病院アート(20) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》「もりのみや」

現行の住居表示では中央区★森ノ宮中央、城東区★森之宮、東成区中道1丁目(旧町名★森町南)などにあたる。もと大坂城のあたりに鎮座していた生國魂神社の東側に森が広がっていた。同社の別名が難波大社であることから難波森(なにわのもり)とも呼ばれたが、598年に新羅より持ち帰ったカササギをこの森で飼育したことから鵲森(かささぎのもり)と呼ばれるようになった。同じ頃、聖徳太子が用明天皇を祀る鵲森宮を当地に造営し、この神社の通称である森之宮に由来する。

 

・・・「森ノ宮」駅にもどる途中、

 

 

《参考1》大阪府立健康科学センター(愛称:ゲンキープ大阪)・大阪府立成人病センター研究所

537-8511大阪市東成区中道1-3-3

http://www.pref.osaka.lg.jp/koken_keikaku/daikibo_kentiku/helthcenter.html

健康科学センターは、府民の健康づくりの拠点施設として設置されました。成人病センター研究所は、がんと循環器疾患などの成人病の診断、治療法の研究施設です。

《参考2》大阪府健康医療部は、旧健康科学センター・成人病センター研究所ビルの改修計画で、建築基本・実施設計を安井建築設計事務所(大阪市北区)、設備基本・実施設計を新日本設備計画(大阪市中央区)にそれぞれ委託。2016年度末までに設計をまとめ、17年度に工事発注する見通しだ。同ビルは、02年に健康づくり拠点として、「ゲンキープ大阪」の愛称でオープンしたものの、★利用者が少なく、11年に旧健康科学センターの用途を廃止。府立成人病センター研究所も移転する予定で、施設全体が空きスペースとなることから、既存施設を改修し、府立公衆衛生研究所の全機能と大阪がん循環器病予防センターの人間ドック施設機能を移設する。既存規模は、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上13階建て延べ1万9711平方㍍。現在は、1~5階が未利用(旧健康科学センター使用フロア)で、8~13階は成人病センター研究所。改修では、現施設をがん循環器病予防センターのCT、レントゲンなどの重量医療機器の設置に耐えることができる仕様にするため、床の補強や壁の鉛化に向けた詳細検討を行うほか、2~3階にあるプールなどの運動施設の用途転換に向けた改修設計も行う。そのほか、立体駐車場(鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て搭屋付き延べ4521平方㍍)の改修に向けた設計も行う。場所は大阪市東成区中道1ノ3ノ3。基本構想・基本計画策定は、14年度に安井建築設計事務所がまとめている。施設内のゾーニングは、1~4階に大阪がん循環器病予防センター、5~13階に公衆衛生研究所をそれぞれ配置する計画。建物内で最も広いスペースが確保できる3階にCT、レントゲン、採血室など検診機能をまとめる方針。17年3月に成人病センター研究所が移転し、17年度上半期に工事発注手続きを進め、17年度下半期から約1年半の工事期間を見込む。19年春の開所をめざしている。(2015.8.6建通新聞より)

●大阪がん循環器病予防センター「循環器病予防部門」

537-0025大阪市東成区中道1-3-2/06-6973-3535

http://www.osaka-ganjun.jp/

「大阪府立健康科学センター」と「大阪がん予防検診センター」の統合により★2012年4月に新しく発足しました。大阪府民の皆様の健康を守るために、精度の高い検診とがん・循環器病・生活習慣病の予防や啓発活動を展開している予防研究・検診施設です。

 

 

《地方独立行政法人・大阪府立病院機構「大阪府立成人病センター」》

537-8511大阪市東成区中道1-3-3/06-6972-1181

http://www.mc.pref.osaka.jp/

大阪府成人病予防行政の一環として昭和34年9月高血圧、心臓疾患、がんなどのいわゆる成人病の予防、早期発見及びこれらの調査、研究等を行い、府内における成人病に関する医療水準の向上を図るための中核施設として設置され、以来、数次にわたり施設の整備拡充を進めてきた。更に、昭和52年9月には、従来の業務に加え、成人病治療の専門病院を開設し、昭和53年4月には、地方公営企業法を一部適用、昭和54年6月に全床(500床)を開床した。なお、その間、昭和58年4月に附属高等看護学院を開校した。昭和58年3月には、本館整備工事のうち動物実験室が完成し、昭和59年3月には、本館(研究所及び病院の一部)整備工事が完成した。また、平成13年3月には、研究所の新築工事が完成した。平成18年4月には、独立法人化を行い、大阪府が直接設置する病院から、地方独立行政法人大阪府立病院機構の大阪府立成人病センターへ事業移行した。現在、成人病に関する調査、研究、検診、診断及び治療等の業務を事務局、がん予防情報センター、研究所、病院が共同して推進している。

