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・・・「死海文書」がすべて偽物だったということで「聖書博物館(Museum of the Bible)」を紹介したところですが、

 

《NEWS》2019.1.7ナゾロジーより

奴隷たちの思想をコントロールする★「奴隷聖書」の展示が人気を集める。その巧みな思想統制法とは?

現在、アメリカのワシントンD.Cにある★「聖書博物館(Museum of the Bible)」にて「奴隷聖書(Slave Bible)」が来館者の注目を集めています。「奴隷聖書」は、19世紀初頭にカリブ諸島に連れてこられたアフリカ人奴隷を、キリスト教に★改宗させる目的でイギリスの宣教師たちがつくったものです。しかしその内容は、奴隷たちの反乱士気を刺激しないよう大幅な編集が行われていたことがわかりました。詳細なレポートは12月9日付で「ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)」上に掲載されています。アフリカの奴隷は、アフリカの植民地化が進む17世紀頃、カリブ諸島に浮かぶ「イギリス領ヴァージン諸島(今日のジャマイカ、バルバドス、アンティグア島)」に数多く連れて来られました。当時強大な力を誇っていた大英帝国は、自国の経済的利益をさらに促進するため、島ごと使って砂糖の大農場を造営していました。そこへ労働力として投資された奴隷の数は、なんと数百万人に及びます。しかし、そのような★膨大な数の奴隷をまとめるのは至難の業です。そこへ、イギリスからやって来た宣教師たちが、奴隷たちの労働意欲の向上とキリスト教への改宗を目的として、1807年に★「奴隷聖書」を作成します。この「奴隷聖書」は、もちろんただの聖書ではありません。奴隷たちの反乱を誘発しないように、大幅な編集が行われていのです。例えば奴隷となっていたユダヤ人が大脱出をする「出エジプト記」の部分などは、彼らの脱出を促さぬよう全編カットされています。他に削除されていたのは、エレミヤ書の22章13節「不義によって自分の家を建て、不正によって自分の高殿を建てる者。隣人をただで働かせて報酬も払わない」や、出エジプト記の21章16節「人をさらった者は、その人を売っていても、自分の手もとに置いていても、必ず殺されなければならない」。さもありなん…という感じです。こういったイギリスの支配者を批判するような文章は、すべて切り取られていました。

 

 

こうした改訂を受けたことで「奴隷聖書」は極端に短くなっています。聖書の巻数は宗派によって異なり、★プロテスタントは全66巻、★カトリックは全73巻ですが、★「奴隷聖書」はわずか14巻。これは奴隷たちの★識字率の低さを考慮した結果でもありますが、イギリスが自国に有益となるよう洗脳を試みたことが大きな理由です。しかし、宣教師たちが行ったのは削除だけではありません。反対に、奴隷の献身的な服従を促すような箇所は抜粋して読ませました。例えば、エフェソの信徒への手紙の6章5節「僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい 」といった文章です。こうした緻密な編集作業を見るに、イギリスがいかに★巧みに奴隷たちの思想統制をおこなっていたかがうかがえます。今日、現存している「奴隷聖書(Slave Bible)」のコピーは3部のみで、そのうち2部はイギリスに、1部がワシントンの博物館で去年から一般公開されています。事細かにコラージュされた「奴隷聖書」の内容に来館者の人気は沸騰。現在では「奴隷聖書」を中心としたイベントがおこなわれています。しかし、歴史的には「奴隷聖書」の操作によっても、奴隷たちの★反乱を止めることはできませんでした。彼らはどんなに手ひどい仕打ちにも★めげず戦いつづけ、ついには1834年に解放されます。人間の自由を求める力は、支配者の権力よりも強いことを見事に証明したのです。

 

・・・「自由を求める力」こそが信じるところ。2020年5月、アメリカで起きた黒人が白人警官に殺害された事件は、黒人差別反対運動「Black Lives Matter 黒人の命は大切だ)」を世界中で生みました。そのような背景もあって、今「奴隷聖書」が注目されているのかもしれません。

 

 

《参考》BLM運動=「全ての命が大事」ではない、日本に伝わらない複雑さ/Newsweekより

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/blm-3.php

 

 

