・・・街のあちらこちらを散策していると、不思議なもので懐かしい人に出会いますし、予期せぬところで「ア~ト」を発見したりして、たまりませんねえ。
《堂島ロール》株式会社Mon cher(モンシェール)
(本社)530-0004大阪市北区堂島浜1-4-16アクア堂島(西館)NBFタワー14階
(本店)530-0004 大阪市北区堂島浜2-1-2/06-6136-8003
モンシェールは、学校の教師で、お菓子作りが趣味だった金美花社長が★2003年に大阪・堂島で洋菓子店を起業したことに始まる。シンボルである堂島ロールが口コミで広がり、メディアへの露出が急増。一躍人気洋菓子店となった。
ビルが立ち並ぶビジネス街の一角にある、小さなパティスリー。堂島ロールはその名のとおり、大阪「堂島」で生まれました。今も昔も、ここ堂島に生きる人は皆、夢と誇りに溢れ、光り輝いています。「堂島ロール」には、そんなロマン溢れるこの街に「甘いひとときをお届けしたい」、「企業戦士達のお役に立ちたい」という想いが込められています。ただただそれだけを胸に、励んできたため、私達が生んだたったひとつのロールケーキが、様々な方に「堂島」の地名を覚えていただくお役に立てたのならば、これ以上光栄なことはございません。この街に生まれたからこそ巡り会えた出逢いとご縁に心から感謝するとともに、これからも夢に向かって働く街「堂島」の名に恥じないよう、より一層高い品質を追求し、おいしいお菓子づくりに精一杯励んでまいります。北海道産の生乳を主に使用した、しぼりたてのミルクのような香り広がるクリームを、卵風味の生地でやさしく一巻きしました。シンプルがゆえ、夏と冬とで微妙に変わる生乳のコクの違いまで楽しめる、この上なく繊細な逸品。
《NEWS》2016.6.1産経WESTより
6月16日は「堂島ロールの日」、日本記念日協会が認定
日本記念日協会が大阪生まれの人気ロールケーキ「堂島ロール」の記念日を6月16日に認定したことを祝い、1日、製造・販売元のモンシェール(大阪市)の店舗で式典が開かれた。ケーキの断面から6月、16日は10と6で「ど(・)う(・)じまロ(・)ール」の語呂合わせ。固有名詞の記念日は珍しいが、全国的に認知されていることから認められた。式典で金美花社長は「これからもケーキで幸せを届けたい」と述べた。同社は記念日認定を受け、材料にこだわった「堂島ロール-極み-」(3240円)を、16~19日に616本限定で販売。
《堂島スウィーツ》株式会社「堂島スウィーツ」
(本社)553-0003大阪市福島区福島5-17-30 サノンビル102
(本店)大阪市北区曽根崎新地2-4-7 酒井ビル1F/06-4796-5515
当社自慢の『堂島プリン』ですが、フランス料理のデザートから誕生したのはご存知でしょうか?★1990年、現在の並びにフレンチスタイルのデザートを揃えた『レストランアンブラッセ』が開店。当時は本格的なレストランで、『堂島プリン』も『魔法のロールケーキ』もまだメニューにはありませんでした。それから数年を経て、同店のパティシエがフランス料理の人気デザート「クレーム・ブリュレ」にヒントを得て、新しいプリンを完成させました。さて、商品名はどうするか?その時オーナーは考えました。「私たちは堂島でお店を出させてもらっているのだから、この地に敬意を込めて『堂島プリン』と名付けたらどうでしょう?」そして『堂島プリン』が誕生してほどなく、ロールブームもさきがけて誕生した『魔法のロールケーキ』。常に新しいスイーツの流行を鋭敏に感じ取り、お客様の心に残るスウィーツを先取りし続け、そして★2008年『パティスリーアンブラッセ』は屋号を『堂島スウィーツ』と改め新しい時代を迎えるに至りました。
・・・知らなかったなあ、「堂島ロール」と「堂島スウィーツ」があるのですね。
★堂島スウィーツ「カフェギャラリー」
Artist Miu さんに、堂島スウィーツカフェのイメージで作品を作って頂きました、カフェの窓に飾っています。
【ARTIST miu】
1975年8月7日福岡県生。1歳で神戸、6歳で芦屋、8歳で姫路に移り、22歳で就職がきっかけで大阪市内に移住。現在に至る。工業高校のデザイン科で学び、本格的なデッサンや油絵に出逢う。その後、宝塚造形芸術大学で前衛芸術家の故★嶋本昭三氏に具体美術を学ぶ。具体美術の「今までにないものをつくれ」という精神を元に作品創りに取り組み、セメントを用いた作風にたどり着く。芸大卒業後、イベント会社(ブライダルプロデュース部)に就職。3年間の会社員を送るも「やっぱり、絵が描きたい」と、退職。1か間のNY一人旅に出かけ、本場のアートに触れ、縁あってNYのレストランに絵を提供することとなる。その後、カフェや貸しスペースなどで、個展やグループ展で作品を発表する他、仕事では、店舗や住居のインテリアアートを請負うようになる。2007年の長女出産、2012年次女出産により、活動を制限していたが2016年4月、次女が入園した事をきっかけに本格始動する。
大阪在住、★現代芸術国際AUメンバー。「自然への回帰」をテーマにセメントを意のままに塗り固め彩色したセメントアートを生み出す現代美術作家。無彩色のセメントに鮮やかな彩色を施すのは、現代人の心に愛や希望を呼び覚まさせる意識で表現している。自身のクリエイティブ活動が、人間本来のあるべき姿へ導く存在でありたいと願い邁進している。
★《現代芸術国際AU》
https://www.artunidentified.com/2016年-第45回-現代芸術国際-au展/
「AUと嶋本昭三」
