・・・「肩こり塗り薬」容器は「ムシ」ではなく「太陽の塔」にしてしまいましたが、
《リボスチン点鼻薬》日本新薬/レボカバスチン塩酸塩液
https://www.nippon-shinyaku.co.jp/
アレルギーの発症には、ヒスタミンという体内物質が関与しています。このお薬は、そのヒスタミンの受容体を強力にブロックします。そして、アレルギー性鼻炎にともなうクシャミや鼻水を予防し軽くします。花粉症にもよく使われます。
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se13/se1329708.html
広く抗アレルギー薬に分類される「ヒスタミンH1拮抗薬(第2世代抗ヒスタミン薬)」です。ヒスタミンH1受容体に対する親和性・特異性が非常に高いのが特徴です。比較的速効性です。
くしゃみと鼻汁の症状に向きます。鼻づまりのひどい鼻閉型にはあまり効かないかもしれません。ステロイド点鼻薬ほど強力ではありませんが、副作用の心配はほとんどありません。長期の使用も安心です。
https://hana783.jp/treatment/steroid.php
・・・60歳代に入ってから「アレルギー性鼻炎?」に悩まされるようになって、特にヒドイ「くしゃみ」そして「鼻水」です。しばらくCM等で有名な「飲み薬」の服用を続けましたが、一向に効果なく、とうとう「キライ」な病院へ。
・・・今のところ効いているようですが、安心はできません。しかし、処方していただいた点鼻薬は「虫々プロジェクト」に効果をあげました。「シュッシュ虫」です、ははは。さて、この形どこかで見たような気がするので、いろいろ調べてみました。
《マイマイカブリ》(蝸牛被、学名:Damaster blaptoides)
コウチュウ目(鞘翅目)オサムシ科オサムシ亜科に分類される昆虫の1種。成虫の体、特に頭部が前後に細長い大型★オサムシである。日本の固有種で、地域変異が大きく、多くの亜種に分化している。成虫の体長は3~7cmほどで、基本的に全身がつやのない黒色だが、体の大きさや前胸部および頭部の色彩が地域や亜種によって大きく異なる。成虫は細長い★ヒョウタンに長い触角と脚が生えたような形をしている。頭部と前胸部は前方に細長く伸び、大顎が発達する。触角は細長く体長の半分ほど、脚も細長いががっしりしている。後胸部と腹部は背面が膨らんだドーム状で、前翅の先端がとがる。左右の前翅は羽化後にそのまま融合してしまい開くことができない。さらに後翅も糸状に退化しているため飛ぶことができない。日本では特に珍しい昆虫でもないが、マイマイカブリをオサムシ類全体で見ると、★日本固有種であること、世界的に見ても大型種であること、頭部と前胸部が近縁の他のクビナガオサムシ類と比べても極端に細長いことなどの特徴を持つ。亜種ごとに様々な変異があるので昆虫採集の対象となっており、愛好家も多い。海外のオサムシ収集家にも★憧れの的の1つともなっている。
幼虫は★カタツムリ食で、1齢幼虫は充分な量のカタツムリを摂食すると土中に潜り、脱皮して2齢幼虫になる。通常のオサムシ類やゴミムシ類は3齢が終齢幼虫であるが、マイマイカブリやこれに近縁のクビナガオサムシ類は2齢が終齢である。1齢、2齢とも、かなり大きなカタツムリを捕食することができるため、それぞれの齢で1回のみの捕食で次の齢に進むのに充分な食物を得ることもでき、その場合は孵化してから成虫になるのにたった2個体のカタツムリを摂食するだけで済むことになる。カタツムリを充分摂食した2齢幼虫は土中に深く潜って蛹室を形成し、内部で蛹になった後、羽化して成虫となる。
・・・「オサムシ」と言えば、
★親友が語る手塚治虫の少年時代(8)治虫(オサムシ)誕生
http://mushimap.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
それから、彼は手塚治虫というペンネームを付けていますね。「治」の下に「虫」をつけて、はじめは「オサムシ」と読ませていました。そのペンネームの由来ですが、手塚君の親友の一人に石原実君という友達がいました。彼は池田附属小学校の旧校舎のすぐ裏に大きな家がありました。今は大阪の淀屋橋にビルをもっており、★石原時計店の社長をしています。その石原君は科学少年で、いつも理科的、科学的な題をつけた作文を書いていました。何を作ったとか、何を調べたとか。あるとき先生が「また石原君は理科のテーマか。一度、違うテーマで書いてみなさい」と言われ、一晩考えて「綴り方の題はなかったこと」と書いたくらいの科学少年でした。この石原君が四年生のときに、平山修次郎が著した『原色千種昆蟲図譜』という昆虫図鑑を家から持ってきました。「これ見てみ、昆虫が載ってるで」と言って渡しました。すると、窓際から二列目の一番前の手塚君が、「わあすごいな、日本にはこんなたくさん虫がいるんか」と、その本を開きました。そしたら友達がぐるりと取り囲んで、その本を一緒に覗きこみました。「これ採ったことある」「これ知ってるで」と見ていきました。ゆっくりページを繰っていきながら見ていくと、ひょろ長い虫が紹介されたページがありました。誰かが「これなんちゅう虫や」と手塚君に聞きました。手塚君が「ああ、これオサムシいうらしいで」と。そしたら洒落の上手い友達が即座に「えっオサムシ?それやったら手塚オサムシや」と言いました。そしたら、皆が「ほんまや、ぴったりや」と言い、手塚君が黒板に、漢字で「命名 手塚治虫」と書きました。実はこれが彼のペンネーム「手塚治虫」が誕生した★歴史的瞬間なんです。彼はまんざらでもない顔をしながら、ニコニコ一部始終を見守っていました。目の玉が大きくて首が細くてヒョロヒョロして、しかも肉食で夜行性。この特徴が自分の性格にぴったりやと思い気に入ったそうです。彼は「治虫」というペンネームを気に入って使い出しました。図画の作品の裏に「手塚治虫」と書き、先生に「手塚君、正しい名前を書きなさい」と言われるくらいで、その頃から使い出していました。彼の漫画でも、最初のころは「手塚治虫(オサムシ)作画」と書いています。昭和25年くらいまで「オサムシ」で通していました。それ以降は治虫と漢字そのままで「オサム」で通しています。
・・・「歴史的瞬間」とは「天使が降りてくる」心地よさ、もっともっと天使が降りてきてほしい、と願う今日この頃です。