藤川勇造 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《NEWS》2020.9.25朝日新聞より

アート県、校長室も美術館/見上げればロダン弟子の彫刻

ロダンの日本人弟子の彫刻や、歴代校長のレリーフ――。「アート県」を掲げる香川の高校は、校長室の中も芸術作品で彩られている。★高松市立高松第一高校(同市桜町2丁目)の校長室兼応接室では、高さ2メートル以上の女性のブロンズ像が、りりしい顔つきで訪問客を出迎える。細川典宏校長(59)は「訪れる人は、驚くことが多いです」と話す。2017年に赴任し、初めてこのブロンズ像を見たときは自身も「美術館のようだ」と驚いたという。この像は、「考える人」で知られる彫刻家ロダンの日本人弟子、藤川勇造(1883~1935)の代表作の一つだ。高松市の漆芸の家に生まれた藤川は、香川県工芸学校(現★高松工芸高校)で学んだ。上京し、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業後はフランスに留学。ロダンに腕前を認められ、助手を務めた。高松第一高校にあるブロンズ像は、藤川の晩年の代表作「裸立像」の複製だ。1930年ごろに作られた原型から型をとって新たに鋳造したもので、67年ごろ校内に設置されたという。当時は創立40周年に向けて、校舎内に飾る像を探していた。当時赴任した美術教師が、藤川勇造の妻で洋画家の藤川栄子(1900~83)の知り合いで、複製を依頼し、快諾されたという。最初は校舎の玄関や美術室に置いてあったが、やがて校長室に移った。

★参考《高松市立高松第一高等学校のロビー画》/「声庵閑話:南正邦の覚え書き」より

https://plaza.rakuten.co.jp/masakuni/diary/201812110000/

 

 

藤川勇造】(1883~1935)

明治16年、高松市の漆工の家に生まれました。讃岐漆芸の祖・玉楮象谷を大伯父にもつ環境で育った藤川は、香川県立工芸学校(現★高松工芸高校)に第一期生として入学します。その後、東京美術学校で本格的に彫刻を学び、卒業と同時に海外実業練習生として渡仏。パリでは生涯の友となる安井曽太郎らと親交を結び、「スザンヌ」など初期の代表作を制作します。この頃、藤川は巨匠ロダンと出会い、才能を認められて助手を務めたほか、制作についての助言を受けるなど貴重な時間を過ごします。帰国した藤川は、大正8年に二科会に迎えられ、新たに彫刻部を創設。日本の風土に根付いた彫刻の近代化を理想に掲げ、穏やかでじっくりと造形された裸婦像など独自の表現を発展させます。しかし、彫刻家として充実した制作を続けていた矢先の昭和10年、美術界を揺るがす帝展改組の混乱の中で急死し、51歳の若さでその生涯を閉じます。伝統と近代、西洋と日本など多様な世界を背景に、彫刻と向き合い続けた藤川勇造。現存するほぼ全ての作品約40点をロダンや同時代の日本人彫刻家たちの代表的な作品とともに紹介し、静謐の内に情熱の息づく藤川の作品世界に改めて迫ります。(香川県立ミュージアム「静かなる情熱-藤川勇造とロダンの美」2008より)

★参考「アトリエ新築の直後に死去した藤川勇造」/落合道人より

https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2017-05-31

「1933藤川勇造アトリエ」/建築家「山口文象」アーカイブスより

https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1/1933hujikawa

 

 

・・・昨年「高松工芸高校」を訪問したこともあって、嬉しいニュースでした。そして「藤川勇造」でハタとあることを忘れていたことに、気が付いたのです。

 

★『大丸心斎橋店本館』2019年9月20日(金)13時グランドオープン

 

《参考》「そごう」/Wikiより

大阪ミナミの御堂筋沿いに所在したそごうの一号店。通称:心斎橋そごう。 1877年に心斎橋へ移転して以来、隣接する大丸とは競合関係にあった。2000年の最終営業日まで供用された建物は1935年に竣工したアールデコ様式の設計で、村野藤吾が手がけたもの。館内にはシンボルゾーンとして「光の樹」、★藤川勇造によるシンボルモニュメント「飛躍の像」が設置され、昇降設備のエレベーターには島野三秋による「漆螺鈿装飾扉」が描かれていたほか、館内の天井にはモザイクタイル天井画として鶴丸梅吉による「天空」が採用されていた。1982年から6年間にかけ「魅力化計画」と称して半年ごとに少しずつリモデルを進め、全館のリモデルを進めていった。このほかに地階には「世界の人形時計」としてからくり時計が設置されていた。心斎橋の地で65年に渡り営業を続けていたが、そごう経営破綻の煽りを受け2000年に閉店する。その後「大丸北館」として生まれ変わる。

 

・・・あわてて「心斎橋」へ、そして「飛躍の像」に会いに行こう。

 

 

・・・なんと「心斎橋駅」もリニューアル中です。

 

【心斎橋駅】「ジ・オオサカ・ブランド」“ The OSAKA Brand ”

https://subway.osakametro.co.jp/news/news/other/20190829_5ekidesign.php?_ga=2.184814058.278430899.1601132768-1711269025.1601132768

Osaka Metroは、去る2018年12月20日に、地下空間の大規模改革としてリニューアルデザイン案を発表した15駅のうち、御堂筋線中津駅、梅田駅、心斎橋駅、動物園前駅、中央線堺筋本町駅の5駅のリニューアルデザインを決定しました。2018年の発表以降、お客さまや地域の皆様をはじめ様々な方々からのご意見を踏まえ、多様性を大事にし、「各駅の地域性や歴史性を活かす」という当初から目指している方向性をより深掘りし、Osaka Metroの想い・意図が皆様にしっかりと伝わるよう、そして、より多くの方々にご納得いただけるよう奥山CDOの監修のもとデザインコンセプトやデザインをブラッシュアップしました。