《NEWS》2019.9.27現代ビジネスより

アメリカで話題「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」とは一体何か

「アーメン」ではなく「ラーメン」

米国は、日本と同様、★政教分離を原則とするが、そのあり方は日本とは大きく異なる。連邦議会の開催時、最初に★聖職者の主導で祈り、それに続いて★国旗への忠誠の誓いが行われる。政治という★公の場に、祈りという宗教実践が組み込まれている。日本ではなかなか考えられない状況だ。会議冒頭の祈りは、連邦議会に限らず、地方でも習慣化している。そして、最近話題になっているのが、2019年9月18日、アラスカ州のキナイペニンシュラ郡会議での出来事だ。登場するのは★パスタの湯切りボウルをかぶった男性だ。そして、彼が祈りを捧げたのは「酔っ払った真の宇宙の創造主(the true inebriated creator of the universe)」である。祈りの最後には「アーメン」ではなく、★「ラーメン」と言っている。いったいどうしたのだろうか。この男性は空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の信者★(パスタファリアンと呼ばれる)である。この宗教の教えでは、世界は空飛ぶスパゲッティ・モンスターが大酒を飲んだあとに創造された。天国に行けばストリッパー工場とビール火山があり、毎週金曜日が祭日だという。フェイスブックには日本支部のページもあるが、新しいカルト教団か何かだろうか。実はまったく違う。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(Flying Spaghetti Monsterism、以下FSM)は2000年代に作られた。創設者ボビー・ヘンダーソンはオレゴン州立大学で物理学を学んだ人物だ。ヘンダーソンがFSMを立ち上げたきっかけは、2005年、オレゴン州教育委員会が公立学校で★進化論と並行してインテリジェント・デザイン説(ID説)を教えようとする動きを見せ始めたことである。インテリジェント・デザイン説は日本では馴染みがないが、難解なものではない。何らかの★知的存在(インテリジェント)がこの世界を創った(デザインした)という見方だ。要するに、キリスト教の教義の焼き直しである。旧約聖書によれば、世界は神が6日間かけて創った。世界はビッグバンのような偶然から始まったのではなく、その後のすべての出来事にも★神の意思が透徹している。人は猿から偶然に進化したのではない。一人一人の運命もすべて★神が定めたものであり、どんな悲劇であろうとも、ある人が生まれて死ぬことには★神のみぞ知る意味がある。このように世界から★偶然を排除して、すべてを必然とするのがキリスト教の世界観である。そして、ID説はキリスト教的世界観を公教育に持ち込むために作られたものだ。見かけ上の★宗教色を払拭するために、「神」という言葉を「知的存在」で置き換えたにすぎないのは明らかだろう。キリスト教であれID説であれ、それが★私的に信じられる分には問題ない。日本でそうした宗教的な教えが、あからさまに公教育に持ち込まれる局面というのは考えにくい。しかし、米国の場合、聖書で描かれた天地創造を科学的に証明しようとする★「創造科学(Creation Science)」を教える大学が存在する。もちろん創造科学はニセ科学だが、博物館まである。シンシナティ近郊の★創造博物館(Creation Museum)は、7000平方メートルに及ぶ敷地に動物園と植物園も備えており、膨大な展示とアトラクションを通じて、聖書に描かれた歴史を学んで体験することができる。例えば同博物館の展示では、恐竜の化石はかつて世界で大洪水が起きた証拠として、つまり、ノアの方舟に結びつけて説明される。ヘンダーソンがFSMを立ち上げたのは、こうしたキリスト教による★公的領域への侵食を批判するためだ。仮にキリスト教の天地創造の焼き直しのID説が公教育で認められるならば、それ以外の宗教的(=非科学的)説明も認められなくてはおかしいというわけである。ID説の歪さを明らかにするために、空飛ぶスパゲッティ・モンスターという★あからさまにおかしい神を作り出したのだ。2006年、ヘンダーソンは『空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書(The Gospel of the Flying Spaghetti Monster)』を刊行している(日本語版には『反・進化論講座』という適切な主題が補足されている)。同書でヘンダーソンは重力をめぐる議論を例にあげる。私たちは重量の性質について多くのことを知っているが、★なぜ重量が発生するのかについて完璧に証明された理論は存在しない。しかし、だからといって、宗教的なものも含めたすべての説を平等に扱う必要があるのか。すべてが★仮説だからといって、重力の背後にスパゲッティ・モンスターがいるという説も、物理学の学説と同じように扱うべきなのかというのがヘンダーソンの問いかけである。

 

 

