風の王国(37) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・しばらく間があいてしまいましたが、ようやく読了しました。

 

《サンカの民と被差別の世界》著:五木寛之/講談社2005、ちくま文庫2014

http://bookclub。kodansha。co。jp/product?item=0000182737

消えゆく記憶と、消してはいけない歴史。語られることのない、日本の歴史の深層を真摯に探訪する。かつてこの列島には、土地に定住することなく、国家に帰属することもなく自分の身分証明をした人びとがいた。海の漂泊民「家船」と山の漂泊民「サンカ」である。そして関東には、江戸・東京を中心とした被差別の世界があり、社会の底辺に位置づけられた人びとがたくましく生きた。賤民を束ねたのが浅草弾左衛門、非人頭は車善七だ。

 

<著者のことば>

私は、隠された歴史のひだを見なければ、★“日本人のこころ”を考えたことにはならないと思っています。今回は「家船」漁民という海の漂泊民から「サンカ」という山の漂泊民へ、そして、日本人とは何かという問題にまで踏みこむことになりました。それは、これまでに体験したことのなかった新しいことを知り、自分自身も興奮させられた旅でした。

2002年2月に単行本『日本人のこころ4』として、講談社より刊行。

 

 

《参考》松岡正剛「千夜千冊」より

https://1000ya。isis。ne。jp/0801。html

五木さんが2度目の休筆期間をしばらくへたあとで(このときに東洋・仏教・日本の探索を自分に課したようだった)、久々に世に問うたのが『風の王国』(1985)だったのである。一読、これこそは五木さんが最も書きたかったことだと思った。

 

・・・私もそう思うのですが、「風の王国」についてより深く理解するために、参考となる文章を探してみました。

 

《参考》「孤独死は恥ずかしくない」作家・五木寛之が日本人に問う、21世紀の生き方

「和して同ぜず」と「楕円の思想」がヒントになる。2018。3。7

https://www。huffingtonpost。jp/2018/03/05/hiroyuki-itsuki_a_23376963/

「幸せな人生」って、なんだろう。いい会社に入って、愛する人と出会い、結婚し、子どもを産み、定年まで勤め、退職金をもらって、老後はのんびり――。そんな「古き良き昭和」の人生は、もはや過去のものとなった。どんな大企業だって潰れるかもしれない。退職金だって無いかもしれない。生涯未婚率は過去最高となり、「ひとりで生きる」という選択も当たり前になってきた。これからの時代、私たちはどう生きればよいか。小説家の五木寛之さんは「★根無し草のように、孤独であれ」と語る。そして「孤独死は悪いことじゃない」と説く。

 

・・・「漂泊」「根なし草」等々、まさしく「風の王国」に描かれた世界・人生観ではないだろうか。「一所不住」という言葉で表現されている。さらに、

 

《参考》一所不住の類語、関連語、連想される言葉/連想類語辞典より

流れ者・不住・一所不在・住所不定・居所が次々と変わる・ふうてん・無宿・浮浪・さすらう・流れる・流れ歩く・各地を転々とする・安住しない・新しい世界を探求し続ける・現状に満足しない・ 各地をめぐる・ボヘミアンさすらう・ただよう・転々とする・流浪する・行雲流水・一所不住・浮き草のように・根なし草のように・漂流する・さまよう・ロスト・転職すごろく・定まらない・ジプシー・転がる石に苔は生えない・転石苔むさず・転石苔を生ぜず・放浪・吟遊・彷徨・浮草のように・ 漂泊・風来坊の生活・定住しない・股旅・ジプシー暮らし・ホームレス・風来坊・無宿者・フーテン・ 一定しない・生活拠点が定まらない・住所を頻繁に変える・住所が定まらない・漂泊詩人・転石コケを生ぜず・つねに何かを追い求める・旅する・放浪する・旅の空に生きる・流転・当てもなく・彷徨する・デラシネさすらう・居つかない・繰り返す・不定・さまよえる・活動する・さすらい・無一物で・世捨て人として・流浪・アイデンティティの喪失・旅ぐらし・宿無し

 

