・・・黒田征太郎さんのお姉さんがやっておられた「幸文」が閉店したということは、以前お知らせしましたが、その後が気になって行ってみました。
・・・手の怪我が治ったら再開したいとのことでしたが、フライパンを持つこともツライ状況にあり閉店を決断されたとのことです。なお、店舗の机や椅子については「幸文」を引き継ぎたいという方が(福島方面)もらい受けられたそうです。
《NEWS》2016.8.10なんば経済新聞より
黒田征太郎さんが「戦争」テーマにライブペイント
大阪・アメリカ村★「心斎橋BIGSTEP」(大阪市中央区西心斎橋1)の大階段で8月15日、コラボレーションイベント「近藤等則(Electric trumpeter)×黒田征太郎LIVE」が開催される。黒田征太郎さんは★大阪出身のイラストレーター。ニューヨークに約18年間滞在した後、現在は福岡県北九州市を拠点に、ホスピタルアート、ライブペインティングなど幅広いアーティスト活動を行っている。今回のイベントでコラボレーションする近藤等則さんは日本を代表するフリージャズトランペット奏者で、海外では数々の大物アーティストとのセッションも行っている。同施設内にある黒田征太郎さんのアトリエ兼ギャラリー★「KAKIBA/描場」で現在開かれている、戦争をテーマにした企画展「野坂昭如 戦争童話集 忘れてはイケナイ物語り原画展」の関連イベントとして企画した。同展は全12話の原画や写真の展示に加え、「戦争を遠い記憶にしてしまわないように」との黒田さんの思いから「戦争童話集」に絵と音を重ね、映像化したアニメーションのダイジェストをギャラリー内で投影する。終戦記念日に行う同イベントは、近藤さんの戦争をイメージしたトランペットの演奏から受けるインスピレーションによって黒田さんが縦横1.5メートルのキャンバス2枚に絵を描くもの。広報担当のクリオカイチロウさんは「黒田さんの『戦争』への思いをより多くの人にくみとってもらえたら」と話す。開催時間は15時~。約1時間を予定。原画展の開催時間は11時~20時。8月31日まで。
《参考》野坂昭如の「戦争童話集」が、黒田征太郎の絵とともに映像化。
532-0024大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポードシティ5階
「淀川文化創造館Theater Seven(シアターセブン)」/06-4862-7733
http://www.theater-seven.com/2016/movie_sensoudouwa.html
忘れてはイケナイ物語り12話をぜひご覧ください。戦後なんて、この地球上に一度もおとずれていない―。野坂昭如氏原作★「戦争童話集」が『婦人公論』に連載されたのは、70年安保の翌日、1971年のことでした。その頃の日本は「万博景気」に沸き、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まるなど、高度成長のもたらした豊かな時代を謳歌しつつ、「戦争」を遠い過去の記憶にしようとしていました。その時、少しぬるま湯につかり始めた日本を警告するかのように、この「戦争童話集」の連載が始まったのです。黒田征太郎は、原作を何度も読み返すうちにこう考えました。「みんな、『戦後』などとカンタンにいうけれど、『戦後』なんて地球上に一度も訪れていないじゃないか」と。そこで「戦争」を遠い記憶にしてしまわないようにと、「戦争童話集」の映像化を思い立ち、黒田のその思いを熱く受けとめた人たちが集まって〈野坂昭如作「戦争童話集」映像化・忘れてはイケナイ物語り〉プロジェクトが開始されたのです。この度、シアターセブンでは、1プログラム3話・合計4プログラムを日替わり上映いたします。それぞれの作品は独立した物語りとなっておりますので、どのプログラムからでもご鑑賞いただけます。こどもから大人まで、戦争について考える童話12話を、この夏ぜひご覧ください。
【野坂昭如】
1930年鎌倉市生まれ。旧制新潟高校を経て、早稲田大学文学部仏文科に在学中からCMソングの作詞やコント作家、テレビの台本など、さまざまな仕事につく。1963年に「エロ事師たち」を発表。三島由紀夫や吉行淳之介に絶賛されて流行作家となり、“焼跡闇市派”と呼ばれる。1968年、「火垂るの墓」と「アメリカひじき」の二作で、直木賞を受賞。文壇の中心人物として長く活動し、2003年に脳梗塞で倒れてからも十数年、闘病生活のかたわらに執筆を続けていた。2015年12月9日逝去。享年85。
