ルーヴルの猫 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《ルーヴルの猫》作:松本大洋/小学館2017 

https://comics.shogakukan.co.jp/book?isbn=9784091897480

https://comics.shogakukan.co.jp/book?isbn=9784091897497

 

・・・いろいろな物を、そのパッケージやデザインに触発され、中身を十分に吟味することなく衝動的に購入してしまう。もちろん「見かけ倒し」に数多く出会ってきたからこそ、ずいぶん「目利き」(眼力)もついてきたと自負している。「猫アート」をテーマするにあたって、その根底(出発点)として価値観(鑑賞眼)、洲之内徹さんへの「憧れ」がある。

 

 

・・・「ルーブルの猫」というタイトルに強く惹かれ即買い、それから作者:松本大洋さんを知ることになったのだが、当初イメージは「The Phantom of the Opera」だった。さて、 

 

《参考》「オペラ座の怪人」 

フランスの作家ガストン・ルルーによって★1909年に発表された小説。1909年9月23日から1910年1月8日まで日刊紙『ル・ゴロワ』に連載されていた。1910年4月、ピエール・ラフィットにより出版された。19世紀のパリ国立オペラで起こった史実を引用し、またカール・マリア・フォン・ウェーバーの『魔弾の射手』の1841年の公演のあらすじを基にしていると考えられている。これを原作として多数の映画、テレビ映画、ミュージカルなどが作られている。最も有名なものは1925年のロン・チェイニー主演映画『オペラの怪人』と1986年のアンドルー・ロイド・ウェバーによるミュージカル『オペラ座の怪人』である。 

 

・・・100年以上も色褪せず演じ続けられている、まさに「怪人」である。 

 

★国内665万人を魅了した『オペラ座の怪人』の軌跡/劇団四季HPより 

https://www.shiki.jp/applause/operaza/

1986年のロンドン初演に続き、1988年にブロードウェイ進出を果たした『オペラ座の怪人』の日本初演は、奇しくもブロードウェイと同じ1988年。日本ミュージカル史上類を見ないスケールの大きな舞台は、あの有名なパイプオルガンの旋律とともに瞬く間に社会的現象となり、これまでの総観客動員数はおよそ665万人。通算上演回数は6700回を越え、『ライオンキング』『キャッツ』に次ぐ国内第3位を誇ります。 

 

19世紀後半パリ・オペラ座の地下には人知れず音楽の才能豊かな怪人が住み着いていた。醜く生まれついた怪人は、母親からも愛された事はなく、嫌われ迫害され続けた末に罪を犯し、オペラ座の地下に逃げ込んで、仮面をつけて孤独に暮らし続けて来たのであった。怪人は若いコーラスガールのクリスティーヌ・ダーエに恋をしており、劇場側を脅迫してクリスティーヌに主役を歌わせた。怪人の思惑通りクリスティーヌは大成功を収めたが、舞台終了後に幼なじみのラウルと再会し、恋に落ちてしまった。その夜、怪人はクリスティーヌを楽屋からさらって地下の隠れ家に連れて行った。そこでクリスティーヌは仮面の下に隠された怪人の化け物のような醜い顔を見てしまった。怪人は怒り狂うが、クリスティーヌはその怒りの中に孤独にあえぐ哀れな魂を感じ取った。幼くして孤児となったクリスティーヌは姿を見せずに闇から語りかけ、音楽を教えてくれる怪人を音楽の天使だと思い、慕い続けてきた。しかし怪人が自分に恋をしており、妻として地下の闇の世界に引きずり込もうとしている事を知って、怪人を恐れるようになった。そうは言っても、長年親しみ続けた怪人の音楽はクリスティーヌの頭から離れる事はなく、怪人に囁きかけられれば、催眠術にでもかかったように怪人の下へ引き寄せられてしまう。クリスティーヌの心は揺れ動き、ラウルはそんなクリスティーヌを守ろうとして、怪人と戦い始めた。ラウルとの戦いにしびれを切らした怪人はオペラ座を炎上させ、その混乱の中で隠れ家へとクリスティーヌをさらって行き、無理やり妻にしようとした。ラウルは隠れ家を探し当てるが、クリスティーヌの目の前で首にロープをかけられてしまった。怪人は、「この男を助けたければ自分の言いなりになれ。」とクリスティーヌを脅迫した。クリスティーヌはそんな怪人に嫌悪感すら感じたが、同時にそこまで醜く歪んでしまった怪人の孤独な魂を何とか助けてやりたいと思った。そして自分の怪人への愛情を示すため、怪人に歩み寄って、誰もが忌み嫌ったその醜い顔を正視しながら二度接吻した。クリスティーヌの愛は怪人の心を動かした。怪人は復讐や執着を捨て去って二人を解放し、隠れ家を立ち去るように命じた。事件の後、怪人は姿をくらまし、クリスティーヌはオペラ座を引退してラウルと結婚した。そして長い年月が流れ、クリスティーヌはこの世を去った。しかし怪人のクリスティーヌへの愛は色褪せる事なく、その愛を紅い薔薇に託してクリスティーヌの墓を彩り続けた。

