海こえ山こえ国こえて♪ マラッカは名前のごとくマラッカ海峡に面した街で、15世紀初頭にはイスラム教を国教としたマレー世界の原型を造った王国があった所。でも16世紀に入ってからはポルトガル、オランダ、イギリスそして日本に次々支配されていき、その名残で街にはいくつもの時代の史跡が残っている。



海こえ山こえ国こえて♪ 昨晩ぐっすり休んだお陰で朝から街を歩き回る。まずは丘の上に立っているセントポール教会へ。この教会はポルトガル人によって建てられたもので今は屋根がなく、側面の壁だけが残っていた。でも教会の中から青空が見えるのは一種趣があっていいもの。



海こえ山こえ国こえて♪丘の上からはマラッカ海峡が見えた。その昔、日露戦争時にはロシア帝国のバルチック艦隊が日本海で大日本帝国海軍をやっつけるためにウラジオストックを目指し、モスクワ近くの軍港から遥々アフリカ大陸を回った後、ここマラッカ海峡も通ったことだろう。司馬遼太郎の『坂の上の雲』の描写を思い出しながら眺めてると歴史を感じる。第二次世界大戦のころには日本海軍もここを通っただろうし、現在だって多くの貿易船やタンカーがこの沖を通っていることだろう。



海こえ山こえ国こえて♪ 街の中心に立っている濃いピンク色の教会はオランダ統治時代に建てられたもので、この街のシンボルになっており、その横には歴史博物館が建っている。

博物館はポルトガルを思わせるオレンジのレンガで統一されていてかわいい感じ。

館内では今までのマレーシアの歴史が紹介されていて、そこには第二次世界大戦中の日本軍のことも結構取り上げられていた。


海こえ山こえ国こえて♪ 終戦前の3年以上はここマラッカを中心に日本軍がマレーシアを占領していたようだけど、酷いことはあまり行わなかったようで、「日本軍が来て、大学を建てたり、市民に教育の機会も与えた」と好意的に書かれていた。ああ・・よかった。ちょっと安心。。

でも、日本語を公用語にしたりして当時の現地人の大変さも書かれてはいた。

マレーシアの国家としての独立までの険しい道のりを垣間見た気がした。



海こえ山こえ国こえて♪ その後ぶらぶら歩きまわっていて見つけたカフェレストランのビルに変な日本語が書かれてて面白かった。

「ようこそ」と書きたかったんだろうけど、「こ」と「そ」が「二七」としか見えない。誰か教えてあげればいいのに、と思いつつ私も写真撮っただけで素通り。






海こえ山こえ国こえて♪ この街で泊ったホテル・プリはなかなか趣のあるビルで、昔の多分ポルトガル人が建てたものを改装してホテルにしているようで、外見も窓からの眺めもノスタルジックな感じです。

スタッフも英語通じるし、部屋もきれい。一度は安宿を経験してみようかと思い、朝ガイドブックに載っている宿を見に行ってみたが、その辺りはダウンタウンから離れているし、開発地区に入ってるらしく周りはビルの建設中でうるさそうだったので泊るのは止めた。ビルも「ええ・・」って感じだったので。。

やはり宿の相場って確実に立地の便利さや部屋の綺麗さに直結しているのだと納得した。



海こえ山こえ国こえて♪ しかしこのマラッカのダウンタウンではマレー人をあまり見かけない。

街の中心にチャイナタウンがあるからだろうけど、現地に住んでる中華系の人たちやアジアや欧米からの観光客がほとんど。

ポルトガルやオランダ、イギリス、日本人が引き揚げて行ったあとの建物に中国からの移民が住み始め、チャイナタウン化してきたからだろう。その後観光スポットとしてポルトガル風な建物を保存し、そのまま使用して今にいたってるんだとと思う。





海こえ山こえ国こえて♪ さて、マラッカも一通り見たし、次はマレーシアの首都クアラ・ルンプールを目指そう。


またあのおんぼろバスに乗るのかと思うと気合が入る。でも、2度目となると勝手がわかってるから少し気が楽です。今度は2~3時間ほどで着くようだし。


しかし!油断は禁物。無事クアラ・ルンプールにたどり着くよう頑張らねば。


では。



アメリカでもカナダでもシンガポールでも、チャイナタウンは必ずと言っていいほどその街の中心街かその近くに存在していた。逞しいというか先見の明があるというか、同じアジア人でもバイタリティーが違うなぁ~。

たぶん戦後