寺町通 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《寺町通》

http://souda-kyoto.jp/travel/life/teramachi.html

京都市街地中央部の南北路。北は鞍馬口通から南は五条通まで。一条通から南は平安京の東京極大路に当たる。豊臣秀吉の京都改造で洛中の寺院をこの通りに集めたのが通り名の由来。1895年(明治28)から1926年(大正末)まで市街電車が走った。丸太町通から南へ商店街が続く。にぎやかな街の喧騒の中で、どこか落ち着いた雰囲気のある寺町通。南は京都市役所から北は京都の中心・京都御苑あたりまでの道には、風格ある老舗の看板や暖簾、めずらしい骨董のお店やレトロな建物のお店が混然一体となって軒をつらねています。京都御苑や梨木神社などの緑豊かな清々しい空気の中でひとやすみしながら、寺町通独特の情緒にひたって、ゆっくりとお出かけしませんか。

 

 

●「Art Space-MEISEI」

604-0991京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町3/075-744-0122

http://www.art-meisei.jp/

絲展/平成29年9月12日(火)~9月17日(日)

鎌田紗由、膳棚久稔、平松若葉、吉田真子。尾道市立大学と倉敷芸術科学大学で制作活動をしている四人が小さな縁で繋がり、京都で展覧会をやることになって、2回目だそうです。

 

・・・私好みの作品が並んでいましたので、若い作家さんと少しお話させていただきました。

 

●旧「小林祐史写場」

6101126京都市西京区大原野上里男鹿町20-16/075-231-1471

 

・・・いい感じ、今は医学部受験に特化した予備校(塾)として利用されているようです。

 

 

●「芸艸堂(うんそうどう)」

604-0932京都市中京区寺町二条南入る妙満寺前町459/075-231-3613

http://www.unsodo.net/

http://www.hanga.co.jp/html/company.html

日本で唯一の手摺木版本の出版社。店内には、1枚ずつ手摺りで作られた色とりどりのポストカードが並んでいます。芸艸堂という号は★富岡鉄斎により命名されたもので、「芸艸かほりくさ此艸を書籍にはさみおくと虫が喰わぬとて古来書物屋の号によしと聞く」と云う一筆によるという。

 

・・・以前、大阪府大の講座でお世話になりました。こういうお店を大切にしたいものです。

 

《京都市役所》

604-8571京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488/075-222-3111

★市庁舎整備

http://www.city.kyoto.lg.jp/menu5/category/61-15-0-0-0-0-0-0-0-0.html

京都市では、近代建築物として歴史的・文化的価値を有しつつも、耐震性能の不足をはじめ、執務室の分散化や狭あい化、施設・設備の老朽化等多くの課題を抱える市庁舎について、それらの課題の解消とともに、防災拠点としての市庁舎の整備が急務であることから、平成26年3月に「市庁舎整備基本計画」を策定し、整備に向けた取組を進めてきました。平成27年7月21日に公表しました「新庁舎整備基本設計」に引続き、この度、平成28年9月5日に開催されました経済総務委員会において、「新庁舎整備実施設計」の概要を報告しましたので、お知らせいたします。

《NEWS》2017.4.21毎日新聞より

庁舎再整備に伴う埋蔵文化財調査のため、京都市中京区の市役所前広場の一部区域に20日、フェンスが設置され、立ち入り禁止となった。市の計画では市役所本庁舎改修に合わせて広場の石畳を透水性のある路面に全面的にはり替える予定で、★2021年初めごろにリニューアルする見通し。広場は半円形状で面積約2675平方メートル。地下鉄東西線開業の1997年に従来駐車場だったスペースを整備した。市の関連イベントやフリーマーケットなどの催しが開かれ、子どもの遊び場としても市民に親しまれてきた。20日は広場の東約3分の2の区域にフェンスを設置した。今後徐々に立ち入り禁止区域を広げていくという。本庁舎は建築家の武田五一監修で全国の政令市で最古の1927年(一部31年)建築。老朽化し耐震性にも問題があるため、市は地下を掘って免震ゴムで補強する改修工事を進める。北、西庁舎は建て替え、押小路通北側に分庁舎を新築する。

 

 