《NEWS》2015.8.12産経ニュースより
野坂昭如さん「戦争童話集」黒田征太郎さん、忘れないため絵本に
イラストレーターの黒田征太郎さん(76)が野坂昭如さん(84)作の「戦争童話集」に絵をつけた『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話』(世界文化社)が刊行された。同じコンビで過去にも絵本を出していたが、戦後70年のタイミングで12話を1冊にして出版することに。新たに120枚の絵を描き下ろした黒田さんは「どう広がってくれるか楽しみ」と語る。「1994年に、当時住んでいたニューヨークで、野坂さんの著作を探してたら、本屋にこの1冊だけが置いてあったんです」昭和50年に刊行された「戦争童話集」は〈昭和20年、8月15日〉という書き出しで始まる連作短編で、戦争によって飢えたり傷ついたり、あるいは大切な人を失い、死んでゆく人々の姿が描かれる。戦争の断面を、個人の視点から平易な言葉でつづった物語は強い印象を残す。「野坂さんは妹さんを自分の手の中で亡くしたことをずっと抱えて生きてきたんですね。それを教えてくれた本だった」本書所収の「ぼくの防空壕」は、少年が戦死した「お父さん」と壕の中で一緒の時間を過ごす話だが、こんな一文で結ばれる。〈平和が訪れ、街に灯がよみがえったなかで、少年だけが、悲しみに取り残されていました〉同じような思いで、終戦後の日々を歩みはじめた人がたくさんいた。だが、その悲哀と疎外感を共有できる人が、70年後のいま、どれぐらいいるだろう。黒田さんは「戦後」という言葉の持つ危ういニュアンスを指摘する。「人間の歴史っていうのは戦争の歴史でしかない。この本にはそう書かれているように思います。僕は反戦論者でも何でもない。でも、いまも戦時下のところはいっぱいあって、こうやって話している瞬間にも、撃たれて死ぬ人がいる。それなのに、何もかも『戦後』でくくってやり過ごしてしまうのはどうかなあと思うんです」じつは空襲の体験者だ。兵庫県西宮市の家が住めなくなり、疎開先で終戦を迎えた。だが「自分の身に起こったことから逃げていた」と振り返る。「戦争童話集」をきっかけに、アートを通じて核兵器の廃絶をアピールする「ピカドンプロジェクト」などへ活動を広げていった。「世の中を変えようとか思ってないですけど、こうして何度も本になるのは、僕と同じことを感じてくれている人がいるからで、それがうれしいですね」軽い物語ではないが、天衣無縫な黒田さんの絵が読み口を広げている。「僕は、この本に照明を当てているような気持ちでいるんです。より光って見えるようにするのが僕の役目」
★『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話』
世界文化社 http://www.sekaibunka.com/
http://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/15512.html
●目次
1:小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話/2:青いオウムと痩せた男の子の話/3:干からびた象と象使いの話/4:凧になったお母さん/5:年老いた雌狼と女の子の話/6:赤とんぼと、あぶら虫/7:ソルジャーズ・ファミリー/8:ぼくの防空壕/9:八月の風船/10:馬と兵士/11:捕虜と女の子/12:焼け跡の、お菓子の木
南の島の沖合に、一匹のクジラ、クー助がいました。
クー助は大きくなり過ぎた体をひどく気にして、女の子となかなか仲良くなれませんでした。
ところが、日本軍の潜水艦をクジラだと思いこみ、恋をしてしまうのです。
その潜水艦に乗るのは、低い背を気にして女の子に気持ちを伝えられない少年、幸多。
彼は、かつて海に落ちたところをクー助に助けられた少年でした。
敵駆逐艦が近づきつつある中で、一途なクー助は再び幸多を救うことになるのですが……。