これでいいのだ | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・渋谷毅さんのアルバムで一番気になる「猫ジャケ」、

 

《酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図》渋谷毅オーケストラ1993

1986年に従来の典型的なビッグバンド・スタイルから解放された “渋谷毅オーケストラ” を結成し、これまでに6枚の作品を発表している。3作目初めてのスタジオ録音、板谷博がゲスト参加している。

★渋谷毅(arr, p, org), ★石渡明廣(g) ,★林栄一(ss,as),★峰厚介(ts),臼庭潤(ss, ts) ,松本治(tb), 松風鉱一(fl, as, bs) , 川端民生(b), 古澤良治郎(ds) , 板谷博(tb)

(1)酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図(2)Utviklingssang(3)Frank4. Return for Good(5)Carrie(6)Jazz Me Blues(7)A New Hymn

1曲目★石渡明廣さんの曲、ファンキーなリズムのうえでギターとオルガンが醸し出す雰囲気最高の曲で、バリトンのバンプのうえで管楽器群がオーケストラというよりホーンセクションとして活躍する。ギターソロのあとリズムが8ビートになり、第2テーマのようなものが現れ、ブルースになる。臼庭潤のソプラノがすばらしいソロを繰り広げ、渋谷毅のオルガンが攻撃的なソロをする。そのあと曲というよりリズムを全員で吹いているようなテュッティのパートが続き、ドラムソロからまたオルガンが最初のテーマを呼び起こすリズムを弾きはじめて元に戻る。2曲目はカーラ・ブレイのバラードで、ピアノのイントロが美しい。3曲目はオルガンが鳴り響くシャッフルブルースで石渡さんの曲。4曲目はギターのイントロのあと、オルガンが同じリフを繰り返すなかでゆったりしたテーマが登場する。シンプルで、古澤良治郎さんの曲。5曲目も石渡さんの曲、ムーディーなバラード。6目はデキシー「ジャズ・ミー・ブルース」。ラストはまたカーラ・ブレイのバラード。

 

 

・・・ジャケットにかかげられた「これでいいのだ」そして「猫」が気になって、さらに調べていくと、えらいことになってしまいました。

 

【石渡明廣】

http://ishiwatariakihiro.seesaa.net/

1958年8月27日神奈川県横須賀生まれ。ジャズ・ギタリスト/ドラマー。★渋谷毅(p)オーケストラ、★片山広明(ts)、梅津和時(as)のグループなどで活動し注目される。渋谷オケでは多くの楽曲も提供する中心メンバーのひとりである。96年に★林栄一(as)をフロントに据えた自己のグループ“MULL HOUSE”の初アルバムをリリース。その後、同グループを中心に、★峰厚介(ts)、秋山一将(g)のグループにも参加するなど活動は広い。

 

 

【林栄一】(1950~)

高校時代からアルト・サックスの腕前が評判となり、★山下洋輔のバンドに飛び入り演奏して、以後交友を深める。約十年、各地のキャバレー専属のハコバン(ビッグバンド)のメンバーとして腕を磨き、1980年代に山下と再会し、山下のバンドのメンバーとしてデビュー。1990年、初の自己名義作品『MAZURU』発表。収録曲「ナーダム」は、後に渋さ知らズのレパートリーとなった。1990年代中期には、★片山広明との双頭バンド、デ・ガ・ショーで活動。なお、デ・ガ・ショーのセカンド・アルバムのライナーノーツを寄稿した★忌野清志郎は、「俺も参加させろ!」と書き、後日、本当に共演する。その後、関島岳郎らとフォトンを結成し、篠田昌已へのトリビュート・アルバムを制作。アルバム『森の人』(2001年)では吉田達也と共演。『birds and bees』(2006年)は、サックスの多重録音を中心とした意欲作となった。

 

 

【片山広明】(1951~2018)