やろうと思えば、FSMでさえ科学的に裏づけられる。例えば、古代人の身長が低く現代人が高いのは、かつてはスパゲッティ・モンスターがそのヌードル触手ですべての人の頭を押さえつけていたが、人口増加で触手が不足するようになったためだ。こうした説明に納得する人はいないだろう。だが、米国では特にキリスト教だけが★特別扱いされ、慣習や価値観が公の場に持ち込まれており、FSMはそれを批判しているのである。FSMは社会的にも広がりを見せつつある。当初はネット上で宗教批判を行う際の手がかりとして★冗談半分に用いられていたが、2016年にはオランダで★宗教団体として認可された。さらに米国では、FSM信者が湯切りボウルをかぶったまま運転免許証の写真撮影をする事例も見られるようになっている。米国では、★宗教上の理由であれば帽子類をかぶったまま撮影することが認められており、それを批判しているのだ。こうした宗教批判はFSMに限ったものではない。他にも、見えざるピンクのユニコーン教(Invisible Pink Unicorn、以下IPU)がある。見えないけどピンク――神は人間には見えない存在であるにもかかわらず、その姿形も含め、これまでキリスト教がいかに★勝手な神イメージを作り出してきたかを批判しているのだ。IPUは無神論者用のジュエリーショップを展開している。そのサイトによれば、米国では、★無神論者はモラルを欠いた悪人と見なされ、社会的に孤立してしまう。こうした社会的偏見を打破し、無神論者同士のつながりを示すために、IPUのシンボルをかたどったジュエリーを身につけようというのである。実のところ、今回FSMの牧師が祈りを捧げたアラスカ州では、誰が公的な場で祈れるのかをめぐる裁判が数年にわたって行われ、昨年、その判決が出されていた。従来は、議会が認めた宗教団体の代表者だけが会議前の祈りを行えると取り決められていた。それに対して、非キリスト教の人々が訴えを起こし、昨年10月、アラスカ州最高裁が取り決めが★違憲であるという判決を出したのだ。そして、郡の住人で事前に申請した者であれば、誰もが祈りを執り行えるようになったのである(参照:Anchorage Daily News)。判決後、2019年に予定されている20ほどの会議の祈りに対して、またたくまに事前申請が集まった。それらには、キリスト教の牧師に加えて、無神論者や魔女団体の信者、そしてFSMの信者が含まれていた。そのなかでも、★悪魔寺院(The Satanic Temple)の女性信者による祈りは退席者を出すなど物議を醸した 。あからさまに反キリスト教的な悪魔を集団名に掲げるのだから、伝統的にキリスト教信者にはショッキングだろう。ウェブサイトも、キリスト教圏では邪神のシンボルとされるヤギと魔法陣が浮かび上がる。しかし、悪魔寺院も、その名前とは対照的に、★悪魔を崇拝するカルト団体ではない。彼らの目的は、キリスト教が米国で大きな力を持ち、例えば人工妊娠中絶が認められないなど女性の自己決定権を侵害している現状を問題化することにあるのだ。建国の経緯から、米国では長らくキリスト教が大きな影響を持ってきた。現在でも、先進国では唯一といってよいほど★宗教が活発だ。だが、他の先進国同様、若い世代を中心とした★宗教離れは着実に進んでいる。世論調査会社ギャラップによれば、プロテスタント信者が米国人口に占める割合は、1955年頃には71%だったのに対し、2017年には47%に★激減している。さらに、若年層の★3割以上が無宗教であることを自認している。アラスカ州での奇妙な祈りは、キリスト教国家という米国の★暗黙の前提が崩れつつあることを示唆していると言えるだろう。

 

・・・アメリカって面白い国だなあ、でももっと面白いのが「日本」かも。日本で「無宗教」な若者は3割以上ではないかなあ?私は・・・「あっと驚くアート教」です。

 

 

《参考》「なぜ日本人は信仰を聞かれて「無宗教」と答えたがるのか」文:島田裕巳(宗教学者)/iRONNAより

https://ironna.jp/article/6821

日本人は自分たちのことを★「無宗教」だと考えてきた。それを裏づける資料もある。アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出た。日本より信仰率が低いのは、香港や北欧諸国などわずか7カ国しかない。たしかに、日本は無宗教の国であるということになる。しかし、これが果たして正しいのかどうか、実は怪しい。NHKが1996年に行った「全国県民意識調査」というものがあるが、全国平均では、信仰を持っている日本人の割合は31・2%であった。ギャラップ社の調査よりは高いが、★7割近くが無宗教であるということになる。ところが、都道府県別に考えると、かなりのばらつきがある。★最も低いのは沖縄の7・8%で、これが飛び抜けて低いが、次いで千葉県の18・1%である。★関東はおしなべて低く、一番高い東京でも27・0%である。★東北も低く、すべての県が20%台である。他に20%台は、新潟、山梨、高知である。反対に、最も高いのが福井の58・0%で、広島も53・7%と半数を超えている。40%台は、富山、石川、長崎、鹿児島、香川である。長崎の場合には、キリスト教が5・1%で、このことが信仰率を押し上げているが、他に高い県は、浄土真宗の信仰が強い★「真宗地帯」である。鹿児島も浄土真宗は強い。この点は重要で、★浄土真宗の信仰が強いところでは、どこでもかなり信仰率が高いのである。平均してしまうと、この地方による違いが見えなくなる。

