◆【国立文楽劇場】◆
542-0073大阪市中央区日本橋1-12-10/06-6212-2531
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html
4番目の国立劇場として1984年に開館、大小2つの劇場と★展示室などからなる。大ホールではユネスコ無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されている人形浄瑠璃・文楽の公演を中心に演劇や舞踊などが行われる。小ホールでは奇数月に落語・漫才・浪曲などの興行「上方演芸特選会」が開かれ、東京の国立劇場における国立演芸場的役割も担う。独立行政法人日本芸術文化振興会による運営。
《参考》国立文楽劇場前に、二つ井戸が復元されました
文楽劇場のある、大阪市中央区で、かつて住民に利用された「二つ井戸」がありました。江戸時代の文献にもあらわれる由緒ある井戸で、明治時代の道路拡張などで埋められてしまいましたが、高津地区まちづくり協議会が中心となって寄付を募り、文楽劇場前に復元されることになりました。平成24年4月5日に除幕式が行われ、人形遣いの吉田簑二郎が人形と共に参加し、満開の桜の樹の下で井戸の設置をお祝いしました。二つ井戸を紹介した看板もございますので、ご来場の際には、どうぞご覧ください。
《二つ井戸》
3代将軍・徳川家光が寛永11年(1634)に大坂三郷の地子銀免除を宣言。この恩恵に感謝して釣鐘★「仁政の鐘」を作りました。この鐘を鋳造するさいに使われた井戸水が「二つ井戸」と伝えられています。
初代二つ井戸は「高津五右衛門町」にありました。明治5年に二つ井戸町という町名になりましたが、昭和に入り町名変更で二ッ井戸町はなくなりました。しかし、町会としては名前が残っています。二つ井戸があった場所は大阪城から見て低い位置にあり、昔は三の丸の一部で、大変にぎやかな場所でした。
二代目二つ井戸前にあったのが、宝暦2年(1752)に津国屋清兵衛が創業した老舗粟おこし店★「津の清」です。喜田川守貞『守貞漫稿』には「大阪道頓堀二ツ井戸西津の国屋清兵衛専ら之を製し売りて今世名物となり、各月毎日所要の黒糖を用ふること海内一とす」と記され、近松門左衛門の浄瑠璃『生玉心中』や山崎豊子の小説『のれん』にも登場します。
《参考》「津の清」
558-0002大阪市住吉区長居西1-5-1/0120-7-18054(イワオコシ)
http://www.tsunose.co.jp/ayumi
三代目の二つ井戸は御影石でできていたとも言われ、実は下に埋まっているとかいないとか…。旧跡二つ井戸の碑はこの場所に復元との話しもありましたが、文楽劇場の前でみんなに見てもらった方がよいと今の場所に設置されたそうです。
並んでいるのに、片方の水の質は良く、片方の水質は悪かったといいます。落語「高津の富」では、富くじを買わされてからっけつになった法螺吹き親爺は大坂見物で「二つ井戸」を見たあと「高津さん」に向かいます。
《資料展示室》
企画展示「文楽の新作」―同時開催「文楽入門」―
平成28年7月23日(土)~9月10日(土)
夏休み文楽特別公演の新作上演にあわせて、近代に新たな視点で取り組まれた作品について、舞台写真や道具帳、舞台模型、台本草稿をはじめ様々な資料で、新作の世界を紹介します。同時開催の「文楽入門」では、文楽の歴史や三業(太夫・三味線・人形)の基本的内容をわかりやすく解説します。
《谷崎潤一郎文学碑》
http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000058592.html
谷崎潤一郎は、明治19年(1886年)東京市日本橋区蠣殻町二丁目(現中央区日本橋人形町一丁目)に生まれ、昭和40年(1965年)7月30日死去した。阪本尋常高等小学校(現中央区立阪本小学校)、府立第一中学校(現日比谷高等学校)、第一高等学校(現東京大学)を経て、東京帝国大学文学部国文科にすすんだ。明治43年、和辻哲郎らと発刊した第二次『新思潮』に、「誕生」「刺青」「麒麟」などを発表した。これが永井荷風に激賞され、翌44年、文壇にデビューした。以後、「悪魔」「饒太郎」「富美子の足」などを発表し、当時悪魔主義の文学と言われた。大正12年、関東大震災を契機に関西に移り住み、その風土と伝統文化にひかれ、純日本的、古典的なものへの関心を高めた。「卍」「蓼喰ふ蟲」でその志向を明らかにし、「盲目物語」「蘆刈」「春琴抄」などでは女性を讃美し、永遠の美を追求した中期の名作群を生むこととなった。このあと、戦争中は「細雪」、戦後は「少将滋幹の母」「鍵」「瘋癲老人日記」などを発表、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開し、常に文壇の最高峰を歩みつづけた。昭和24年、文化勲章を受賞。★「蓼喰ふ蟲」は、昭和3年から4年にかけて東京日日、大阪毎日の両新聞に連載されたもので、関西移住後5年にして、古典回帰への変容を示しだした作品として重視されている。また、翌年千代子夫人と離婚して世間を驚かせた事件があったが、作品の中に、その影を思わせるものが描かれているといわれている。墓所は、京都市左京区鹿ヶ谷の法然院。東京都豊島区巣鴨五丁目の慈眼寺には、分骨埋葬されている。
谷崎潤一郎の文学碑は、国立文楽劇場の西側(堺筋側)に設置されていますが、東側(松屋町筋側)には、近松門左衛門「重井筒」より芝居づくしと言われる道行の一節を刻んだ文学碑が設置されています。これらは、昭和59年に国立文楽劇場完成記念事業の一環として建立されたもので、それぞれには、江戸時代、人形浄瑠璃の黄金期を築いた竹本座、豊竹座の紋章が刻まれています。
《NPO法人「人形浄瑠璃文楽座」事務局》
542-0073大阪市中央区日本橋1-5-6北浦ビル1階/06-6211-6131
大阪で生まれ、大阪の庶民に育まれてきた人形浄瑠璃文楽。私たち特定非営利活動法人人形浄瑠璃文楽座は、2002年6月「義太夫、三味線、人形の技芸を具体的に指導普及し、人形浄瑠璃の発展をはかり、わが国の文化振興に資することを目的とする」と掲げ、大阪府より特定非営利活動法人の認可を受け、現在、人形浄瑠璃文楽座技芸員の有志45名で運営しております。「文楽ってなに?」「なんだか難しくて、敷居が高そう」と思っていらっしゃる方は、ぜひ声をかけてください。私たちは、大阪のみならず、日本中どこへでも伺います。そして、文楽の魅力に直接触れていただき、「公演を観に行ってみようかなぁ」「文楽っておもしろい!」という人が、一人でも多くなることを願っています。
★ギャラリー鬼鳥庵「秋の展覧会」北浦ビル4階
昨年オープンしたNPO文楽座のレクチャールーム「鬼鳥庵」。この一年間、文楽座学や座話会などを開催し皆様に足をお運びいただいております。この秋は『ギャラリー鬼鳥庵』と銘打ちまして、展覧会を開催!文楽錦秋公演と重なる日程ですので、ご観劇前に、お帰りの際に、ぜひお立ち寄りください。
●勘亭流書き方教室 生徒発表展/2016年10月27日(木)~11月3日(木)
●杉江みどり 切り絵展/2016年11月5日(土)~11月13日(日)
●斎藤清二郎文楽絵はがき展/2016年11月15日(火)~11月23日(水)
・・・ビルを入ったところに「標柱(道標)」があるなんて、うれしくなります。