高校生の頃アルト・サックスを始め、後にテナー・サックスに転向。國學院大學を中退し、プロとして活動を始めた。1970年代後半、篠田昌已、梅津和時、早川岳晴らと共に生活向上委員会大管弦楽団で活動、2枚のアルバムを発表。また、1970年代末には★RCサクセションと交流を深め、以後、レコーディングやライブをサポート。1980年代は、梅津和時率いるD・U・Bで活動。ヨーロッパ公演も行った。1990年代に入ると、渋さ知らズで活動。初参加アルバムは2作目『DETTARAMEN』(1993年)で、以後、渋さ知らズにとって重要な存在となり、2006年のメジャー・デビュー後もレコーディングやライブに参加。ダンドリスト(指揮者)の不破大輔は、片山を「渋さで言えば四番バッター」と評している。また、1994年には林栄一と共にデ・ガ・ショー結成。2作目のライナーノーツで、忌野清志郎に「片山、なんで俺をさそわないんだよ」と書かれたのを受けて、共演アルバム『Hospital』を制作・発表するに至ったという逸話がある。1998年には、林栄一との新ユニットCO2結成。その他、忌野清志郎や麗蘭のサポートも行う。2018年11月13日、肝臓がんのため死去。67歳没。

 

 

・・・酔っ払い、なかなかいいねえ。

 

《参考》

●「全日本満足問題研究会」1976~

1976年から、『週刊読売』誌上で「全日本満足問題研究会」(★赤塚不二夫★赤瀬川原平★奥成達、高信太郎、長谷邦夫)と名乗り、「バカなことを真面目にやる」連載を行った。1978年には、赤塚不二夫と全日本満足問題研究会と名称を変え、レコード『ライヴ・イン・ハトヤ』を発表。伊東のハトヤで行った実況録音盤という架空の設定での疑似ライヴ・ギャグ・アルバム。★タモリ★山下洋輔★坂田明等が参加。高平哲郎がプロデュース。作曲は小林亜星等が担当。映画"2001年宇宙の旅"で知られる名曲"ツァラトゥストラはかく語りき"で神々しく始まり、野坂昭如作詞、いずみたく作曲による"ハトヤのテーマ - オーケストラ・ヴァージョン"、高信太郎が歌うスウィンギンで小粋なジャズ歌謡"バナナ・ブレッドマン"、"電線音頭"のパロディ"温泉マンの温泉音頭"、タモリの持ちネタで知られ山下洋輔トリオだった坂田明が発祥とされる「ハナモゲラ語」全開の"神おろし"(山下洋輔が笛、小山彰太が太鼓で参加)、"講演「優柔不断」について"から終盤怒涛の流れが圧巻の"優柔不断音頭"等収録した伝説の迷ギャグ・コンセプト・レア・アルバム。

 

●《カムイトラノ屈斜路湖ジャズフェスティバル》1983~1984

北海道弟子屈町で行われた野外ジャズ・フェスティバル。1983年と1984年の2回開催された。プロデュースは漫画家★赤塚不二夫。カムイトラノはカムイト゜ラノと表記されアイヌの言葉で「神々とともに」という意味、自然にみんなで感謝しようという趣旨でつけられた。「ト゜」はアイヌ語の発音を表記したもので「トゥ」に近い発音をする。 1985年以降は採算性の問題から開催されていない。週刊プレイボーイ誌に連載されていた、赤塚不二夫の「これでいいのだ!」人生相談によると、(記述は単行本には未収録)コンサートの成功を受け、イベント屋、広告代理店などから、企画の中心人物であった赤塚やアイヌの人々を排除し、ジャズフェスティバルを継続しようとする働きがあった事も、コンサートを継続しなかった要因であるとしている。

 

●《私もあなたの数多くの作品の一つです》2008.8.7タモリさんの弔辞

1970年代半ばには★山下洋輔等を介して素人芸人時代のタモリと出会う。タモリの芸を認めた赤塚は大分県日田市のボウリング場の支配人であったタモリを上京させ、自らは事務所に仮住まいしながらタモリを自宅に居候させ、のちの芸能界入りに大きな貢献をした。