・・・おもしろいですねえ、「アート」の本質もこれに近い気がします。さて、

 

 

《NEWS》2015.7.8毎日新聞より

訃報★沖浦和光さん88歳=桃山学院大名誉教授

沖浦和光さん88歳(おきうら・かずてる=桃山学院大名誉教授)8日、腎不全のため死去。葬儀は近親者で営む。しのぶ会を後日開く。喪主は妻恵子(やすこ)さん。大阪府生まれ。中学教諭などを経て桃山学院大教授。1982〜86年、学長も務めた。英文学専攻だったが、70年代前半、被差別民や漂泊民に研究テーマを変えた。研究対象は、国内の被差別民、漂泊民だけでなく、インド、インドネシアにも及んだ。著書に「幻の漂泊民・サンカ」「天皇の国・賤民の国」、共著に作家、故野間宏との「アジアの聖と賤」、俳優の故三国連太郎との「『芸能と差別』の深層」など多数。2012年、人権活動への取り組みが評価され松本治一郎賞を受賞した。

 

《参考》論壇・特別寄稿「辺境から歴史見つめてー沖浦和光追想」民に寄り添う沖浦ワールドの魅力を語る/文:ジャーナリスト池田知隆

http://gendainoriron。jp/vol。06/rostrum/ro01。php

沖浦和光さんが逝った。1927(昭和2)年の元日生まれで、昭和の歴史と共に年を重ね、戦後70年目の夏、この世を後にした。享年88。沖浦さんといっしょに歩いた瀬戸内やインドネシアの島々の旅、和歌山県新宮市での合宿などが楽しい思い出として次々と浮かんでくる。いつも少年のようにきらきらと目を輝かせ、好奇心があふれんばかりの笑顔をしていた。気さくで、いつも熱い血が流れていると感じさせる人だった。戦後まもなく、全学連結成の中心メンバ―として活躍し、青春の血をたぎらせた。一時期、「革命的ロマン」に身を投じたが、その後、被差別民や海や山の漂流民、遊芸人、香具師、陰陽師など日本の歴史の闇に埋もれていく人々に温かいまなざしを注いでいく。その視点の低さ、現場に足を運び、丁寧なフィールドワークを重ねて実証していく手法、行動力、そして周囲の人びととの熱い連帯感‥‥。沖浦さんから学ぶことは尽きなかった。その学問的業績の幅は広く、多岐に及んでいる。それをきちんと評価し、解説するほどの力量は私にはない。それに沖浦さん自身が、近く刊行予定の「青春の光芒 ― 異才・高橋貞樹の生涯」(雑誌『ちくま』連載、2007年6月―2012年3月)の中で、自らの人生、思想遍歴を歴史的に見つめ直している。いまはただ、その思いをしっかりと受け止めたい。人には誰にでも〈人生の磁場〉がある。この世は出会いで決まる。そのほとんどは偶然によるが、人間の生は、いつ、どこで、何に出会ったか、それによって大きく違ってくる。沖浦さんは繰り返し熱っぽくそう語りながらも、弱者や恵まれない人、運の悪い人、そして歴史に闇に消えていった死者たちに常に温かい目を向けていた。私は沖浦さんとの出会いを通して、どれだけ人生を豊かにしてもらったか。沖浦さんの強烈な磁場に引き寄せられた一人として、個人的な思い出をたどりながら「沖浦ワ―ルド」の魅力を語ってみたい。

 

《参考》沖浦和光さんの思い出/文:五木寛之/日刊ゲンダイより

https://www。nikkan-gendai。com/articles/view/life/188774

沖浦和光さんが亡くなられた後、いろんなところから追悼の文章を求められたが、なぜか書けずに一年が過ぎた。こんど、沖浦さんの著作集が出るという。その紹介のパンフレットに、短い文章を寄せたのは、ようやく気持ちが落着いたような感じがするからだ。

 