また、2008年にNHK放送文化研究所も加わっている国際社会調査プログラム(ISSP、International Social Survey Programme)が行った調査では、日本人の信仰率は平均で39%という結果が出たが、この調査では、男女別年齢別に集計しており、興味深いことが明らかになった。16歳から29歳では、女性が20%で男性が17%とかなり低い。ところが女性の場合には、30歳から39歳で28%、40歳から49歳で39%、50歳から59歳で43%、60歳以上で56%と年齢が上がるにつれて徐々に信仰率が上がっていくのだった。さらに興味深いのは男性の場合である。30歳から39歳で19%、40歳から49歳でやはり19%と、50歳になるまでは若い頃と変わらず低いのだが、50歳から59歳では41%と急に上昇し、60歳以上では56%と女性と肩を並べるのである。なぜ男性は50代になると、急に信仰を持つようになるのか。おそらくそこには、★定年を意識するようになるということが関係していると思われる。私が今教えている女子大生の父親は、ちょうどこの世代にあたるが、急にお寺参りをするようになったとか、私の本を読んでくれるようになったとか、そう答える学生が多い。この二つの調査結果を踏まえて考えると、果たして日本人は本当に無宗教といえるのかどうか、そのこと自体がかなり怪しくなってくる。もしかしたら、無宗教は建前であって、宗教を信仰しているというのが本音なのではないか、そうとさえ思えてくるのである。自分が無宗教であると標榜するのは、他人から信仰を聞かれたときである。そのときには、自分が信仰を持っているとは答えにくい。それだけで★警戒されるかもしれないと思ってしまうからだ。ところが、世論調査の場合には、★こっそりと記入するわけで、調査機関にしかそれは分からない。匿名で記入するのであれば、なおさら、自分がどう答えるかを気にする必要がない。だから、★世論調査には本音が出る。そう考えられるのではないだろうか。

 

世の中で宗教のことが話題になるとき、その対象は★新宗教であることが多い。女優の清水富美加が出家したというときにも、出家先は新宗教の幸福の科学だった。新宗教はかつて★「新興宗教」と呼ばれることが多く、そこには布教に熱心で、信仰に★凝り固まっているというイメージが伴った。特に、高度経済成長の時代に創価学会や立正佼成会などの日蓮系の教団やパーフェクトリバティー(PL)教団が急成長したときにはそうだった。そこから、★新宗教に対する警戒心が生まれ、自分に信仰があると答えれば、そうした新宗教の信者だと思われるのではないかという意識が生まれた。そこで、聞かれれば無宗教と答えるようになった。そうした面がある。その点で、日本人の無宗教というとらえ方には、自分は怪しげな新宗教の信者ではないというニュアンスが強くこめられている。しかし、日本人は無宗教と言いながら、★日常的に宗教の世界と深くかかわっている。初詣には大勢の日本人が出掛け、そのなかにはかなりの数の若者が含まれている。葬式離れは進んでいるものの、仏教式で葬られる人はまだ少なくない。それが真宗地帯ともなれば、「門徒(浄土真宗の信者のこと)」としての自覚は失われていない。四国地方などは、真宗地帯に属する各県に比べれば信仰率は低いが、それは、この地域で根強い真言宗と深くかかわりを持っていても、それを信仰や宗教としては意識していないからだ。奈良や京都で古寺がいくつも残され、他の地域でも名だたる★寺や神社がきっちりと守られてきたのも、日本人には強い信仰があるからだ。無宗教化が進むヨーロッパでは、古いキリスト教の教会でも維持できなくなり、★モスクに売られたりしている。そして、年を重ね、人生の終わりや老後を意識するようになると、日本人ははっきりと自分の★信仰を意識するようになる。それしか、死に向かいつつある★自己を支える基盤を見いだすことができないからだ。日本人の本音は無宗教ではない。★そのことを踏まえた上で日本人の宗教観を見直す必要があるのではないだろうか。

 

・・・同感であり、「あっと驚くアート教」として、今まさに制作を進めているテーマ「和」という作品について、見直しつつ取り組んでいるところ?でもある。むむむ