どもー。
心理的虐待の話、長いですがお付き合いありがとうございます。
長過ぎてなかなか介護の話に行きつかない、という…。
高校3年生の冬、友達が映画の試写会に当たったから一緒に行こう、と誘ってくれました。
土曜日学校が終わって午後から繁華街にある映画館へ。
終わったのは日の暮れる頃。
所持金¥230でバスに飛び乗った…はいいけれど、乗り慣れないバス、行き先が終着は一緒でも経路違いに乗ってしまいさあ困った!
なるべく家に近付ける所まで行って降車し、残金は¥20。
空は真っ暗、降りた場所から自宅は結構遠い。
私は近くにあった公衆電話から自宅に電話。
(まだ携帯電話の無い時代でしたから)
1回目。
父が出て、事情を説明するのですが、後ろで母がヒステリックにわめいているのが聞こえます。
母が受話器を取り上げ電話を切りました。
2回目。
母が出て、「勝手に行ったんだから自分でどうにかしろ!」と言われて切られました。
もう残金はありません。
途方に暮れましたが、歩いて帰ることしか思いつかず、田舎の真っ暗な道をそこから南に歩けば帰れる、とひたすら歩きました。
かかった時間は2時間半の午後10時過ぎ。
その当時、家の鍵も持つ事を許されておらず、帰っても家に入れず、大きな声で入れてと言っても母の罵声が返ってくるだけ…。
そのうち電気も消されて真っ暗。
諦めて玄関の前で座っていると、母が寝た頃に父が玄関を開けてくれました。
足はしもやけ、寒くてぐったり…。
確かに自分で行った、けれどわざと困らせた訳じゃない。
母にも腹が立ったけれど、父もどうにかすること出来たよね?
なんで母のギャーギャー言うのを止められないのか。
その頃、仲良くしていた友達の家に時々泊まりに行っていたんですが、そこで初めて他の家庭のお母さんというものを知る。
そこのお母さんは、明るくて料理上手で優しい…。
他の友達のお母さんもウチの母とは違う。
ウチの母はやっぱりどこかおかしい。
そう思うようになったのが高校時代でした。