1975年に1960年代に活躍したアーティスト達が結集してアーティスト・ユニオンが結成されました。呼びかけ人は画家★吉村益信でした。日本の多くの現代芸術家が集まり、話題を呼んだのですが派手なアピールが続いたので経済的について行けず、代表交替となりました。そこで1976年主要メンバーが岐阜県郡上八幡に集会をもち投票したところ、具体の創立会員でかつ名づけ親★嶋本昭三が合議体事務局長に選ばれました。そして日本の各地で現代芸術の発表が持たれ嶋本は事務局長としてそれらを応援しました。嶋本は「具体」の時代に具体誌を編集し世界の美術関係者達にそれを送付する役をしておりました。そこでアーティスト・ユニオンが世界とネットワークを持つためにタブロイドの大きさの印刷物を時に応じて発行し、2006年1月164号が発行されています。その発行はニューヨークのジョージ・マチュナスが発刊したFluxus誌とよくなぞらえられます。アーティスト・ユニオンという名前はよく組合運動と誤解されることが多いので、1980年にAとUを残してArt Unidentified略名AUに致し日本と海外に送付されています。メンバーの多くは1960年に活躍した現代美術家が多く一方嶋本昭三は「具体」の精神に則って創造的なアートを世界にアピールし続けたので権威にこだわる創立メンバーは次第に離反に行きました。1962年Fluxusの創立メンバーレイ・ジョンソンはメールアート宣言をし、世界の現代芸術家達のネットワークによる交流を提唱しました。AUの印刷物はメールアートメンバーにも多く選ばれ嶋本昭三に長年にわたって送付交流致しました。AUメンバーは権威にこだわるアーティストが去り、若いアートを出す人達が多く集まるようになっています。彼らは従来のメンバーに比べると未熟な点が多いが、嶋本は新しい創造を生む土壌として彼らを歓迎し、様々な試練の機会を与えています。
《参考》Unidentified 未確認の、身元不詳の、正体不明の
・・・「AU」そして「NAU」もありました。
【吉村益信】
1960年、篠原有司男、荒川修作らとネオダダオルガナイザーズを結成した吉村は、1975年に作家の社会的自立を掲げ、AU(アーティストユニオン)を結成。その後、AUは具体の初期メンバーでもあった嶋本昭三に引き継がれたが、2001年に吉村と岩永忠樹らによって改組し、新たな世紀を迎えてNAU21世紀美術連立展として新たなスタートを切った。吉村は第10回NAU展までの間、出品を続けた。2011年、多臓器不全のため78歳で死去。
《NAU(New Artists Unite)》
NAUの第1回展は2001年の東京都美術館だが、前身は1975年に結成された★AU(Artist Union)から改組された展覧会である。AUの創始者は1960年に荒川修作や篠原有司男、赤瀬川源平らと共にネオダダオルガナイザーズを結成し反芸術を掲げた作家、吉村益信である。当初、吉村がAUの代表を務めていたが、その後、具体の中心作家の1人であった嶋本昭三に引き継がれた。1999年頃より再び、吉村益信はAUの東京代表を務めていた岩永忠樹(日本のトリックアートの第一人者)とAUの改組に着手、NAUを結成するに至った。代表を岩永忠樹とし、2000年に東京都美術館でNAUプレ展を開催。その後、毎年東京都美術館で展覧会を開催した。第12回展より会場を新国立美術館に移し現在に至っている。
http://nau21.web.fc2.com/index.html
・・・帰り道、駅の方へと地下街を歩いていますと、
《清風堂書店》
530-0057大阪市北区曽根崎2-11-16梅田セントラルビルB2/06-6312-3080
「自費出版サロン」
http://seifudo.co.jp/publishing/self/index.html
自費出版の相談を受付けています。女性の編集者が丁寧に対応させていただきますのでお気軽にご相談ください。
「生きている」よろこびを、くらしの中の一コマを・・・恋の語らい、結婚、赤ちゃん誕生、共に歩んだ人々の心の詩を・・・今、残す。仕事・社会とのかかわりで、つちかわれた思い出深い営みを・・・。一冊の文化を、生きている一コマを、今著す。今、時代はプロの作家、研究者のみが出版していた時代から、すべての人がその自由を謳歌する時へと変わってきました。多種多様な書物を毎日扱う書店業50年近くの信用と、刊行本1400点・総発行部数900万冊(2012年8月現在)、出版歴30年の実績でつくりあげた豊かなノウハウを活用して、ご予算にあわせ、著者の満足のいく中味で一級品の本づくりをいたします。お客様のご要望により、完成品を小店で展示販売するほか、双方の合意により市販本として、全国の書店に流通させることもできます。
★「AU通信縮刷版」
http://seifudo.co.jp/publishing/other/jihi/other/jihi1469
<PARTⅠ~PARTⅢ>―具体美術協会以降の嶋本昭三とその仲間たち―
編著:宮本光信/PARTⅠ-302ページ・PARTⅡ-272ページ・PARTⅢ-174ページ
¥18000+税(セット価格。分売不可)
ガラス瓶をキャンバスに投げつけ破裂させる「瓶投げアート」で知られた前衛芸術家・嶋本昭三氏。2013年1月に亡くなり、世界的にも注目される「具体」美術を代表する氏が、仲間たちと発行し続けていた『AU通信』。その35年間分をまとめた貴重な縮刷版が、ようやく市場流通できることになりました。PARTⅠからPARTⅢまでの3冊を通して、「誰もやっていないことをやれ」という嶋本氏と具体美術の精神や、数々のパフォーマンスが見えてくる資料的にも価値ある1セットです。
・・・これだけ「偶然」の出会いや発見が続くと、もはや「必然」ではないかとさえ思う。