大山崎(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・大山崎と言えば「アサヒ」と「サントリー」で有名ですが、「キリン」もあるんですよ。

 

《大山崎町》

618-8501京都府乙訓郡大山崎町字円明寺小字夏目3/075-956-2101

http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=12

丹波山地に源流をもつ大堰川は、亀岡市を越えて保津川 となり、嵐山から桂川となります。また琵琶湖から流れる宇治川は、その名のとおり 、宇治川を経て注ぐ水量の豊かな川。そして木津川は、三重県の鈴鹿・高見山地に発する拓植川や服部川、また名張川が集まって木津町を経て北流してくる川です。大山崎町はこれらの川が合流して★「淀川」の起点になる地にあり、清らかな水が豊富で、豊かな自然に恵まれた町です。三川の合流は他に例を見ない奇勝として、人気を 集めています。

 

 

《NEWS》淀川の新たなランドマーク『さくらであい館』が誕生

http://www.yodogawa-park.jp/

木津川、宇治川、桂川の★三川が淀川に合流し、春は約1.4km にわたる桜堤でのお花見で賑わう淀川河川公園背割堤地区(京都府八幡市)において、展望塔を備え新たな出会いのランドマークとなる、三川合流域拠点施設が2017年3月にオープンします。

★「さくらであい館」のプレ・オープニングイベント、出会いのプロデュース・秋の満喫プランを開催します。

○日時 平成28 年11 月12 日(日)、13 日(土) 10 時~15 時

○場所 淀川河川公園背割堤地区(京都府八幡市)

★平成29 年3月25 日(土)「さくらであい館」オープン記念式典

○平成29 年3月25 日(土)、26 日(日) オープニングイベント開催予定

 

《JR「山崎駅」》

618-0071京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字西谷24-1

駅舎は京都府内にあるが、敷地の一部は大阪府三島郡島本町山崎にあり、ホーム上に府境を示す看板がある。このため、島本町民の利用者も多い(島本町は郵便番号・市外局番ともに京都府扱いの番号となっている)。1927年(昭和2)に竣工した木造平屋建ての駅舎を有する。

 

《大阪水上隣保館》

618-0001大阪府三島郡島本町山崎5-3-18/075-961-0711

http://www.osakasuijyorinpokan.com/

大阪水上隣保館は、キリスト教の隣人愛の精神に基づき「援助を求める人いるならば、手をさしのべる」を基本理念に児童福祉施設を中心に様々な施設を運営しています。1931年3月、当時、堺教会の牧師をされていた中村遙・八重子夫妻が大阪市港区に水上生活者の子どもを預かる「水上子供の家」を開設したのが始まりです。1945年6月の大空襲により施設が全焼したため、大阪府島本町の支援者を頼り現在地に移転し今日に至っています。現在は、社会福祉法人大阪水上隣保館の7施設および学校法人山崎学園の1施設の8施設を運営する総合福祉施設です。

★学校法人山崎学園「山崎幼稚園」

http://www2.yamazaki-k.ed.jp/~yamazaki/

618-0001大阪府三島郡島本町山崎5-3-1/075-961-3341

 

 

《妙喜庵》

618-0071京都府乙訓郡大山崎町竜光56/075-956-0103

https://www.eonet.ne.jp/~myoukian-no2/index.html

山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。この庵には、なんと言っても国宝の茶室「待庵」があることにつきます。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。庵三世、功叔士紡の時、世に天下分け目の天王山の合戦(山崎合戦)がおこりましたが、秀吉は、戦争が終わったあとも天王山に城を築き、本拠として半年間ほど住み、千利休を招いて城下に二畳の茶室を作らせたとしています。功叔和尚は利休の弟子といわれており、秀吉が山崎にて茶会を催した折には利休の手伝いをしていたようです。茶室はその後解体され、慶長年代(1596~1615)にこの妙喜庵に移されたといわれています。また他にも、室町時代の文明年間(1469~1487)に妙心寺の霊雲院書院を模して建てられたとされた書院:明月堂があります。この書院の正面に男山があり、その頂より月が上るのが眺められたため明月堂という名がつけられました。連歌の祖である明月堂は山崎宗鑑の旧居と伝わりますが、跡地として関大明神社の前が有力でありますがはっきりしていません。なお、今の建物は昭和初期に新築されたものです。

 

・・・いつも門前から指くわえて眺め、いつの日か必ず来ると決意して、今日は「サントリー」へ行きます。

 

 

《参考》大阪日日新聞「なにわ人物伝・鳥井信治郎」

https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa080920.html

大正期から昭和にかけて、赤玉ポートワインの広告等、世間を驚かせてきた寿屋の宣伝部。戦後になると、再び寿屋宣伝部が黄金時代を迎えます。後に大作家となる開高健、山口瞳らが所属した宣伝部が大活躍。開高らが手がけた伝説のPR誌「洋酒天国」、「人間らしくやりたいナ」のコピーで有名なウイスキー広告などが大きな話題となります。また「寿屋の洋酒チェーンバー」として全国展開した「トリスバー」もまた、新聞広告と連動。戦後日本のサラリーマンを支える気軽な飲み場所として、ブームとともに全国に浸透していきます。戦後の寿屋(昭和38年にサントリーに改称)は、社長に就任した佐治敬三(鳥井信治郎の次男)が「生活文化企業」という独自の理念を掲げ、異色の経営手腕を発揮しました。佐治敬三の元には開高健、山口瞳、それに柳原良平、★坂根進、酒井睦雄など現在のサントリーの企業風土を決定付ける才能の持ち主が集まりました。

 

 

・・・探偵アートスクープで「坂根進」さんを追いかけてきたこともあり、ぜひともここに来たかったのです。

 

 

・・・案内の時刻までしばらく待機です。