海こえ山こえ国こえて♪
CUMBE MAYO

海沿いの街トルフィーヨからまたアンデスの山間部へ移動。今度の町はインカ時代から温泉地として有名なカハマルカ。前行ったチューリンとは違い、こちらはペルー随一の温泉地で日本の別府や草津といった感じ。また歴史も長く、その昔インカ皇帝も足げく通っていたといわれているほど。(そしてインカ最後の皇帝は温泉入っている時にスペイン人征服者に捕まり後殺されてしまったそう・・)
温泉と聞くと例え入って5分でのぼせてしまう私のような者でも途端日本人の血が騒ぐ。インカの温泉と呼ばれるここの温泉の湯は無色透明で無臭。しかもチューリンの温泉施設より規模も大きく設備もグンと良く、値段は倍したけれど(6ソル=180円)入る価値十分の温泉だった。

さて、この町に来たのは何もインカ温泉に入るためだけではない。カハマルカ周辺にも色々見所がある。まずコレクティーボ(乗り合いバン)に乗り、オトゥスコと呼ばれる四角い穴がぼこぼこ空いてある丘を見に行ったのだけど、下り場所を間違え、その上歩いていく方向を間違え何もない田舎道を1時間以上その丘探してさ迷い歩く羽目に。。

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前を歩くインディヘナのおじいさん、おばあさん

ようやく辿り着いたその不思議な岩の丘は紀元前1130年から2000年近くこの周辺地域に住んでいた人のお墓として使われていたらしく、337個ある穴の一つずつに一組の骸骨が入っていたそう。もちろん今では観光地になっているため穴の中にお骨はなかったけれど、337人分の骸骨達はちゃんと埋葬されたのだろうか・・

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丘の上なので穴からの見晴らしは抜群だったはず


次の日はツアーを利用し町から20キロ離れたところにある石の森と呼ばれる場所に向かった。このクンベ・マヨという場所はだだっ広い草原に巨大な岩がにょきにょき木々のように立っていて何とも不思議なところ。

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Cumbe Mayo ここは標高3,500メートルです

でもここには紀元前300年前に完成された完璧な水路が残されていて、それが何とカハマルカの地下を通って海岸まで続いているとのこと。今から2000年以上昔に岩をくり貫き、何百キロもの水路を作る技術があったとはただただ驚き。言っちゃ悪いが、古代の南米人の方が今より勤勉・勤労だったのではないだろうか・・とつい思ってしまうほどの仕事ぶりだ。

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カハマルカの街、そして海へと続く水路

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羊の毛を紡ぐインディヘナの女の子と


もう一つの見所は街から80キロ離れた寒村にある遺跡で、そこは20年ほど前に日本の調査団により発掘され大発見となったクンチュル・ワシ遺跡。でもそこへはツアーでは180ソル(5,500円ほど。ペルーの物価考えると激高)もかかると言うので自力でコレクティーボや乗り合いタクシーを乗り継いで片道3時間以上かけて向かった。
しかしそれだけの労力をかけて向かった甲斐あり、その遺跡周辺の田舎風景は素晴らしものでアンデス山脈の中でもこんな牧歌的な自然があるんだなぁと感心した。

海こえ山こえ国こえて♪
ペルーの田舎はホント綺麗です

さて肝心のクンチュル・ワシ遺跡。その前に博物館で島田団長率いる調査団が発見した遺跡品を見学。そのには大発見となった大量の黄金の品の一部が土器などと一緒に展示されていた。黄金品も土器もモチーフの大半は動物のジャガーなのだけど、どこかユーモラスでかわいく楽しく見て周れた。それに日本が発掘を協力したため説明書きに日本語が書かれていて解りやすく助かりましたー

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ジャガーと蛇がモチーフの金の耳飾 1個ずつが私の顔ぐらいのデカさ

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ジャガーというより獅子舞のような土器と野球小僧のような埋葬用の土器

その後博物館の裏手の丘にある遺跡に歩いて上がったのだけど、これまた畑と牧草地に囲まれた牧歌的な遺跡跡でほぼ発掘前にもどっているのでは?と思うほど周りの風景に溶け込んでいた。

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丘の上の神殿の跡地にはジャガーの石像が立っており、その獅子舞のようなかわいらしさもさる事ながら、その石像の後ろに広がる景色がまた良く、この山の風景は神殿が出来た頃とそう変わらないんだろうなぁと思いにふける。

海こえ山こえ国こえて♪
ジャガーの石像

海こえ山こえ国こえて♪
草生い茂る・・

しかし、この草ぼうぼうの野放し状態の遺跡跡を眺めつつ、高い金出してツアーで来なくて良かった、、とつくづく思った。。自力で安く来てこそ楽しめるのどかな遺跡でした。