・・・先日、関大での「表装研修会」でご指導いただいた藤枝さんのお店が「上六」にあるらしいので、探してみました。
《藤枝春月・藤枝宏治》
543-0021大阪市天王寺区東高津町3-17/06-6761-4623
・・・今後の展望はとても厳しい、という藤枝さんのお話でした。まず、需要が少ないこと、後継ぎが少ないこと、そして修復に用いる材料等が入手できないこと。しかし、守っていかなければ日本の伝統文化は滅びるのです。どうする?
《参考》★大阪新美術館建設準備室所蔵/日本画等修復業務委託
新美術館建設準備室所蔵/日本画修復業務委託に係る公募型プロポーザル方式による選定結果、企画提案書の提出を受け付けた1者について、学識経験者等の意見を聴取する有識者会議による審査を行い、同会議の評価結果を基に、次のとおり受注予定事業者を選定しました。
●案件名称:新美術館建設準備室所蔵「日本画」修復業務委託
1契約期間:契約締結日から平成29年3月31日まで
2選定した受注予定事業者:藤枝春月★藤枝宏治
3公募期間:平成28年5月25日から平成 28 年7月11日まで
《参考》「文化財保存修復学会」
文化財の保存に関わる科学・技術の発展と普及を図ることを目的とした学会です。文化財保存にさまざまな立場から携わる専門家が集まり、研究、教育、一般向けの文化財に関わる知識の普及など活発な活動が行われています。
・・・この業務委託は完了していますので、HP上から削除され新しく「大阪新美術館建設準備室所蔵★油彩画修復及び調査業務委託」が掲載されています。その情報を読んでいて新たな発見をしましたので、ちょっと脱線しますが紹介しておきます。
http://www.city.osaka.lg.jp/templates/proposal_hattyuuannkenn/keizaisenryaku/0000437545.html
件名:大阪新美術館建設準備室所蔵「油彩画」修復及び調査業務委託
公告(公開)日:平成30年6月11日
入札(締切)日時:平成30年7月2日(月曜日)午後5時30分(参加申請書類提出期限)
入札契約方式:公募型企画競争方式(プロポーザル方式)
契約保証金その他の保証:免除
発注担当局等:経済戦略局
履行(納入)場所★住友倉庫川口トランクルーム(大阪市西区川口2丁目1-5)大阪歴史博物館
契約期間(期限):契約締結日から平成31年3月29日まで
・・・「住友倉庫川口トランクルーム」に作品が眠っていて、そこで修復作業がされるのかなと思うと、なんだかおもしろいですね。さて、「油絵」と言えば「ホルベイン」ですよね。
《ホルベイン画材》
542-0064大阪市★中央区上汐2-2-5/06-6763-1521
創業者である吉村峯吉は、16歳で故郷の和歌山県那賀町を離れ、大阪の靱にて廻漕業を兼業していた材木問屋・吉岡商店に奉公した。この後、現役除隊を機会に独立して、北区出入橋において廻漕業を営むに至っている。やがて、当時心斎橋にあった辻本文具店の娘と結婚し、これが縁でまったく無経験の文具事務用品、次いで画材の業界を志すことになった。★1900年(明治33)大阪中之島において吉村峯吉商店を設立、文具の卸・小売を始める運びとなった。かくてこの年をもって、ホルベイン各社の創業の歴史の始まりとしている。私たちは、誠意とこだわりを持って品質向上を心がけた製品供給をめざします。また、材料供給のみにとどまらず、チャレンジ精神を持って新製品を生み出し、楽しく快適で色彩豊かな創作環境を提案していきます。
《ホルベインギャラリー》
https://www.holbein.co.jp/blog/category/gallary
画材メーカーが運営する新しい企画画廊として、また貸画廊としてご利用いただけます。ギャラリーには、代表的なホルベイン製品を取り揃えたショールームを併設しております。絵画制作に役立つ情報の発信基地として、より一層のサービスの充実をめざします。2018年1月より、ギャラリーを一部改装いたしました。これまでのホルベイン本社東側玄関からショールーム&ショップ経由ルートに加え、新たに★西側(裏通り)にもギャラリー専用の開放的な入口を新設。また、会場も広くなり、F8額装が68枚まで展示可能となりました。
・・・この西側(裏通り)こそが「熊野街道」ではありませんか。いまでは「裏通り」と表現されてしまうんですねえ。少し北に行ったところ★「コノエビル」(中央区上汐2-1)角に、「街道碑」が設置されています。さて、この「コノエ」もおもしろいですよ。
《上汐町》「わがまちの町会」より
http://wagamachi-ooe.jp/town_2.html
