今日の地方新聞記事を見て、はっとしました。題は『正しいことは言うな』。宗教評論家のお話。


《阿修羅と言うのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、深海から追放されて魔類になった存在です。

正しいことをいうとき、わたしたちはその阿修羅になっています。だから、正しいことは言わない方がよいのです。

では、正しいことを言わずに、わたしたちは何をいうべきでしょうか?

じつは、何も言わないほうがよいのです。(一部略)・・・わたしたちは何も言う必要はありません。それよりは、相手から聞いてあげるべきです。

失敗した人、悲しんでいる人に向かって、わたしたちは何かを言ってあげたい気持ちになります。しかし、人間の言葉にはトゲがあります。そのトゲでもって相手を傷つける危険が大きいのです。だから、むしろ何も言わずに、じっと相手の言葉をきいてあげる。それが本当の慈悲だと思います。》


ここ数日、悩んでいたことが晴れました。

ついひと月前に結婚を目前にしながら恋人を亡くした女性がいます。私たち夫婦はそのお二人にいつも良い刺激を受けてきました。何か役に立ちたいと思う一方、掛ける言葉が思い浮かびませんでした。

先週、ひと月ぶりにお別れ会で彼女に会いしばらく話をし、その時は夫が主体で話をしていましたので、次の日他の用件とともに私が最近よかったと思う本をお勧めするメールをおくりました。


数日後、『今の自分にあった本だった』という感想が返ってきて、とてもうれしかった。しかし、あくる日の夜、『やっぱり、彼がいないことを受け入れられない』という内容のメールがはいってきました。


どう返事をすればよいのだろう?なにかしらの返事を求めてメールを送られているのは文面から想像がつきました。しばらく考えた後、このように返事をしてしまいました。


『私の父親もいまだに夢で母に会うと「なんだ生きているんじゃん」って思うんだって。もう26年も前のことなのに。それでも私を育てて新しい家族を得て、苦労も多いけどそれなりに夢や希望をもって過ごしているようにみえるよ。

もしかしたら、戻ってこないことを心の底からは受け入れられることはないのかもしれない。

ただ、その悲しみを他の人への優しさや自分の強さに変えていくことはできると思うから。

まだ、一ヶ月しかたっていないもん。泣いていてもいいと思うよ。涙が出なくなるまで。(私は母が亡くなってから10年は思い出して泣いてたし。)

彼は今でもあなたを見ていて、これからもずっと見守ってくれるよ。彼が惚れ込んだ素敵な女性なんだもん。さよならじゃないよ。』


送る前も迷って、でもこれで送信しました。返事はありません。


私もいままでいろいろ迷うことや落ち込むことが多く、『正しいことは本人が一番わかっている』ということは痛いほど経験してきました。夫とつきあっていた時も「どうすればいいのか、どれが正しいのかはイヤになるくらい気づいているけど、それなのにそれが簡単にできないから悩んでいるの!あなたはただ黙って私の話を聞いてくれればいいの!!!」と泣きながら訴えたことがあります。(夫は大変性格が良いのですが、あまりに素直に正しいことをできる人なので、時々正しいことを言い過ぎて私を嫌な気分にさせることがありました)


そうだった。近頃、自分はつまらない葛藤はやめてやるべきことをひとつひとつやっていこうと心がけているし、愛犬が急逝した時は3ヶ月の子育てや生活が悲しみにどっぷり浸かることを許さなかったから、そのことが記憶から遠ざかってしまっていた。


私は阿修羅になっていやしないだろうか?


今月末は亡くなった彼から譲ってもらったキャンピングカーでのキャンプを予定しています。今週末にお墓参りにいけるといいなぁと思っています。ただただ、彼が安らかに天に召されて、彼女が一日でも早く彼女の道を歩んでいくことを心から願うのみです。