Ganga in Varanasi

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現在、ブッダガヤーにて滞在中。カジュラホ以降、更新が遅れ気味ですがそれは体調を崩しているとかではなく、ただ記事を書く時間が取れないほどここインドでは毎日何かと盛りだくさんだから。インド、今のところ味わい深くって順調に好きになってます。
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カジュラホ村から直接バラナシへ向かいたかったのだけれど、直通の夜行列車が満席でチケットが取れず、仕方がないので近郊の町サトナーまでバス移動し、そこで一泊したのちバラナシ行きの列車に乗るという面倒な移動となった。しかもサトナーは近郊と言ってもローカルバスで4時間もかかり、インド人と押しくら饅頭しながらの移動はなかなかきつかったです。。まぁローカル気分を味わうには列車以上のものはあったけれど。

さて、そうこうして漸く辿り着いたバラナシ。
この街はかの有名なガンジス河の畔にありヒンデュー教徒にとっては最大の聖地。日本ではガンジス河と呼ばれているけど、こちらではガンガーと呼ばれていてインド人は皆一様にこの聖なる河を崇めている。そして敬虔な信徒たちは死ぬまでに一度はこの地を訪れガンガーで沐浴をしたいと願っているそう。その熱意や活気は街中に満ちていて、ガンガー沿いに設置されているガード(沐浴場)では朝から晩まで巡礼者や観光客で一杯。


メイン・ガード周辺はいつも人でいっぱい


団体でガンガーを訪れているインド人旅行者(いや巡礼者?)



下げのような変わった角の牛さんと乾燥途中の牛糞燃料


ガード沿いを散歩してたら付いて来た男の子

遠くから遥々やってくる人たちには巡礼の地であるけれど、この街に暮らす人にとっては生活の場であり、ガード横では洗濯する人、牛の糞をこねてアルガリ(牛糞燃料 乾燥させて薪代わりに使う)を作る人、はたまたその辺で用を足す人(このせいでガンガー沿いは至る所からアンモニア臭が漂っている)と様々。ゴミも至る所に捨てられていて生ゴミからプラスティックからありとあらゆる物が動物や人の糞に混じって落ちていて、ここは聖地なのか?本当にガンガーは崇められているのか?と問いたくなるような場面もしばしば。

でも聖地であるのは間違いなく、そんな劣悪な環境を物ともせず多くの人はガンガーで一心に沐浴している。全てが流れ込んでいるその河に全身頭まですっぽり浸かり、河のホーリーウォーター(聖なる水)で口をすすぎ、一心不乱にお祈りしている姿は宗教の持つ不思議な力を感じさせられた。


インドの兄ちゃん達と乗合いボートでガンガーの向こう岸へ


河の反対側から見たメインガード 夕暮れ時で幻想的でした


毎夜メインガードでガンガーを崇めるセレモニーが行われている


ガード近くでお祈りをしていた修行僧(たぶん)


この聖地へは沐浴しにくるだけではなく、死んだ後ガンガーの畔で焼かれて成仏したいと願う人たちも多く、そのため河沿いには火葬場が二つ備えられている。見学は自由なので宿から近い小さな火葬場でじっくりインド式火葬を見る事に。日本も遺体は火葬されるけれど、インドの火葬は男性は白、女性はオレンジの布を被せた遺体を川岸の地面の上で薪で燃やすという原始的というかダイナミックなもの。お金のあるなしで薪の量や火葬の前後にバラモン(ヒンデュー教の司祭)によるお祈りがあったりなかったりと差があるけれど、大体ひとつの遺体が燃え尽きるのには約3時間近くかかっていた。


火葬場  炎に包まれる遺体を見守る親族と火葬係の人たち

火葬の途中、遺体の足が薪の間から焼け落ちてきたのを焼く係りのおじさんがひょいっと火の中に戻したり、最後は頭と胴体が黒く焼け残っているのを燃え尽きさせるために竹の棒でバシバシ叩いて燃えを良くしたりしているのを見ていると『人間の死ってなんだろう?魂が抜けた遺体はモノとなり燃やして天に返すってことなんだろうか?』と色々な事を考えさせられた。

日本のシステマティックな火葬と違い、インドの火葬は直に炎で焼かれていく姿を長時間目にするため慣れていないものにはグロテスクに映るかもしれないけれど、その時間は親族の死を受け入れ、天へと帰るのを見送る大切な儀式となっているに違いないと思った。

3000年以上の歴史を持ち、世界最古の宗教と言われているヒンデュー教の聖地であるバラナシはインドで、いやこの世界で、もっとも生と死が近い場所なのかもしれない。