《ゼスト(Zest)御池》

http://zestoike.com/

京都市中京区の御池通地下、おおよそ河原町通から御幸町通にある地下街。京都では京都駅前地下街ポルタに次いで2番目の本格的な地下街で、1997年(平成9)に開業しました。

 

・・・市役所を工事中に見学できてラッキーでした。京都はやっぱり「地上」だと思いますが、地下街も観ておくことにしました。そして、木村英輝さんの作品を発見しました。

 

 

・・・寄り道、脱線の連続ですが、一日に2回も「木村英輝」さんの作品に出会うなんて。しかも、カエルの作品だったので、ラッキーもラッキーです。

 

【木村英輝】

http://www.ki-yan.com/

http://www.ki-yan.com/works/2008/zest/

http://www.ki-yan.com/works/2016/izutsuhotel/

《NEWS》2015.8.30日本経済新聞より

ロックプロデューサーとして35年にわたり活躍してきた。美大で学んだが、画家に転身したのは還暦前。江戸初期に京都で発祥した美術の流派「琳派」が400年を迎えた今年「絵舞台・琳派ロック」と銘打ち、その自由な精神を現代によみがえらせる。「町衆に支えられ、技法や画題などタブー無く描いていて格好いい。彼らのデザイン性は我々の生活に溶け込んでいる」と共感を口にする。京都市のスタジオを訪ねると、展覧会に向けて制作の真っ最中。躍動感あふれるコイやゾウの絵は今にも画面から飛び出しそうだ。9月3~17日、屏風やタペストリーなど約100点を並べる「キーヤンコレクション絵舞台・琳派ロック」を★京都高島屋グランドホール(京都市)で開く。キーヤンとは自身の愛称のこと。以前は琳派の代表格とされる絵師の俵屋宗達や尾形光琳の作品を見ても「定型化された図案」と感じられ、興味は覚えなかったという。しかし詳しく知るうちに考えが変わってきた。「既存の価値観や権力から離れ、自由で独立したものをめざす」という自らの信条が琳派に重なると感じた。美術館やギャラリーといった既存の美術展示の枠組みを嫌い、これまでレストランやホテル、ショッピングアーケードなど、人々が行き交う場所で壁画を描いてきた。国内外で150カ所を超える。出発点は、同世代のビートルズやローリング・ストーンズといったロックバンド。美術ではアンディー・ウォーホルら米国のポップアートだった。「産業革命以前、芸術は貴族が独占してきた。それが徐々に大衆の手に渡っていくが、最初はマネごとやアンチテーゼでしかない。完全に自立し、新しい表現に到達したのがロックやポップアート」と説く。画家に転身するまで、関西でロックイベントをプロデュースしてきた。内田裕也、村八分など数々のコンサートを手がける。1976年、奇才フランク・ザッパの京都公演では、学生100人を集め、大文字山の送り火をともす場所で懐中電灯を使いザッパの頭文字「Z」を浮かび上がらせ、話題をまく。音楽に身をささげた経験が現在の創作に生きる。絵の構図は最初から構成を決めず、何十枚と描きためたスケッチをもとにその場に応じて「ジャズのように即興で描く」と明かす。「時間芸術である音楽が生活に溶け込むように、空間芸術の絵画ももっと容易に日常になじむべきだ」という信念を抱く。ジャンルを自由にまたぐ異才を存分に発揮する機会が巡ってきた。12月15、16日に京都府立府民ホールアルティ(同)でパフォーマンス「絵舞台・琳派ロック」を上演する。木村の屏風を背景に和楽器奏者や狂言師、ロックダンサーたちが表現をぶつけ合う。「ロックは黒人と白人の音楽が混ざって生まれた混血音楽。琳派も多様な芸術分野が混じり合った。今回の舞台もそうしたクロスオーバーから新しい何かを生み出したい」と力を込める。1942年★大阪生まれ。京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)を卒業後、同大講師を経てロックイベントのプロデューサーに。2001年、画家に転身。趣味が今の仕事に結びついていると言い、絵を描いていると「子ども時分に落書きをしていたときの感覚がふとよみがえる」。愛称「キーヤン」は、以前テレビ制作会社でアルバイトをしていたころ、当時ラジオのシナリオライターだった作家の小松左京が命名した。

 

・・・ようやく「京都タカシマヤ」到着です。