★平成29年3月の開院に向けて建替えを進めています。

大阪市中央区大手前3丁目

http://www.mc.pref.osaka.jp/effort/renewal/

http://www.seijinbyou-spc.jp/

新成人病センターは、移転に合わせて★「大阪国際がんセンター」に改称します。待合スペース・病室・デイルーム等の拡充やユニバーサルデザインの導入など快適で利便性の高い施設、震災に対する安全性の高い(免震構造)施設、省エネ・環境負荷の低減等に配慮した施設を整備するなど、質の高い療養環境が整います。そこで、患者さんの目線に沿ったサービスを充実するとともに、これまでの難治性がんを中心とする高度・先進的ながん医療の充実はもとより、臨床と連携する研究所、疫学統計を活かすがん予防情報センターなどの各取り組みと連携を進め、文字通り国際的水準の医療の提供をめざしてまいります。

 

・・・ということは、この病院は見納めということになります。そこで、院内を散策していますと、見覚えのある作風の絵画を発見、作品プレートは長椅子に阻まれて確認できませんでしたが、たぶん「ZUNZO」さんの作品だと思います。

 

《参考》宮本順三記念館「豆玩舎ZUNZO」

577-0803東大阪市下小阪5-1-21山三エイトビル3階/06-6725-2545

http://www.omakeya-zunzo.com/

当館は、洋画家でグリコのおもちゃデザイナーとして活躍したZUNZOこと宮本順三(1915~2004)が幼年期から生涯に渡り蒐集した日本各地の郷土玩具や世界の人形玩具・仮面などの民族文化コレクションと作品(絵画・おもちゃ)を保存し一般公開する私設展示館です。1998年、順三・賀子夫妻により設立。全国のファンに支えられ

おかげさまで本年開館18年を迎えました。各地の素晴らしい芸術文化と、小さなおもちゃの夢の世界を楽しみください。

 

・・・さらにさらに、駐車場出口付近の緑地帯には、

 

 

【松岡阜】(1923~2008)

大阪府出身、東京美術学校彫刻科を卒業。平櫛田中に師事し、写実的な作風を受け継いだ。1955年、行動美術協会に入会。1956年、行動美術賞を受賞した。代表作は、阪神甲子園球場敷地内に建つ「野球王ベーブ・ルースの碑」レリーフ(ブロンズ製・縦90cm・横90cm)。プロ野球選手ベーブ・ルースが他界した翌年の1949年、同球場が彼の来場した史実を記念して松岡に依頼し制作された。なお2005年、ルースの生誕地であるアメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアに「総合スポーツ記念館」が開館し、ルースの生家にある記念館が移設された際、阪神球団は松岡が保管していたオリジナルより作成されたレプリカを同記念館に寄贈している。

《NEWS》2008.5.10朝日新聞より

松岡阜さん(まつおか・ゆたか=彫刻家)9日、肺炎で死去、85歳。葬儀は11日午後1時30分から堺市堺区砂道町3の1の12の敬愛シビックホール堺で。喪主は長男平(たいら)さん。自宅は大阪市住吉区山之内1の1の18。 阪神甲子園球場にあるベーブ・ルース像の制作者。

《参考》中之島フェスティバルタワー レリーフ製作プロジェクト「牧神、音楽を楽しむの図」/大塚オーミ陶業

https://www.ohmi.co.jp/report/index.php?topics2_category_pk=1464062648

中之島の川面に写る白い壁面、鮮やかなブルーの牧神たち。 フェスティバルホールのレリーフは、名音楽ホールのシンボルとして、また中之島の風景として親しまれてきました。それは、日本で初めてともいえる屋外巨大彫刻であり、半世紀も前の戦後まもない時期に、当時の若き彫刻家たちの手により制作されたものでした。フェスティバルホールを併設した新朝日ビルは1958年にオープン、2008年末閉館した。南壁面に設置されたレリーフ、「牧神、音楽を楽しむの図」は、太陽や月、星のもとでギリシャ神話に登場する牧神。旧レリーフ:行動美術協会彫刻部協同制作/材質:陶板(信楽焼)1958年作。当時の行動美術協会会員である建畠覚造・向井良吉・今村輝久・野崎一良★松岡阜らの手による。焼き物の里、信楽で合宿し、共同制作された。

 

・・・大阪ゆかりの方々の作品は、移設されるだろうか?新しい病院のアートが楽しみです。

 

 

・・・さて偶然ですが、松岡さんの作品が「大阪商工会議所」に、そしてお隣の「マイドームおおさか」に宮本さんの作品が設置・展示されているというのは、やはり大阪にゆかりある作家だからでしょう。

 

 

・・・いろいろな建物や施設を巡って、このようにつながっていくのは、本当にうれしく楽しいものです。もっともっと、大阪を大切にしていきたいと思います。