風の王国(35)ふたかみ1 | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・そのうちにと思っていたのですが、やっぱり「今でしょ」です。

 

《二上山》(にじょうさん)

https://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,2707,53,216,html

https://www.town.taishi.osaka.jp/kanko_info/taishijikkei/nijyosan.html

奈良県★葛城市と大阪府南河内郡★太子町にまたがる山。かつては★大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれた。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がある双耳峰である。 また、石器に使われた★讃岐岩(サヌカイト)の産地である。二上山の北側の春日山付近の地域で遺跡が多く発見されていることから★二上山北麓遺跡群とも呼称されている。後期旧石器時代から弥生時代にかけての多量の剥片・砕片・石核・くさび形石器・敲石類が採集されており、遺構としての採掘坑も確認されている。大阪みどりの百選に選定されている。

 

《大和言葉》

古くは和歌や雅語のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語を指す。飛鳥時代頃まで大和国や大和飛鳥を中心に話されていたと思われる。

 

 

《二上山北麓遺跡群》橿原考古学研究所附属博物館/館長:松田真一

http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/kyusekki-jomon/nijyousanhokuroku.html

二上山北麓遺跡群は大阪との府県境に沿って連なる、二上山から寺山にかけての北東側と南西側山麓に分布する、旧石器時代から弥生時代にかけての遺跡を総称している。この地域には二上山の火山活動で生成された火山岩が分布し、その中に石器時代に利器の材料として用いられたサヌカイトというガラス質の石材が産出する。そのため周辺には石材を掘出した跡である掘削坑や、石器をその場で製作した跡などの遺跡を数多く確認することができる。なお、本遺跡群の存在が知られるようになったきっかけは、戦前樋口清之氏が香芝市田尻において発見した田尻(たじり)第2号遺跡(現在の名称はサカイ・平地山遺跡)を、昭和6年に「大和二上石器製造遺跡研究」と題した報告をされたことによる。遺跡群の中にある桜ヶ丘第1地点は大和川支流である原川を望む丘陵上に立地している。ここでは以前から地表に散乱していた石器が拾われていたことや、部分的に2つの旧石器時代の文化層が存在している可能性があって注意される存在であった。この場所は昭和50年になって県内では初めて本格的な旧石器時代の発掘調査が行われた記念すべき遺跡である。遺跡からはナイフ形石器や削器などの旧石器時代の石器が出土したが、一般の遺跡と比較して完成された石器は少なく、石器の素材の段階の剥片、石核、製作途中で生じる砕片、加えて石器製作の道具であるハンマーなどが多数出土していて、ここがサヌカイトの原産地にある遺跡としての特徴を示すものであった。ここで明らかにされた旧石器時代の石器の製作方法は、まずサヌカイトの原石を用意し、それを分割して石器の素材となる剥片を剥ぎ取ることのできる石核に整える。その後、一定方向から連続して敲打(こうだ)して、石核から効率的に素材を割り取ることができる。得られた剥片の形を整えたり、必要に応じて縁辺部を加工して石器を完成させる工程を踏んだものであった。この種の石器製作技術は瀬戸内技法と呼ばれ、ほぼ同形・同大の石器素材となる剥片を量産できる点で、優れて高度な技術であり、同様な技術基盤にある石器群は近畿地方から中・四国地方に広く分布している。
これら桜ヶ丘第1地点の出土石器は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の常設展示されている。

★橿原考古学研究所附属博物館は、老朽化した空調設備を全面改修し、国宝・重要文化財を含む文化財の展示・保管施設としての機能を維持するため、平成30年12月24日から約2年間休館します。

 

 

《フィッシングセンター竹の内》山田自然観光組合

583-0992南河内郡太子町山田2067-1/0721-98-2602

https://taishi-kankou.jp/spot/experience/yamadakumiai.php

二上山の登山口にフィールドアスレチックとフィッシングセンター(コイ・フナ)がある。駐車場・トイレ有。フィールドアスレチックは、現在休業中です

 

《二上山「万葉の森」案内所》山田自然観光組合

583-0992南河内郡太子町山田-2021/0721-98-1558

https://taishi-kankou.jp/spot/eat/manyounomori.php

二上山登山口にある喫茶や軽食もできるログハウス風の二上山万葉の森の案内所。お米をほうじ茶で炊いた、この地域ならではの「河内の茶がゆ」も食べられます。

 

・・・最初のお出迎えは、「ニワトリ」ちゃんでした。

 

 

《ミズメ》(Betula grossa)

カバノキ科カバノキ属の落葉高木。ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)、アズサ(梓)とも呼ばれる。樹皮や材観がサクラに似ていることから、ミズメザクラ(水目桜)とも呼ばれる。古くは国内木材の中から最も高い弾力性を生かし梓弓を作るときに使用されていた。サリチル酸メチル由来芳香もあり魔除けの意味もある。サリチル酸メチルを多く含み、枝を折ると独特のにおいがする。★「夜糞」という名もこのにおいによるらしい。実際にはサリチル酸メチルは悪臭よりも芳香であるため香料にも使われる。なお、「梓(し)」は、本来この種を指す漢字ではなく、中国ではノウゼンカズラ科のキササゲのことである。

 

・・・自然観察、今回の大きな目的です。もちろん「石・岩」もです。

 

 

《鹿谷寺跡》【国史跡】

https://www.town.taishi.osaka.jp/kanko_info/rekishi_shiseki/rokutanjiato.html

奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の石切場跡に造られた奈良時代、8世紀頃の大陸風石窟寺院です。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られますが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていません。寺跡の中心部には、高さ約5mの十三重石塔。石窟は幅約3mで、岩に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されている。かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土しています。

 

 

《ヤマホトトギス》(山杜鵑草)ユリ科/学名:Tricyrtis macropoda

ホトトギスは古くから栽培されている園芸種だが、これは日本全国に自生する野生種。現在見られるホトトギスは タイワンホトトギスとの交雑種も多い。ホトトギスが1株に多くの花を付けるのに比べ、ヤマホトトギスは3~5個と少ない。中には1個だけのものも。

 

・・・いや~本当に、よく見つけたなあと思います。疲れも飛んでいきました。