The View from the Monetary in Lhasa, Tibet



チベット入り5日目にしてやっとチベットの省都ラサ(拉薩)に到着。
ここまでは本当に長い長いドライブの日々でした。でも道中の景色は絶景ともいえる場所が多かったので文句は言えません。

さて、ラサ。
今まで辺境の小さな町や村を周っていたせいで多くの人を一度に見かけることはなかったけれど、そこはさすがラサ。チベット、中国各地から参拝なり観光なりで来ている人出で町中はごった返していてビックリ



宿の前の通り 朝からこの人出


ラサ中心の広場の前もこの溢れんばかりの人通り


ラサ到着当日は久しぶりの街という事もあり夜いつもの4人プラス、ニュージーランドからのジェニーとアメリカンのデニー、カナダ人のカップル8人で夕食後、飲みに出る。
小さな町ではバーなど皆無で店も食堂さえ8時頃には閉まってしいたので飲みに出るなんて久しぶりで皆はしゃいでましたー
ここでもシモンの提案でゲームに負けたらチベットの青果酒をショットグラス一気飲みという ドリンキング罰ゲームを行った。


みな結構飲んでほろ酔い気分です


特に私はこのゲームに弱く負けまくりリンジーの5倍は飲んだかな 笑


ここラサにはチベットでももっとも特別な建築物であるポタラ宮殿がある。
ここは歴代ダライラマが住んでいた場所で現在インドのダラムシャラーにて亡命中の現世のダライラマも少年時代暮らしていた宮殿。



ポタラ宮殿 ポタラとはモンゴル語から由来しているとか



チベット人にとっては大切な場所で宮殿前では多くの人がお祈りしていた



宮殿前では全員で記念撮影 1週間もずっと一緒で気心しれました



このポタラ宮殿への道程はかなりの坂道、階段を登っていかなければならずなかなか骨が折れました。だってここでも標高3,500mあるんすよ。。ラダックで標高高いところには慣れていたつもりでもこの永遠と続く坂道には正直「宮殿入り口まだかぁ~・・」と思いつつ登る事に。


へばる日本人を激励中のゲルマン人


私以上に高所に慣れてないノアンはご覧のとうりダウン気味 笑


残念ながらポタラ宮殿内は撮影がかたく禁止されているため、殿内のすばらしさはお見せできないのだけれど、歴代ダライラマが暮らし、また瞑想を行っていた場所を見れて意味深い訪問となりました。


ポタラ宮殿下にいた子 リンジーのパンツのすそをひっぱり「お金ちょーだい」


でもカメラを向けると嬉しそうにピースサイン どうか健やかに育ってね・・


もちろんこの子も自分からすすんで物乞いをしている訳ではなく、近くにいる親が手頃な外人を見つけてねだって来るように言っているのである。
お金をねだり、一度でも簡単に現金を手に入れたらそれはその子供の価値観に多大な影響を与えてしまう。もちろん通りすがりの外国人が偉そうに言える事ではないと重々に分かっていることながらチベットの今のこの現状には本当に心が痛くなる。



こちらはラサ市内にあるチベットでももっとも重要な寺院


私達の後ろでは外人をバックに中国人観光客が記念撮影・・なにそのポーズ


なので私達も負けずに面白写真をと色々撮ってみる  似合ってない?


寺院の屋上から撮った風景 遥か向こうにはヒマラヤ山脈が


ラサ最後の観光に出向いた寺院では今だ多くのお坊さん達が暮らしており、そこでは修行の一環として仏典解釈の勉強会を沢山のお坊さんたち野外で行っていた。この風景がいかんともせん格好良くって、なんと言ったらいいか、アクションが派手でまるで歌舞伎でも見ているようだった。
質問者が手を打ちながら座っているもう一人の回答者に向って問いかけ、座っている回答者もその返答を思いつくと、また手を打って答える。これを永遠と行っているんだけれど、チベット語をまったく解さない私達が見ていても見飽きなかったです




庭中に響く手を打つ音とお坊さん達の声


討論が高まるとお坊さん達のアクションも派手になってくる


みな真剣ながらも笑いもあり生き生きしてました


こういう修行と言うか学ぶ場もあるんだなぁ~と感心させられた場所でした。日本やポルトガルの寺院でもすればいいのに、格好いいのになぁー、とポルトガル人のテレサと言い合いながらその場を去る事に。


その寺院前に広がる景色 チベットはどこいっても空が高かった


さて、その晩はこのツアー最後の夜となったので、いつもの4人プラス、アメリカンのデニーも加わり近くのバーへ繰り出した。
景気づけに始めたドリンキングゲームのせいで皆いつも以上に酔っぱらってしまいすごい事に。とくにデニーとノアンはぐでんぐでんになってしまった。
しかも調子に乗って飲んでいたせいで宿の門限から随分おくれた帰宅となり締め出しを喰らってしまった。なので最後の晩は宿の門を酔っ払い5人でよじ登って帰る事となりましたー ははは



バーのマネージャーも巻き込んで騒ぎまわる欧米人プラス日本人


そうそう、ここのマネージャーはなんと何日か前にビンとも会っていたそうで、その奇遇に2人で「おお!」っと盛り上がった。そのついでに色々話していたのだけれど、彼は日本人が漢字の読み書きが出来るのを今まで知らなかったそうで、私が次中国のどの町に行くのか紙に書いて説明したら「何で中国語できんの?!」と大層驚いていた。中国って隣国って言っても日本への認知度ってまだまだ低いんですねー。


こうしてチベット7泊8日の縦断の旅は終わったのだけど、「チベットまた来たいか?」と問われると「うーん・・」と言わざるを得ない。
来た甲斐はあった。この目で憧れのチベットの大地を見れ、今の現状を知れたのは本当に良かったと思う。そして色々とチベット寺院を回りながら説明を受けたお陰で仏教への理解も増したしもっと勉強してみたいという興味も湧いてきたのも良い事だと思う。
でも中国政府の政策の下、日々漢化されていくこのチベットの地を見るのは苦痛を伴うのも確かなのだ。
あれほど、亡命先のインドやネパール、また他国では声高に叫んでいる「Free Tibet!(チベット解放)」もここ彼らの祖国では高い壁に阻まれその声は少しも届かないし、届いていない。そしてここチベットに住むチベット人は私達外国人にはその本音は固く口を閉ざし喋らない。いや、喋れないのだ。

通りすがりの観光客が口を挟む事ではないのだろうけど、亡命先のチベット人の心情を知ってしまった私としては、言い表しにくい口惜しさや切なさが募ってしまう。

どうか、このチベットの地がチベット人の手によって彼らが心穏やかに暮らせる地になってくれますように、と心から祈りたい。


どうかこの子達のためにも