とても悲しいことがあった。
このことを書くかどうか迷ったが、普段心に思ったことを素直に吐き出せる場所としてブログをしているので、誰にも迷惑がかからない程度で書くことにする。
テレビをつければ毎日事件が報道されている。
ネットという媒介を使って各地の出来事を手に取るように知ることができる。
真実であれ、歪んだものであれ、文字で確実に誤解を生みだす。
その事実から遠ざかれば遠ざかる程、歪まされ、誇張され、都合のいい解釈をされていく。
勝手な風に解釈し、面白く言う。それを普段、私自身もやっていたことなのに、実際に身近な人がその嵐に巻き込まれてしまうと、「何てひどい。」と擁護しようという立場に立とうとしてしまう。
大学の仲間が事件を起こしてしまった。
友だちが犯した罪は、人間として最低のことである。
親しくはなかったものの、授業や飲みで話すことやメールすることもあった。
とてもショックだった。
しかし、私が受けたショックは、友だちが起こしてしまった事件のことだけではなかった。
居酒屋で、集まった仲間で当然この話になる。
いろいろな意見が飛交う。
もちろん最低なことをしたわけだからバッシングされても仕方ない。
しかし、「あいつのせいで大学の評判が落ちる。」や「事件があってからも捕まるまでのうのうと酒飲んでた。」や「母親が一緒に自殺しようと言ってた。」など、すごく悲しいことや根も葉もない噂を言っていて悲しくなった。
そして、一つの過ちを犯してしまったことの恐ろしさを知った。
人生において、たった一つの過ちによって、過去は塗り替えられ、そして未来をも一掃してしまう。
犯してしまった事の重大さに気づくのは、終わった後なんだということ、だがもう遅い。
私は事件や事件を起こしてしまった彼について、擁護するつもりはない。
だけど、勝手な憶測で言うのはやめてほしい。
真実を知っているのは彼だけなのだから。
記者会見で、私のゼミの先生が深々と謝罪し、涙を流していた。
先生のそんな姿見たくなかったし、ネットでの中傷や噂など、事件の波紋をこれ以上大きくしないでほしい。
そして、彼が再び生きる道をみつけることを願っている。