その昔、天満の八軒屋浜から熊野詣での旅人が通った街道筋として栄えた町と謂われる。戦前の頃、月末には現在の天王寺郵便局から北へ通称「駒ヶ池夜店」が出て賑やかであった。戦争ですっかり焼野原と化したが、戦後まもなく大阪復興博覧会が催され、色々なテーマ館が建ち並び大いに賑わった。博覧会終了後は、テーマ館をそのまま郵便局や婦人会館に転用され、婦人会館は現在「クレオ大阪中央」と名称が変わって多くの人たちに活用されている。今から40年前までクレオの西50メートルの位置に、太閤記に出てくる蜂須賀小六正勝の墓があり、毎年お正月には末裔の人達が墓参りに見えていた。現在は徳島市眉山に安置されている。昭和30年7月1日、新生、上汐町会がスタート。初代会長、三木茂氏に依って基礎固めがなされた。歴史的には、何ひとつとして紹介するものが無いのがいささか寂しいが、現在は、富士包装紙器、日本アーツ、山本ビニター、ギフコをはじめ、尚数社の堅実な企業を有している。特に写真スタジオとして全国にその名を知られている★「サン・スタジオ」には近所の人達の目をひく足の長いモデルが絶えず出入りをしている。
《参考》株式会社「コノエ」
578-0964★東大阪市新庄西4-28 流通センター7階/06-6746-1903
http://www.konoe.co.jp/company/index.html
1952(昭和27)河野栄が、大阪市南区上汐町1丁目49においてねじ専門店「栄商会」を創業
1955(昭和30)大阪市南区上汐町2丁目50に移転
1962(昭和37)コノエ鋲螺株式会社(資本金100万円)に社名変更
1970(昭和45)資本金を600万円に増資、新本社ビルを竣工(延1,063㎡)株式会社コノエに社名変更し、資本金を1,000万円に増資
1978(昭和53)東大阪市新庄西43にミックパック販売モデルショップと、ねじの常設展示資料室の機能を備えたミックパックセンターを竣工
1990(平成2)コノエタワービルを大阪市中央区上汐2-6-10に竣工
2009(平成21)ねじの総合展示場「コノエファスニングプラザ」を営業本部内にリニューアルオープン
2016(平成28)オリジナルキャラクター『鉄男』の誕生
通称"Sのマーク"と呼ばれる私たちコノエのコーポレートアイデンティティ(C.I)。この"Sのマーク"はアメリカンコミックス『©スーパーマン』の"S"ではなく、私たちコノエの創業者 河野榮の名前 "榮" の頭文字 "S" が元となっています。"S"を逆三角(おにぎり)型にして、尖ったそれぞれ3点をSINCERITY(誠実)、SERVICE(奉仕)、SMILE(笑顔)と"S"を頭文字にもつホスピタリティを意味する言葉を、力強く表現しています。この様に意味を持たせることで、私たちコノエの社員はこの気持ちを忘れず職務にあたるよう創業者の想いを込めた社章となっています。ちなみにおにぎり型に膨らみを持たせているのは、「ネジ山のようにとがった、材質のように硬い人間が社員では困る」と言ったことで、丸みがあり、軟らかく、人懐っこいイメージになるよう表現しています。
★「絵画修復部門」
https://www.holbein.co.jp/business/restoration.html
ホルベインでは、吉村商店と称していた時代も含め、100年を越えて洋画材料を提供し続けて参りました。この間、私どもの絵具を使って描いていただいた作品について、私たちが全く無関心でいたわけではありません。この長い歴史の間には、技術部長自ら退職後に修復家として活躍した人もおりました。また、技術部では油絵具の劣化機構などにつきまして、今も地道な研究を続けております。しかし、これまでは専門職を養成することの難しさから、本格的な絵画修復部門を持つには至りませんでした。今般、ようやく東京藝術大学・保存修復油画研究室のご協力のもと、絵画修復部門を開設することになりました。そもそも全ての色材について、完全無欠なものは無く、油絵具にしましても、人間に置き換えれば老化といって良い化学反応(酸化重合)によって塗膜が形成されていきます。この為、時間が経てば経つほど、作品の劣化は免れ得ません。作品の劣化には、この様に材料に関連する問題、アーティストの使い方による問題、運送中の事故など様々な事例があります。そうした様々な問題を解決し、絵が本来持っていた輝きを取り戻すべく、修復に取り組んで参りたいと考えています。なお、勝手ながら取り扱う作品は洋画作品に限らせていただきます。
【小阪工場】577-0807★東大阪市菱屋西1丁目3番14号
【枚岡工場】579-8063★東大阪市横小路町4丁目10番52号
【奈良工場】639-2127奈良県葛城市新町296番1号
・・・そんなこんなで、久しぶりに「絵具工場」の見学にも行きたいなあと思う次第です。申し込みますと「枚岡工場」を見学させていただけるそうです。昔々、そのまた昔に一度だけ見学させていただいたことがあります。その時の記憶がよみがえるかもしれません、楽しみです。さらに、こちらの工場があるのは「東高野街道」沿いですから、何か不思議な縁で結ばれているような気がします。