・・・五木寛之さんは、沖浦和光さんとの共著『辺界の輝き-日本文化の深層をゆく』(岩波書店、2002年)も出しておられます。

https://www.iwanami.co.jp/book/b261409.html

日本文化は、その底流に驚くべき多様な像を潜めている。その見えざる担い手たちは、聖と賤の二重構造の中で、厳しい差別にあいながらも輝く歴史を育んできた。★漂泊に生きた遊芸民、漂海民・家船(えぶね)、漂泊民サンカ…。日本を鋭く問い続けてきた小説家と賤民文化研究の第一人者による熱い討論が、日本文化の虚像と実像を凝視し、歴史の深層を掘り起こす。

 

・・・沖浦さんの本は、これまでにも数冊参考にさせていただいてきました。中でも、

 

 

《竹の民俗誌》著:沖浦和光/岩波書店1991、現代書館2018

竹は日本人にとって日常生活的に馴染みの深いものである。沖浦氏は本書において単なるタケの民俗誌や文化史の留まることなく、時間軸を縄文・弥生時代にまで遡り、古代、中世から現代に至る竹・竹器の民俗・文化を浮きぼりにする。日本神話における竹の物語の伝承とヤマト朝廷に抵抗し追われた海洋民隼人との関係性の解明において、南島文化に迫り、日本列島の基層の文化を掘り起こしていく。沖浦氏は十数年に亘り竹の文化圏・インドネシアの辺境の先住民の各地を訪ねフィールドワークを行った。インドネシア諸島の神話の影響が強いとされる「かぐや姫」伝承と日本列島の関連を明らかにし、『竹取物語』など竹をめぐるフォークロアを底流にした物語の解読から、竹取の翁は賤民と考え、竹細工の歴史も併せて探る。古代から「櫛」器などは呪物とされていた。にもかかわらず、竹細工職人は古代から現代まで、歴史のオモテ舞台に登場することはなく、被差別民として生き続けてきた。また、箕づくりを生業とした★サンカは賤民視されてきた。ここに、沖浦氏は日本の基層を解明するカギがあるとする。本書は日本各地の竹細工職人を訪ね歩き、日本文化の「聖」と「賎」の深層に迫った沖浦氏の名著である。

 

・・・「竹」に興味を持って調べていると、

 

《ものと人間の文化史》法政大学出版局

http://www.h-up.com/

第9回梓会出版文化賞受賞。文化の基礎をなすと同時に人間のつくり上げたもっとも具体的な「かたち」である個々の「もの」について、その根源から問い直し、「もの」とのかかわりにおいて営々と築かれてきた暮らしの具体相を通じて歴史を捉え直す。最新刊は、「ものと人間の文化史 183花火」2019年7月である。

・・・その第10号1973年12月に刊行されたのが「竹」である。

食生活,建築,民芸,造園,信仰等々にわたって,竹と人間との交流史は驚くほど深く永い。その多岐にわたる発展の過程を個々に辿り,竹の特異な性格を浮彫にする。

 

・・・183号に至るまでの全てが興味深く、読んでみたいとは思うが5回ほどの人生が必要になる。とほほ。とりあえず、「竹の里」に行ってみることにしました。

 

 

《生駒市高山竹林園》

630-0101奈良県生駒市高山町3440番地/0743-79-3344

http://www.tikurinen.jp/

大和・高山の里が属する奈良県生駒市は、国定公園として全国に名高い生駒山系を擁し、その景勝のすばらしさと豊富な社寺、史跡により「観光・生駒」として多くの人々に親しまれています。高山の里は、その観光・生駒の北端に位置しています。近鉄奈良線富雄駅から北へ、近鉄けいはんな線「学研北生駒」駅を経て、さらに北に行くと、深い森に囲まれた「高山八幡宮」に出会います。この高山八幡宮の付近一帯に広がる家々、それが竹製品の生みの里「高山」なのです。そして、ここ高山の地の伝統ある竹製品をPRするとともに、地場産業の一層の振興を図るために「高山竹林園」が建設されました。美しい庭園の中に資料館(展示室・和室・研修室)や竹生庵などを配した当園は広く一般に開放され、好評を博しています。

 

 

・・・今回の訪問は見学だけでしたが、ぜひとも「茶筅」や「茶杓」を作ってみたい。