◆【大阪市立美術館】◆
543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82/06-6771-4874
http://www.osaka-art-museum.jp/
★《江戸の戯画-鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで》
平成30年4月17日(火)~6月10日(日)
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/edonogiga
太平の世が続いた江戸時代には、多くの戯画が描かれました。一口に戯画といっても多種多様なものがありますが、本展では「鳥羽絵」をキーワードに江戸時代の戯画をご紹介します。鳥羽絵は、広く戯画や漫画を指す言葉として使われることもありますが、より限られた意味では、18世紀に大坂を中心に流行した軽妙な筆致の戯画をさします。そこに描かれる人物は、目が小さく、鼻が低く、口が大きく、極端に手足が細長いという特徴を持ち、その名は国宝「鳥獣人物戯画」の筆者と伝えられてきた鳥羽僧正覚猷に由来するものとされます。鳥羽絵は、18世紀の大坂で鳥羽絵本として出版され、その人気は明治にまで及びました。また、上方に留まらず、江戸の浮世絵などにも影響を与えています。鳥羽絵を洗練させたとされる大坂の「耳鳥斎」はもちろん、鳥羽絵本の影響を受けたと考えられる江戸の「北斎」や「国芳」、そしてその流れをくむ「暁斎」など、時代や地域により変化しながらも、笑いの感覚は脈々と受け継がれてきました。本展では、そのような流れを追いつつ江戸時代の戯画のエッセンスをご覧いただきます。また、歌川国芳の★「金魚づくしシリーズ」全9点がそろうのも見どころの一つです(前期のみ)。★笑いを文化として発展させてきた大阪の地で、多彩な笑いの世界をご紹介します。(出品予定作品:約280点)
《金魚づくしシリーズ》
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/kingyo/
金魚をはじめとする水中の生き物たちを擬人化し、面白おかしく描かれた浮世絵で、国芳が得意としたいわゆる戯画です。お盆の頃になると、江戸の街角では、少女たちが手をつなぎ、横並びになって歌い歩く姿が見られました。ぼんぼん(盆々)あるいは「盆唄」と呼ばれた童謡は、★夏の風物詩でした。国芳の描いた子どもの金魚たちもおおきな口を開けて仲良く手をつないで合唱しています。
・・・カエルやオタマジャクシも登場しています。1枚目のネコの顔が最高です。
★歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」嘉永元年(1848)頃
「荷宝蔵壁のむだ書」は、「荷宝蔵」と呼ばれる土蔵の外壁に、誰かが釘で引っかいて描いた歌舞伎役者の落書きをモチーフとした異色作です。そのなかに手ぬぐいをかぶって踊る化け猫も登場しており、「大でき大でき」は大評判の演目でしたよ、の意味。「腰壁」と呼ばれる壁の下半分の板張り部分が黄色い「黄腰壁」バージョンが3枚、黒い「黒腰壁」バージョンが2枚確認されています。絵の中央では猫がなにやらクネクネと腰をくねらせています。この猫は江戸時代後期に流行した「猫じゃ猫じゃ」という小唄を歌っているという説もあるようですが、手ぬぐいをかぶっている点、およびしっぽが二股に分かれている点を考えると、化け猫が登場する歌舞伎の一場面を模したものだという説の方が有力です。具体的にf「梅初春五十三駅」や「尾上梅寿一代噺」などではしっぽが二股に分かれた猫の踊る姿を確認できます。猫を取り囲むように描かれた似顔絵が全て歌舞伎役者(松本幸四郎や市村羽左衛門、中村歌右衛門など)であることからも、やはりこれは歌舞伎狂言に登場する化け猫を描いたものだと推察されます。華美を戒める幕府の禁令いわゆる「天保の改革(1841~1843)」は、この作品が作られた1848年ごろには事実上解禁状態にありました。ですから作風にこのような「うまヘタ」要素をわざわざを持ち込むことは、禁令を逃れるための方便だったというよりは、国芳自らが面白いだろうと言う★遊び心を持って描いたものだと考えられます。
●東京都立図書館
https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/048/04/index.html
・・・この「大でき」に初めて出会ったのは、「久保惣美術館」でした。
《参考》「猫踏んじゃった」
作曲者不詳、変ト長調または嬰ヘ長調の世界中で親しまれている曲。ピアノ・独奏が基本だが、多数のアレンジやバリエーションが存在する。楽譜に♯か♭が6個も付く(大半の音を黒鍵で出す)ため、非常に複雑に見えるが、実際に弾いてみると単純である。そのためピアノを習う人が最初に練習する曲の一つである。また覚えやすいコミカルなメロディと知名度の高さから、「ピアノを習ったことはないが、この曲だけなら弾ける」という人も多い。
「ねこふんじゃった」は、世界で全く異なるテーマのタイトルや歌詞が付けられている。例えばドイツでは「蚤(ノミ)のワルツ(Der Flohwalzer)」、フランスでは「コトレット(カツレツ)Cotelettes」、イギリスやアメリカでは「サーカスソング」。「ねこふんづけちゃったら ひっかいた」「ねこニャーゴ ニャーゴ ねこかぶり」などの日本語歌詞を作詞したのは、童謡『サッちゃん』、『おなかのへるうた』などを手掛けた★阪田寛夫さんです。
・・・河鍋暁斎記念美術館蔵★「風流蛙大合戦之図」は、5/29~6/10の後期展示なので再度訪問したいと思います。
【阪田寛夫】(1925~2005)
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001565.html
サッチャンはね サチコっていうんだほんとはね
だけど ちっちゃいから じぶんのこと サッチャンて よぶんだよ
おかしいな サッチャン
この有名な童謡の作詞者でもある芥川賞受賞作家の阪田寛夫の家は、現在の松崎町3丁目にあった。「薄赤色の西洋瓦の屋根、同じ厚いコールタール塗りの横板を鎧戸のように重ねて打ちつけた、大正から昭和初期に流行した工法の板壁の洋館で、大阪四天王寺の庚申堂から住吉神社の方角に通じる庚申街道に向かって、玄関口をあけていた」と彼の作品「庚申街道」に書いている。
《南大阪幼稚園》
545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-30-5/06-6622-2013
http://codomoto.jp/childcare/minamiosaka/
《南大阪教会》
日本基督教団南大阪教会の塔屋(教会塔)は昭和3年(1928)、大阪基督教会創立50周年記念事業の一つとして建築されました。設計・監督は、当時まだ渡辺節建築事務所に在籍していた村野藤吾で、これが彼の処女作になります。明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置きました。
http://otube.osakazine.net/e418125.html
・・・いろいろ調べていくと、不思議とつながっていくから面白いですね。