ここへの道のりも川に埋もれた道を渡ったり凸凹道をシートの上で跳ねながらの移動となった。まぁ酷い道には今まで行った色んな国で慣れてはいたけど、川の氾濫した道を通るのは久しぶりだったので欧米人たちと「おお!さすがラオス!」と観光客らしく驚いたり。
国境から4時間あまりでやっと着いたムアンクア。でもここも川で道が途切れているので今度はバスを降り渡し舟で向こう岸のムアンクアへ向かう事に。
国境の両替所のレートがめちゃくちゃ悪かったのでこの町でATMからお金を引き下ろそうと考えてた私達はさっそく銀行を探すもそこのATMはローカルカードのみ使用可能と張り紙がされてあり一堂アングリ。。VISAやMASTERカードの使えないATMってATMって呼べるのか!と皆でつっこみまくる。
しかし、引き下ろせないとどこにも行けない上、昼ごはんも食べれないので仕方なくレートが悪い銀行で両替する羽目となりました。。
ここはこれと言って何もないので皆、船で次の町へ移動を考えていたものの公共ボートは朝一便しか出てない上、人数が10人以上集まらないと一人20米ドル払えと強気に言い張られ、物価が東南アジア一安いと聞いてきた一堂はその値段に驚いく。なので同じ船に乗ろうとしていたフランス人4人とアメリカ人のクリスとドイツ人のスワニーと相談した結果、ならばバスでどっかに移動してしまおうと話が決まりボート場を去る事に。なーんにもないこの町に明日出るかどうかも分からない船を待つために一日泊まる気にはどーしてもなれなかったのも大きな理由だけど。
フランス人たちは食堂にあったフランス版ビーチカーリングを楽しんでました
さて、次の町に移動するため乗り込んだバスはこれまたローカルの人達でギュウギュウで足の踏み場もないほど。しかも悪路のため乗客(とくに子供たち)の何人かが車内でゲーゲー戻してしまい、目のやり場がなかったです。。窓全開で走っているため臭いが私のところまで届いてこなかったのは救いだったけど、近くに座ってたクリスはもらいゲロしそうで大変だった模様。
そんなカオスなバスに揺られる事3時間。やっと目的地の町ウドムサイに到着。
が、この町は中国に戻る前に立ち寄るはずの町だったので、この後どうしようか・・・と悩む。
本当はウドムサイにたどり着く前に2つほどラオスの田舎町にボートで立ち寄るはずだったのだけど、色んな要因が重なりラオス入国初日で着てしまったのだから。
みなは次の日南部の町を目指し移動する事が決まっている中、私は中国に戻る事に。 みなに「なんで~!?まだラオス来たばっかじゃん。一緒に行ったら絶対毎日パーティーで楽しいよ?」と言われたけれど、中国雲南省では待ち合わせ場所の麗江にビンが既に待っているはずなのでのんびりラオスを回っている時間的余裕が私にはなかったのだ。まぁ何はともあれ同じバスに乗り合わせた縁もありこの日は夜中までみなで飲んで別れをおしんだ。ってか、早朝5時半発のバスでベトナムからのハードな移動をした後だったので皆最後は酒が足にまで来てふらふらしながら宿に帰ったでしたー
翌朝、クリスとスワニーがバスに乗り込むのを見送ったあと(フランス人たちは飲みすぎて朝のバスを逃してしまった 笑)、私は一人中国・景洪行きのバスに乗り込む。
このバスもご他聞にもれず鮨詰め状態でちゃんと朝早くに席取りしておいて良かった・・と、我ながら自らの行動を褒めたほど。
5日ぶりに戻った中国の入国もスムーズに終わり、無事15日のフリービザをゲット。このビザを得るために西安からここまで何て長い道のりを歩んだだろう。。まぁ良い勉強をさせてもらったと思うしかないっすね。。
ラオス、たった一日のベトナムから中国までの通過となってしまい少し心残りだけれど、バスで知り合った気さくな欧米人達と和気藹々と飲み食いして楽しかったからまぁいいか、と後にしたラオスでした。
またいつかこの国に来る事があるだろうか・・
その時は前もってラオスの現地通貨を手に入れておかなければ。