 

 

・・・オペラ座の天井画は「シャガール」、素晴らしい。

 

 

・・・「オペラ座」と「ルーブル美術館」は、オペラ通りの向かい合わせに建っています。 

 

《l'Opéra》 

https://www.operadeparis.fr/

 

◆【Musée du Louvre】◆ 

https://www.louvre.fr/

 

【松本大洋】(1967~) 

東京都出身。和光大学文学部芸術学科中退。1987年デビュー。代表作に『花男』『鉄コン筋クリート』『ピンポン』『ナンバーファイブ 吾』など。スポーツや闘いを題材に、男の持つ美学や世界観を独特のタッチで表現している。初期には講談社『モーニング』で活動するも人気が出ず、小学館『ビッグコミックスピリッツ』に移って以降評価を受けるようになった。実母は詩人の工藤直子。妻は漫画家の冬野さほで、冬野はしばしば松本のアシスタントもしている。従兄弟の井上三太も漫画家。2001年11月より、小学館からの新雑誌『スピリッツ増刊 IKKI』(後に独立して『月刊IKKI』となる)の看板作家として『ナンバーファイブ吾』を連載。のちの『IKKI』編集長・江上英樹は『IKKI』に松本を起用したことについて、「『ガロ』が白土三平、『COM』が手塚治虫を擁したのと同じ意味合いで、彼の存在は、この増刊号に不可欠なものと言えた」と振り返っている。

 

 

《NEWS》2016.3.4コミックナタリーより 

松本大洋が一大決心して描いた「Sunny」の受賞に感謝、第61回小学館漫画賞 

第61回小学館漫画賞の贈呈式が、去る3月3日に都内にて行われた。式には吉田秋生、松本大洋、古舘春一、河原和音、アルコ、吉もと誠が登壇。壇上では6名の作家がそれぞれ受賞の喜びをコメントした。児童向け部門を受賞した「ウソツキ!ゴクオーくん」の作者である吉もとは、小学校のときからマンガ家になりたかったことを振り返る。そして「賞をもらって一番うれしかったこと」として「落ちこぼれでもバカにされても、失敗してもパッとしなくても、好きなことを諦めないでがんばれば人生が楽しくなると、自信を持って読者の子どもたちに伝えることができると思った」とコメント。別冊コロコロコミックSpecialと月刊コロコロコミック(ともに小学館)にて連載中の吉もとは、最後に「コロコロ最高ー!!」と叫び笑顔を見せた。少年向け部門を受賞したのは、週刊少年ジャンプ(集英社)にて連載中の「ハイキュー!!」。作者の古舘は「今日この場に来てすごい賞をいただいてしまったなと実感しています。このような賞をいただけたのも、毎週徹夜に付き合ってくれるスタッフのみんなや、私が不機嫌なときも話を聞いてくれる担当さん、読んでくれる読者の皆さん、ほかにも『ハイキュー!!』に関わってくれているいろんな人たちのおかげだと思っています」と感謝を述べる。「これを機に気合いを入れ直して、読んでくれている皆さんが『バレーボール見てみたいな』とか『やってみたいな』と思える作品を作っていきたいと思います」と展望も語った。少女向け部門には、別冊マーガレット(集英社)にて連載されている「俺物語!!」が選出。作画を担当しているアルコは「『俺物語!!』に関わってくださっているすべての皆さまに感謝を申し上げます」と語り、原作を務めている河原は「いろんな人に愛情を持って接していただいて、私も関わってくださった方々に愛情を持っていて。きっとそういうやりとりがこの作品を暖かくしてくれたんだと思います」とそれぞれ思いを口にした。一般向け部門を受賞したのは月刊flowers(小学館)にて不定期連載中の吉田秋生「海街diary」と、月刊IKKI、月刊!スピリッツ(ともに小学館)にて連載されていた★松本大洋「Sunny」。松本は「『Sunny』は自分の幼少期★体験を描いた作品なので、描くこと自体周りの人間に迷惑をかけるのではないかとか、それを描いてしまって自分がどういう気持ちになるのかということを悩んでいて、デビュー当時から(描くことを)先送りにしていたんです」と明かす。「ただ40歳を過ぎていつまでも描けるわけではないと悟り出し、ここでやろうと一大決心をして描き始めました。描く場所を与えてくれた小学館さんにも、選考していただいた委員の皆さまにも感謝しています」と胸中を語る。そして「僕と一緒に20年以上マンガを描いてる、共同制作者の奥さんにも御礼を言いたいです。ありがとうございました」と冬野さほにも感謝の意を表した。吉田は「長いことこの仕事をさせていただいておりまして、そのこと自体大変光栄だと思っておりますし、このように仕事を評価していただけたことも幸福だと改めて思います」と述懐。また「海街diary」の執筆について「糸を染めてひと目ひと目模様を織り紡いでいくような、機織り機で布を織るような作業だなと感じております。鶴の恩返しのようなわけにはいきませんけれども、真摯に作品に向き合うことでお返し出来たらなと思っております」とメッセージを送った。

 

 

・・・いい感じです。