いつもブログへのご訪問ありがとうございます。

 

昨日はほぼ書き終えていた記事が、アプリがダウンしてパーになって

しまって、、、放心状態。

もう一度書く気になれず、サボってしまいました。

 

今日は母の25回目の命日です。

 

お骨は母方の祖父母のお墓に入っており(※本人の希望)、

お墓は横須賀の少し高台にあるのですが、

このコロナ騒ぎでは神奈川県に足を踏み入れることは出来ません。

 

もう25年経ちますが、あの日のことは忘れられません。

 

あの日は土曜日だったので、たまたまですが私はつくばの会社独身寮から

金曜日の夜のうちに実家に戻っていたのですが、

朝方、気になって様子を見に行ったら、もう息がありませんでした。

 

形式的にはなってしまいましたが、救急車を呼び救急病院に向かいました。

今思えば、あの病院は、奇しくも随分後になって1か月病院実習をさせていただいた

東名厚木病院だったと思います。

 

最初は解剖を、と言われましたが、

胸水が溜まっていること、見た目もすでにガリガリでいかにもがんの末期でしたし、

片胸もないですし、身体に外傷などもなく事件性もほぼないと言うことで、

解剖はされませんでした。

 

母は民間療法に賭けており、あれこれすごく頑張っていました。

なのでまだ死ぬつもりはなかったと思います。

そのためちゃんとした遺言は無いのですが、

生前、

 

もし死んだら、お墓は自分の親(祖父)の方に入れてもらいたい。

解剖はされたくない。

母(私たちにとっての祖母)のことを頼みたい。※母は一人娘だったため。

 

この3つを良く口にしていました。

 

何とか3つとも叶えることが出来ました。

(祖母は3年前に見送りました。)

 

この病気に罹患してしまった以上、私もいつどうなるか分からないので

多少の準備と覚悟は必要かなと思っています。

 

でもその前に、再発を怯えるばかりの母を5年間も見てきて、見ている方も辛かったし、

もし同じ残された5年なら、私は違うように生きたいと思っています。

49歳になる直前に命を落としてしまったことはどうしようもなく悲しい事実だけど、

時間は有限である、だからやりたいことなどはやれるうちにやっておくべきだと

身をもって教えてくれたんだ、そう思うようにしています。

 

今日はただの思い出話となってしまいました。

すみません。どうかご容赦ください。