2025浄厳院への道(34) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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★「サビ缶」を鐘楼土間(「遺跡発掘現場」化)に導入するにあたり、もう少し掘り下げて日本の美意識「侘び★然(寂)び、幽玄」についても考えてみたい・・・堺★臨済宗大徳寺派の寺院「南宗寺」へ。山号は龍興山。本尊は釈迦如来。三好氏の菩提寺。★茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした縁の寺であり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院である。古田織部作と伝わる★枯山水庭園は、国の名勝に指定されている。創建当時は堺市宿院町付近にあったと伝える。
★「詫び」茶道史研究家・熊倉功夫(1943〜)によると
「貧粗(ひんそう)・不足の中に心の充足を見いだそうとする意識」とある。「万葉集の時代、わびとは、恋が実らないで苦しむ状態を示すもので、決して美意識を表現する言葉ではなかった」平安時代以降、つらく惨めな気持ちを表すとともに、もの寂しい情趣に近づき、中世になると枯淡、脱俗の心境を「わび」と呼ぶようになった。中世の人々は★禅宗の影響もあって、満月よりも雲の間に見え隠れする月の姿を愛(め)でるようになり、完全ならざるものの美を発見した。わびもそうした中世的美の一つで、室町時代後期の町衆文化である★茶の湯と結びついて人々の意識の中に定着していく。そして江戸時代になると、閑寂を尊ぶ茶の湯が「わび茶」と呼ばれるようになる。
★「寂び」能・歌舞伎研究者・堀越善太郎(1937〜2004)によると
「さびとは、閑寂の中に、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさを表現する言葉」ということになる。寂しく静かなものが一層静まるとともに、古くなったものがさらに枯れ、あるいは凍(い)てついた景色の底に、かすかではあるが奥深いすがすがしさ、豊かで広がりのある世界が現れてくる。そうした表面的な華麗さとは相反する美が「さび」と呼ばれた。
「わび」と「さび」はいずれも「世間の俗事に煩わされないこと」「執着せずあっさりしていること」を表す美意識として、特に茶の湯を通じて重なり、通う合うことで相互に影響を与えるようになっていった。そこには中世に盛んになった仏教、特に★禅宗の精神性が多大なる影響を与えている。