 

●《赤塚不二夫さんの思い出》2008.8.17公明新聞より

天衣無縫のギャグ人生——ガンに負けても「これでいいのだ!」詩人・ジャズ評論家★奥成達

もう三〇年ほど前に「人間ギャグ・赤塚不二夫」という文を書いたことがある。つまり赤塚不二夫にとってギャグとは、漫画やコントの★ネタなどではなく、どんなアホな問いに対しても絶対に答える用意のできる、自分の「魂」のことなのである、と。……赤塚不二夫さんと最初にお目にかかったのは1969年、いわずとしれた下落合・ひとみマンションのフジオ・プロである。「天才バカボン」の全盛期だった。ぼくは27歳。赤塚さんは1935年生まれだから34歳。日本テレビに「歌う王冠」という歌謡番組があったぼくはその構成者として、当時爆発的大人気の「天才バカボン」にあやかってなんとか視聴率を上げられないものかという魂胆で、当時同じく「365歩のマーチ」で大ヒット中の「チータ」こと水前寺清子さんと二人を司会者としてドッキングさせることを計画した。タイトルは「チータとバカボン」。月2回の公開録音で2本録り。場所は大手町・産経ホール。こうして赤塚さんと月に2回はお目にかかるようになった。……1974年に赤塚さんが突然「山田一郎」と名前を変えたことがあった。さっそくぼくはその「赤塚不二夫」の名をもらって、多分半年間ぐらいだったと思うが「二代目・赤塚不二夫」になりきって仕事をしていたことがある。こんなことを面白がって平気でやってしまう人なのである。けっして威張ったり、偉ぶったりするところがまるでない。ところが「山田一郎」名の評判が悪くて、やむなく元の「赤塚不二夫」に名を戻したので、今度はぼくが「山田一郎」になって勝手に仕事を始めた。と、まあ一体なにをやっているんだろうかと思われるかもしれないが、という遊びをやたらに面白がる人だった。……

 

●奥成達さんを偲ぶ「花見」のような集い/2015.9.25奥谷達資料室より

発起人★山下洋輔★渋谷毅★坂田明 龍野治徳 白石かずこ 藤富保男 國峰照子 山口眞理子 高平哲郎 吉田仁 森詠 高橋肇 四釜裕子 岩神六平 奥成繁

https://okunari.exblog.jp/

終戦記念日の昼にカレーパンをちぎってひと口食べ、軽い寝息をたてていた翌日の深夜2時、奥成達さんは安らかな表情で息を引き取りました。「東京25時」「小説マガジン」などの伝説の雑誌や、「ジャズ三度笠」「深夜酒場でフリーセッション」「空飛ぶ冷し中華」「怪談のいたずら」「遊び図鑑」「ドラッグに関する正しい読み方」「宮沢賢治、ジャズに出会う」「昭和の子ども生活図鑑」など幅広いジャンルの多彩な著作の他、詩誌「gui」で北園克衛研究、フリー音楽集団「BUSバンド」でのトランペットはレスター・ボウイみたいとおだてられ、草野球「ソークメナーズ」では野村克也の背番号19でガニ股打法のスラッガー、秘湯を愛する温泉主義、青山学院大学文学部講師、葉山の花見大宴会、六本木、新宿、銀座と盛り場を走り続け、エネルギッシュな創作と遊戯活動を展開。実に数多くの方々と出会い、支え、支えられ、巻き込み、巻き込まれての73年でした。奥成達さんを偲んで、ご縁のあった方々に「花見」の感覚でお集りいただき、缶ビール片手に思い出話あれこれ花咲く時間となれば幸いです。

 

 

・・・JAZZと猫「これでいいのだ」?ニャロメ。